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義両親の自己中について

回答数回答 3
有り難し有り難し 14

旦那の実家はお寺です。
やはり旦那も言う通り意見が合わず別々に暮らしています。
それはお互いのためにいいのですが、自分の都合の良いルールで旦那を縛り付けます。
お寺は休みがないから旦那はほとんど休みはありません。ないに等しいです。

なのに義両親は毎月北海道へ2泊3日で行きます。お寺を開けられないので私達家族が泊まりに行きます。

という事は両親は休みはないと言いながら休んでますよね。そのことを旦那が指摘すると60歳以上はいいの!と言い。

旦那には休みは与えず、がんじがらめにします。毎月だと家族がお寺に泊まる用意に片付けがはっきりいってめんどうですし、泊まるにしてもいつ干したか洗濯したか解らない色あせて寝汗が染み込んだ布団です。

留守番をしてもらってる。って気持ちが無く、させてやってるだと思います。

しかも、檀家さんには旅行へ行ったとは言うなお寺は開けられないんだから。病院やお寺の同士の集まりにでも行ったとでも言っとけ。と命令口調です。帰ってきてもお礼の言葉すらありません。

ですから、私達の負担ばかりでなんにも得にもならないし、自分たちが3日休んだから旦那にも休みをやろうとはおもってません。

それも旦那が指摘すると、逆ギレしろくに仕事もしないで生意気!給料やらないぞ!と言う始末。

畑作業も庭の手入れも草むしりも旦那は毎日日焼けと汗を書きながらやってますし、お寺の仕事もしています。義父はほとんど何もせず必要以外は部屋にこもり寝ているか、テレビを見ています。

もー旦那が可哀想だし、もし旦那が過労死や過労で入院でもしたらどうしようと思います。

私が口出しすることでもありませんし、首を突っ込む話でもありませんが妻としては何もしてあげられません。一度話してみたら?くらいしか言えません。

言っても、理屈にもならない自分たちに有利な屁理屈をこねてくるだけです。

旦那も旦那です。一度は両親に話しても、次の日には旅行の手配も日程表も作ってあげるのですから、全く意味がありません。

こうやって書くといろいろ言われそうですが、我々がそこまで自己中な義両親に従わなければならないのでしょうか?従わなければならない理由もわかりません。

留守番を頼む割に裏では悪口を他の兄弟や檀家さんに言いまくるんです。
ことごとく我慢の限界です。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

南無南無。

南無南無。
(合掌)

悪意を持って観ない事。
悪意を持って眺めない事。
悪いこととして受け止めない事。
不足ばかり言わぬこと。
不平ばかり口にせぬこと。
口うるさい義理の親が行ってくれたならラッキーだと思えばいい。
布団が嫌なら持って行けばいい。
何を見ても聞いても怒る嫌がる騒ぐ乱れる、その自分の心にそろそろ向き合いましょう。
ナムナム。
お寺の嫁さんになりたいのか。
仏教徒になりたいのか。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

旦那様が問題にしていなければOKでは

あなたが気にしていることは、旦那様のお休みがないことでしょうか。
とはいっても風邪をひいたりしたら休みますよね。
お出かけするときは、お休みもらえないのですか。
家族で過ごす時間を大切にするため、たまには休んじゃっても良いと思いますよ。お寺だからといって
ずっといなければならないというわけではないと思いますよ。お寺の大きさにもよると思いますが・・・。
なにより、旦那様が問題にしていないのであれば、問題にならないのでしょうが。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

同意見ですが

 あなたは、恐らく旦那様を守りたいお気持ちがあるのでしょうね。それが第一であるなら、いくつか手はあるように思えます。
①まずはお金を貯めて下さい。家族を養っている以上、金銭的に自立できないうちは、ほぼ無力です。もちろん貴女が働いてもいいですよ。40歳にもなって親からお金で操られている息子って、ちょっとイタイですけど。というか、当面ご住職夫妻でお寺がまわるのであれば、「頼まれるまで」お寺を離れて別の仕事をしてもいいのでは?「息子が父を苦しめる」というのは、お経にもよく出てくる話ですよ。お兄さん方が逃げ出したんですから、あなた方が堂々と逃げたしてもいいでしょう。
②住職の放蕩ぶり・わがままぶりは、どんどん檀家さんに話しても結構です。「あぁ、住職も人間らしいなぁ」という、ほのぼの話で行ければベストです。ただし、条件は2つ。旦那さんから。しかも副住職が「それなりに檀家さんに認められている」という状況があればです。訴えたところで「だって、副住職さんだってねぇ…フフフ」と言われてしまう状況では、逆にこちらダメージです。

…ということで、旦那さんが「それなりに一人前」なのであれば、対抗する手立てはあると思いますが…ぼんくらダメダメ副住職だとしたら…仏教の勉強とか仏教的生き方は、お寺の外でもできますよ?
 うちもお寺ですから、基本的に「留守はなし」です。ただ電話の転送もありますし、「あー住職、遊びに行っちゃったんですよ。それで僕が留守番という訳です」で何も文句言われません(大概は)。「住職が怒るか」よりも「お檀家さんが文句言うか」の方が大事ですし。

 そうそう、大切な事を書き忘れました。恐らく彼は、自身の親御さんに似た性格や行動パターンを持っている筈です。そのご両親に育てられたのですから。つまり、いずれそれが顕在化すると思っていて下さい。あなたにも、そこに対応する部分があります。「私が口出しすることではない」。つまり、お寺の運営は住職が負うというところ。それより「二人で切り盛りする」お寺を目指した方がイイと思いますよ。

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有り難し
おきもち

一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

質問者からのお礼

ありがとうございました。

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