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疑心暗鬼

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浮気されました。
夫を信じたいと思うのですが、なかなか頭と心がいうことをきいてくれません。浮気されたことを何度も何度も思いだし、夫が怪しい動きをするとすぐにうたがって暗く悲しくなります。心の傷がなかなか癒えません。大好きなのに、夫なのに、心からもう信じられず、苦しいです。そして、浮気が発覚してから、夫の携帯電話が気になり、みてしまったり、みて女とやりとりしていると我慢できず、夫に問い詰め、離婚まで突きつけてしまうようになりました。浮気相手や夫と友達以上の女が地獄に落ちればいいのになどと思ってしまう、携帯電話をみてしまう、こんな汚い人間に落ちてしまった自分自身が大嫌いになりました。旦那は反省はしていて。でも、事あるごとに私は不安になり、思い出し、涙が出て、夫と口ゲンカしては仲直りを繰り返す日々。ケンカしない日がありません、大切にしたいのに、不安になると夫に話してしまう、ケンカに繋がる悪循環。今日は我慢して言わないようにしていますが、夫は私が暗い為、何があるの不安なのといってきます。私は浮気がわかってから、心に穴がぽっかり空いたようで。毎日ちゃんと主婦しないと、と思うのですが体が思うように動かず。実行はしませんが、死にたい気持ちになります。この考えや行動が甘えだと思いつつも、自分自身を取り戻せず、もう、純粋に愛して信じることができなくなった悲しみに囚われています。このままだと、夫婦や家庭が完全に壊れそうで、怖いです。夫を完全に信用できなくなったので、逆に自分自身に自信をもてるよう、自分磨きをしようとは思っていますが、なんだか、うまくいかず。
どうすれば疑心暗鬼な自分自身をコントロールできるでしょうか。夫のことをまた信じるにはどうすれば良いのでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

信じなくていいと思います。
そもそも人間は私利私欲で考え行動する、貪欲(貪り)、瞋恚(怒り)、愚痴(愚か)の生き物なのです。
それを、そうでは無いと信じるなんて無理な話です。塩は甘いと必死に信じようとしているのと同じです。苦しいだけです。

信じられるのは仏の教え、真理だけです。
この世界の理、ルール、成り立ち、因縁。
そして、無常、無我、涅槃、など。

例えば因縁について言えば、因縁とは、結果には様々な原因が必ずあるということ。ご主人が浮気した原因は何ですか?その原因は無くすことができていますか?できていれば浮気しないでしょう。しかし、できていなければ浮気するかもしれません。

また、無常について言えば、無常とはこの世の全ての物事は一定で無く移り変わるということ。浮気した時のご主人と、今のご主人は別人と思ってください。また、あなた自身も浮気される前のあなたと、今のあなたは別人ですね。あなたが次の段階に移り変わることを願います。必ず移り変わります。
また、無常ですから、あなた達の命はいつかは終わります。100年後か、50年後か、1年後か、明日か。誰にも予想できません。
少し目をつむってご主人の顔を思い浮かべてください。300年後のご主人の顔を思い浮かべてください。どんな姿でしたか?改めて目を開けて、実際のご主人の顔を見てください。今生きている奇跡、有り難さを感じませんか?
命は儚いものです。生きている僅かな時間だけでも、愛情を与えてあげましょう。もちろんお互いにです。ご主人にも、目をつむって300年後のあなたの顔を想像してもらってくださいね。

夫婦とは共に支え合い、助け合い、成長し合う関係だと思います。あなた達がこれから益々成長していくことを願っています。

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おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答していますが、無知未熟ゆえに質問を読ませていただくことしかできないことも多々ありますがお許しください。 回答は私個人の意見や解釈もあり、場合によっては浄土宗の教義とは少し異なることもあるということをご了承ください。 また、寺の紹介ページに電話相談についても紹介していますのでどなたでも気兼ねなくご利用ください。 ハスノハのお坊さんがもっと増えますように。 合掌 南無阿弥陀仏

どちらにも味方しない第三者の介入

当事者間の問題で手が負えなくなった場合は第三者にご助言を頂くことが良いと思います。
ただし、双方の主張がありますのであなたの主張だけでは、ここではあなただけが可哀想な人になってしまい、欠席裁判になってしまいます。
本当はご主人にも主張があると思います。
誰だって相手にしてくれないパートナーよりも優しくしてくれる都合のいい人・便利な人を好むという事なだけであると思います。
だからと言って正当化すれば昼顔・失楽園・仮面フーフです。
実際のところ、旦那さんが浮気に走ったのは何らかの原因があるはずです。
本当に公平にその関係を修復して、今後どうするべきかの判断を決める場合は、第三者に間に入ってもらって進むべき道を教えてもらえばスッキリするものです。
夫婦であっても言いづらい事はあります。
それを行司、レフェリー、第三者が入ることで引き出すことが問題の解決の近道かと。
二人の共通の親友や、仲人さん、どちらの見方もしないかたが適任です。
お寺でも離婚相談や浮気の相談3者面談のご相談を承っています。
いざ、ピンチになったらお電話ください。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

聖章様、ご回答ありがとうございます。

信じなくていい、そういってもらえて、なんだか気持ちがフっと楽になりました。夫なのだから信じないとダメだと思っていたので。ありがとうございます。

そうですね。私もそう思います。
人間には欲があるし、夫は私の17歳年上なので、一般的な寿命を考えれば、夫が先に亡くなります。だから、生きているうちの快楽ということで、浮気も人生の中の一瞬の出来事として許してあげようと思っていました。が、私もやはり人間なので、自分自身の気持ちを偽ることができず、抗えず。許したくても許せず、傷つく前には戻れない現実。

浮気の原因は仕事のストレスです。
浮気されていた頃、私も旦那から気持ちが冷めていたこともあるので、私も悪いです。でも、浮気に走るのはどうかと女だからかもしれませんが、思ってしまったり。ちょっと考えれば目先の快楽で後々家庭壊れるのもわかるよね、家庭や私より快楽と浮気相手を選んだのでしょう?と思ってしまいます。私の元から離れないようなので、ただの遊びかもしれませんが、私の心はズタズタで、夫に傷つけられた傷は消えないでしょう。
しかし、夫と出逢い結婚したのも、縁ですし、信じられなくても、私が本当に無理になるまではそばにいようと思います。なんだかんだで、結局離婚にはならず今も一緒にいて生活しているので。ただ、幸せな結婚生活に近づけるように努力はしてみます。

気持ち楽になれました。本当にありがとうございます。

丹下 覚元様
ありがとうございます。
第三者のご助言は大切ですね。
ありがとうございました。

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