家族の病気に苦しむ自分 言葉の力をください
はじめまして。よろしくお願いします。
母親は認知症の疑いがあります。【病院でも検査済み】まだ50代半ばのこれから第2の人生という時に。本人は言葉には出さないが計り知れないショックを受けているはずです。一番辛いのは母親なのに私が【娘】一番取り乱しています。
ジワジワと病魔に蝕まれていくかもしれない。そんなの悲しすぎます。そしてジワジワと悲しみに私も蝕まれていくんだと。
今はどんなことをしても、救われません。生きることがこんなにも辛い苦しいことなんだと。今は仕事もほとんど休んでいます。精神が弱く、そんな自分も腹立たしい。どこにいても涙があふれどうしようもありません。
「お母さん お母さん 親孝行するからまだ忘れないで」とずっと心の中で思っています。それなのに心と行動が伴いません。旦那から見たら生きてる?と思われるような時があります。
自分が死んだらいけないことはわかっております。死のうとは思っていません。しかし「生きているから苦しいんだ」とふと考えてしまいます。
最後まで母親にとってはかわいい娘でいること。そして今度は私が両親を守るということ。
頭ではわかっていても、苦しみ悲しみに押しつぶされ、出口が見つからず暗闇をさまよっています。
時間が経つほど、家族も本人も悲しみが増す病・・・
時間は解決できない。そんな風に思います。
まとまりのない文章ですみません。
少しでも笑顔を取り戻し、家族に会いたいです。こんな私に言葉をかけてください。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
お母様にとってはあなたが苦しまないことが最大の安心です
375さん
まだお若いお母様に認知症の疑いがあるという診断で、生きることの苦しみに直面しているのですね。あなたの言うように「生きているから苦しんだ」はこの世の真実です。この世は苦です。でもだから「苦しみなさい」ということではありません。だからこそ苦しみから解放される方法を説くのが仏教です。苦しんではいけないのです。
進行していく病気はあなたの言うように、時間がたつほど悲しみが増すし、時間による解決ができないものです。現実的な介護も過酷であることは事実です。でもだからこそ、この事実を受け入れて苦しまない方法を考えていきましょう。事実は変えられないのです。誰のせいでもなく、そういう現実があるというところにとどまってください。嘆き悲しんでも状況が良くなることはないので、考えを変えていきましょう。
あなたはお母さんのために苦しみ、悲しみに打ちひしがれています。では、あなたがお母さんの立場だったらどんふうに思いますか?
自分のせいで娘が悲しみ苦しみ、仕事も休んで死ぬほど苦しんでいることが辛くないでしょうか?これから病気が進行して、娘に迷惑をかけて娘の人生をめちゃくちゃにしてしまうのではないかと思うことが最大の苦しみではないですか?お母さんにとっては娘の幸せを奪ってしまうことが苦しいのです。
それなら、あなたがお母さんに向けての最大の善行はなんでしょうか?
「お母さんが病気になったことは悲しいけど、私はそのせいで不幸ではない」「できるお世話はするけど、そのせいで自分の人生を諦めたり、苦しんだりはしないから安心して」「お母さんが病気でも私は自分の人生を楽しむことも忘れないから心配しないで」これならお母さんは安心するのではないでしょうか。あなたが苦しまないことが最大の親孝行です。
これから現実的に大変になっていくかもしれません。でもそのときも冷静であることがとても大切です。認知症は疾患なので、親子孝行という意識だけで介護しようとすると行き詰まることも頭にいれておきましょう。感情に流されてしまうと、良いサポートができなくなります。
あなたの笑顔でお母さんを安心させてください。よきはからいがあることをお祈りさせていただきます。仙如
悲しみ苦しみよりも
拝読させて頂きました。あなたのお苦しみやお母様の病いを読ませて頂きました。心よりあなたのお気持ちをお察し申し上げます。
今迄できていたことができなくなっていく、覚えていたことを忘れていってしまう、もう思う通りにはならないと嘆き悲しみにくれていらっしゃるのでしょうね。
うしなうことへの悲しみや終着があなたの心を苦しめていらっしゃるもとでしょう。
仏教ではその執着が苦しみを生み出すことであり、真理を知らないから離れることができないと説かれております。
であるならばあるがままを受け入れていくことがその苦しみから逃れるすべであるでしょう。
うしなわれることの前にあなたがおられ今お母様がおられてそのつながりがあります。
いっとき一時と移り変わりますけれどもそのつながりは大切なことですよね。そしてとても有り難いことですよね。
そう思うと今の過ごし方やお母様との接し方がおのずと変わるのではないでしょうか。
今して差し上げられること慈しむことができることにお向き合いなさりお互い大切に生きて頂きたいと思います。
あなたとお母様のご縁は大切ですしこれからも続いて参りますからね。
どうかこれからもあなたもお母様も共に笑顔を分かち合いくださいね。
何度でも話しを聞いてあげることが大切
生きているということは苦しいことの連続です。でもその中に少しづつ楽しいことも埋もれています。私の母もずいぶん前から認知症で、現在は要介護3です。認知症自体は死に至る病気ではなく、進行速度は遅いのですが、新しいことが覚えられなという特徴があります。記憶に残っている昔のことを繰り返して話すのは、そのためです。一緒に生活した人でなければわからない話しもありますので、家族が相づちを打ちながら話しを聞いてあげることが大切です。
我が家の場合は、本人が出来ないことの一部を手伝ってあげれば、通常の生活が出来るようになりました。長期的に見れば私の家族が転勤して一緒に住めなかった20年前くらいの方が症状はピークだったと思います。その当時は私も認知症の知識がなく、介護認定もしてもらっていませんでした。15年前に再び同居するようになってからは私も行政や医師の指導を受けながら認知症について勉強し、対応が分かりだしてからは昼夜逆転、暴言、徘徊などの症状は収まって来ました。
認知症は病気を理解している人が、そばについてあげることが出来れば、症状は改善すると思います。本人の環境を快適にしてあげれば、普通の人と変わりなく生活することが出来ると思います。デイサービスなどを利用しながら、今はあなたが可能な限りそばにいて、育ててもらった恩返しをする時だと思います。
質問者からのお礼
回答してくださりありがとうございます。
気の利いたお礼が言えないのですが、何度も読み返しました。
涙が溢れました。読み返す度に現実に戻れます。ありがたいことと、現実を受け止めなければいけない苦しさもあります。
きっとこの言葉が本当に理解できる時が私の第一歩だと思います。
私にも大丈夫って言える時が来ますよね?
ありがとうございました。