将来についての不安
初めまして。わたこと申します。
私は現在、大学院生であり、
来年社会人となります。
今回、相談しようと思ったのは
将来に対して不安なことが多々あり、
気持ちが落ち込んでばかりだからです。
その理由としては
1. 奨学金という借金が500万ほどあること。
→返せるのか?という不安。
2. 社交不安障害であり、他者と関わるのが怖い。
→仕事をしてもすぐに病んでしまい、仕事が続けられないのではないかという不安。
3. 自分に自信がなく能力もないので、会社のお荷物になってしまうのではないかと感じてしまうこと。
→これも仕事を続けられないのではないかという不安。
4. 入社する会社では英語力が必要ですが、英語が苦手なこと。
→3.に繋がります。
などがあります。
もっと前向きにハツラツと生きていきたいのですが、このような考えが頭の中を巡って辛くなってしまいます。
このようなどうしようもない不安に対して、どう対処していけばいいでしょうか?
長くなりましたが、お時間があるときにご回答下さればと思います。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分の思いにだまされない。
1. 奨学金という借金が500万ほどあること。 返せるのか?という不安。
→うちの寺の借金はそれ以上あります。
よかったら、それをさっさと返して、ちょっと払ってくれませんか?('◇')
不安はそれを思い起こした時だけが不安になる。ハシゴや階段だったら、前後を見るから嫌になる。登っている所だけ一歩一歩歩めば気がつけば終わってるものです。
2. 社交不安障害であり、他者と関わるのが怖い。 仕事をしてもすぐに病んでしまい、仕事が続けられないのではないかという不安。
→そうやって、自分を絶対に決めつけてはいけません。
病名とかっていうラベルは忘れないサイ。
あんなもんどうせ医者が儲けるために作った言葉だ、騙されないぞっていう位の強い気持ちではらっちゃうことです。いま、自分が坐っていた、イスとか、足とか忘れていたでしょう。
自分の体の一部ですら忘れるんだから、ひとの付けたラベルに何か騙されちゃ絶対ダメ。
そういう暗示にかかって、そっちに本当に逃げてしまいたくなるからです。
人間関係何て、本質は、簡単に言えば、話す、聞く、それだけではないでしょうか。難しく考えるからややこしや~♪になる。
3. 自分に自信がなく能力もないので、会社のお荷物になってしまうのではないかと感じてしまうこと。 これも仕事を続けられないのではないかという不安。
4. 入社する会社では英語力が必要ですが、英語が苦手なこと。
→いま、これを読んでいる時に仕事をしているだろうか。
いま、考えているだけです。
今は、まだ、お荷物にも何にもなっていない。
むしろそういう現実が始まっていない、終わった後のモサモサをこねくり回す考え方をしていることは、現実を生きていない思いの上での生活です。
それが、一番アナタをそういう生き方にさせている親玉です。
胃カメラは、口に入って飲むまで、胃によって飲まれることは無いのですから、今、飲む前からピーピー言っても、今は現実のその時ではないですよね。
「ああ、これは考えなんだ。実際じゃないんだ」という所を見破れば、自分の不安や後悔に打ち克つことができます。
立派にならなくてもいい
別にうまくいかなくてもいい。
立派にならなくてもいい。
仏教は全てのいのちを等しく尊いと教えてくれるものです。
失敗しても成功しても、そのままを受け止めて下さる仏様がおられます。
不安と期待と
私は坊さんですから、何か坊さんとして勉強しなければと思うようになました。そこで、滋賀県から数多くの方々が移民なさったカナダの日系人について細々と調べています。
奨学金という借財はたしかにないにこしたことありませんが、それを返さなければというのは働いていくドライブ(モチベーション)になりませんか。それに北米では自分で教育ローンを組んで大学を卒業したら返済していくのが当たりまえになっているわけですから、あなたは「国際標準」であるともいえます。そんなもんだ、とお思いになっては如何でしょうか。
仕事ができるか不安ということですが、できるとみなしておられるから事業所側があなたを採用なさったのではないでしょうか。事業所はよい人材を確保するために真剣であるわけで、あなたにはその能力があると客観的に評価なさっているわけです。それを、あなた個人の主観ではそう思えないのですね。事業所側の客観的な評価を信じてみては如何でしょう。また、仕事といっても対人関係主体のものもあれば、それが占める割合が大きくない職種もあるはずです。対人関係がすべて、という職種ではないならあまり気になさらない方がよいのではないでしょうか。
英語が苦手、とおっしゃいますが、大学院に入るための試験に通っておられるのですから、話すことへの慣れが解決してくれるものと思います。明治中ごろからカナダに出稼ぎに出られた人たちはもちろん英語の教育をまったく受けておられませんでした。英語を学ぼうとする人は、白人家庭に住み込み雑役をこなしながら学校に通うか、日系キリスト教会の英語夜学校に通うかして勉強なさいました。日中の仕事はもちろんデスクワークではなく一日十時間の肉体労働です。疲れ果てている体に鞭打って夜学校で勉強なさいました。そのようにして勉強しても人種差別のため、法的な職業差別があり、皆さんたいへん苦労なさいました。
私はこうした人たちのことを調べながら、いつも自分は恵まれているなぁ、と思っています。
将来はいつから始まるか
何だか言葉遊びのようなタイトルですが、答えはおわかりですか?
ハイそうです、今から始まります。分かりやすく言えば、1秒後からです。つまり、将来がどうなるかは、いま次第です。「これが不安・あれが不安」といま考えて、1秒後も2秒後も考え続けて…という行為をするか?それとも、例えばいま英語に不安があるなら、次の1秒後に何か教材を手に取るか? 「次の1秒、何するか?」の積み重ねが、将来そのものであり、更に先の将来を方向付けています。
「ああ、修論書かなきゃ〜」と悩んでいる時には、一文字だって書けないでしょう。けれど、その選択肢ではなく「パソコンのふたを開ける」を選べば、完成に向かうでしょう。それと同じですよね。
質問者からのお礼
みなさん回答ありがとうございます。
了教寺 藤岡俊彦様
私の今の状況は恵まれていますよね。
悲観的にならずにがんばっていきたいです。
ありがとうございます。
安穏寺 (天岑寺) 丹下 覚元様
考えているばかりではだめですよね。
頭でっかちにならずに現実を生きて行きたいと思います。
ありがとうございます。
光圓寺 佐藤良文様
考えるより行動すべきなのだなと思わせられました。
今から少しずつ頑張っていきたいと思います。
ありがとうございます。
釈心誓様
立派にならなくてもいいという言葉に救われた気分です。
自分のペースで行きたいと思います。
ありがとうございます。