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後悔

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子供さんができないある方に、

「どこの奥さんも、お子さんができると女から母に変わります。
それまでご主人が一番大切だったのが、お子さんが一番大切になり、奥さんが二番目になり、ご主人が三番目になります。
その変化がすぐ理解できないご主人は奥さんと喧嘩したり、不倫したりします。

ですから、あなた達はいつまでもお互いを一番大切に思えるのです。
いつまでも恋人でいられるのです。」

と回答されておられる方がいらっしゃって、
私は現在妊娠中なのですが、予定外の妊娠で、彼と少ししか恋人期間がなかったこと、これから2人でやりたかったことをできなくしてしまったこと、後悔している最中だったため、今、もう何をしていても後悔後悔で、辛く苦しくたまりません。
自分勝手な言い分なのは承知していますが、後悔で苦しくてたまらないです。
ずっと、彼とお互い恋人というか、お互い1番同士でいたかったと悲しい気持ちも消えません。
やはり、2人だけの方が幸せだったのかなと思います。
取り返しがつかず、逃げ出したいです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

まずこのhasunoha内の僧侶の回答は「あなた」ではなく、
「その質問者さん」宛てになされているものです。
ですから、あなたにとっての法薬とはなりませんので、触らぬ問答にたたりなしということで、悪く考えられたり、あなたの事にされませぬよう。
全く違うケースだって沢山あります。
それこそこの世の「真理」という訳ではなく、あくまで統計的なもの、世の男女のならい、のようなものです。
子供ができたら子供ができたらで、そのいいところに焦点を当てればいいのではないでしょうか。
私が子供だったら、
「ママ、もっとしっかりしなよ」
「悪いとこにばっかり目を向けてちゃダメだ」
「情報に振り回されるな」と思います。
カニはハサミを持っています。
チョキしか出せないからジャンケンではグーに負けます。
ですが、ハサミで悪いもんや悪い縁、悪い考えもチョキンと切れるし、チョキンだけに貯金も貯まるかもしれません。
✌ピースだけに平和の象徴です。
物事そのものによいわるいはないのに、あなたが悪く考えることで、せっかくのお子さんの誕生ですら悪いものに考えてしまうという、あなたのその考え方こそをカニカニばさみでチョキンすると良いでしょう。
早く子供が授かれたという事であれば、早くに子供に手がかからなくなるという授かりです。そうすれば旦那さんとゆっくりできる時間も早く得られるようになります。
遅い結婚であれば子供が手がかからなくなった頃にはもう年を重ねてどこにもいくのも面倒になってしまうケースだってあります。
キレイなバラも悪く言えば「トゲが痛い」とケチをつけられるのです。
あなたがバラをもらった時、喜べる人間になりたいでしょうか。
「トゲが痛い花を送るなんてどういうつもり!?」と思うような人間でいたいでしょうか。(笑)
仏教とは、そういう、人間誰もが持っている「悪く考える」ことを救うものです。
まずは、ご懐妊おめでとうございます。
赤ちゃんが不安がっているようですから、ホッと一息ついてください。
ちょっと前の問答もご覧いただいて、中絶をしてしまって後悔されている方々の問答などにも目を通されて、人間とはいかに物事を狭く、小さく眺めて、せっかくの幸せも台無しにしてしまうような思い方をしてしまうものであろうか、と、今後の不安の予防線となさってください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

いずれ恋人感覚に戻れる余裕ができるまでは・・

カニカニ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

方便としては、逆に「子は鎹(かすがい)」とも申しますように、お子様がお二人の仲で、どのように作用するのかも、つまるところはそれぞれ次第であると言えるでしょう。

大切となるのは、いつまでもお互いを思い合う真摯、誠実な気持ちとなります。

互いにどんな困難や変化があっても、互いに支え合って、助け合って、分け合って、補い合って、人生をより良くに過ごせていけるかどうかです。

まあ、しばらく子育てに二人三脚で頑張るうちに、いずれ恋人感覚に戻れる余裕もまた少しずつできてくるでしょう。

あまり後悔され過ぎずに。。

川口英俊 合掌

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おきもち

最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断しています。 https://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k

質問者からのお礼

お二方様、悩みを聴いていただきありがとうございました。

自分がマイナス思考な人間であることを自覚していましたが、
そんな自分で仕方ないと思っていました。

ご回答くださり、考え方を変えたいと思います。
本当にありがとうございました。

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