父親が非常にうざったいです
今、父親と祖母と3人で暮らしてるのですが祖母がもう会話も歩くこともいろんな普通の動作も満足にできない状態にあります。
父親はそんな祖母を介護してるわけなんですがかなりの祖母の状態にイライラしているようでことあるごとに怒鳴りちらしているのです。
それが「クズ!」「そんなこともできないのか!!」とか、ひっぱたきまくったりもうひどい有様で。
「いやいや、もうそんなこともできないぐらいなんでしょ」と言っても
「俺の気を済ませたいだけだ」と言うております。
かといって祖母のできない小さな動作も手伝うわけではなく
「楽なんかさせない、運動させるためだ」という感じで
僕は介護してるわけじゃないので苦労を理解できない以上なんとも言えません
ただ「またきれてるよ、うるせえなあ」と居候の身ながら毒づいてるだけです。
しかし、現実なんでこんなもんなんでしょうか。
介護ストレスなんてあるわけですからこうなのが当たり前なのでしょうか。
「もうほとんどのことできないんだから変わりに全部やっちまえばいいのに」なんて思っちゃいます。
私にさっぱりです。
ただ怒号が嫌なので。
ちなみに祖母の補助みたいなのしようとすると
「だめだ。それが狙いなんだ。運動させなきゃだめだ」
といってぶちぎれるのです。
祖母も二人で話すときは相当父親の悪口をいってきます
僕も決して父親にいい印象抱いてないので
「このままほっとくと二人でどんどん悪循環にはまってくんだろーなー。あんなに罵倒されたら気病んじゃうよ」
ってな感じで傍観に入ってます。
内心なんだがもうどううでもいいやと思っています。僕は罪深いやつなんだしょーか。
世の中元気な奴、強いやつ、いいやつが生き残ってって
悪いやつ、弱いやつ、病んでる人が淘汰されてくんですかねえ
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相手はなにを考えていますか
ben hymさん、はじめまして。質問を拝読いたしました。
ben hymさんは、父と祖母と3人で暮らしで、祖母が会話や歩行などが満足にできない状態なのですね。ben hymさんの父親は祖母を介護していてもイライラするばかりで、ひどい有様なのですね。
それぞれの人は、なにを考えているのでしょうか。
ben hymさんの祖母は、身体の自由がきかなくなり会話もできかねるようになりました。どこへ行くこともできず、話をすることもできません。なので、自宅で居るしかありません。ben hymさんの祖母は、生きがいのある日々を過ごすことができず、「仕方がない」と諦めているのではないでしょうか。
一方で、ben hymさんのお父さんはどうでしょうか。
お父さんは、祖母の介護をしなくてはいけなくなったことにいら立ちを感じ、したくもない介護をしなくてはいけなくなった祖母に対し冷たく当たるようになったのではないでしょうか。
ben hymさんは、どうでしょうか。
父と祖母のやりとりを見て、どうしようもない八方塞がりになり、hasunohaに救いを求めておられます。
私の意見では、ben hymさん家族の現状を続けていくことは誰にとっても幸せになりません。それぞれの人が自分を取り戻せるように第三者の力(サービス)を利用していくべきです。役所における面倒な手続きが待っていますが、ben hymさん一家にとって大切なことです。
面倒な手続きは、現状を見かねているben hymさんが担うことが最も良いと思います。手続きでは介護の現状を聞かれます。当事者では主観が入ってしまいます。少し距離を置いているben hymさんが客観的に説明できるでしょう。
仏教では、誰かの力になろうとすることを利他といいます。利他を積み重ねていけば、必ず自分に返ってくる因果必然の道理(いんがひつねんのどうり)を説きます。
ben hymさんが家族のために利他のこころを持つことができるよう祈念しております。
質問者からのお礼
父親にそれとなく探ってみたところ、役所からの要介護サービスはすでに受けている模様です。
いろいろ勉強になりました、ありがとうございます