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自分の人生がわからない

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2017年4月に初めての就職と同時に初めての一人暮らしもすることになった者です。
最近、生きるのが苦しくて人生というものがよくわからなくなってきました。

原因は自分の不幸に敏感な性格にあると確信しています。

私の環境自体はそれほど悪いものではなく、むしろ恵まれている方だと思います。
実際、職場の人間は本当に良い方々ばかりで労働環境も超ホワイトと言っても差し支えありません。また、親や地元の友人も時々LINE等で連絡を寄越してくれますし、この前のGWも一緒に過ごしました。また、金銭的な面も特に心配ごとはないです。

しかし、自分は運動音痴で、人と接するのが苦手で、仕事ができなくて、体力がなくて、無気力で、ビビりで、運転が下手で、趣味すらもなくて、彼女ができたことがなくて…等といった悪い面ばかりに目が行ってしまい自己嫌悪してしまいます。

そしてさらに「自分はこんなに恵まれているのに幸せを感じられないなんて愚かだ」と思ってしまい負のスパイラルに陥ってしまいます。

こんな自分を変えたくて今まで行動もしましたが、上手くいきませんでした。

自分さえ変われば人生は良くなると確信しています。でも、変われませんでした。

もう自分は一生幸せになれないのだろうかと毎日苦悩しています。そして仮にそうだとしたら苦しみしかない私の人生とは一体何なのでしょうか?
どうやって残りの人生過ごしていけばいいのでしょうか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

幸せを感じる時

おはようございます。今日はいいお天気ですね(こちらは東京です)。
どうも「文章を書いているうちに、自分って不幸〜!にたどり着いた」ように感じます。
「幸せになれない、不幸しかないのか?」とお嘆きですが、「幸せって、どんな時に感じますか?」と聞かれて、案外みんなひねりだして答えているのです。
東京ドームのトイレに長蛇の列ができていたとします。もし貴方が「漏れそう!」ならば、「全くどうして…!」とも言いたくなる。不幸ですね。しかし、「漏れそう」でなければスルーして通り過ぎるだけでしょう。この時「あ、俺は幸せだ。もし今漏れそうだったら大変だったな」とか、いちいち考えませんでしょう?
そう、「あー幸せ」なんて台詞が浮かぶような「幸せ」は、一生に何回かレベルですよ?
朝目が覚めた時に「あー今日も起きられた。幸せ〜」とか思います?ノーですか?ご老人は感じるそうです、「ああ今日も朝を迎えられたな」って。或いは空爆を受けている地域に住む人は?「今日も家族に会えてよかった」は思うかもしれません。
既婚女性は自分の披露宴のことをいつまでも覚えている方が多いそうです。写真を見るだけで、その時の感覚が甦るんですって。
そのレベルの「幸せ」がないから「不幸しかない」…。言葉上は成立するかもしれませんが、貴方の思考はここに至っていると感じます。
広告に踊らされていませんか?「幸せになるための〜」とか。でもこれ、販売戦略です。仏教でいう「幸せ」は、「幸せを見つけられる、感じられる自分にしていきませんか?」ということ。
あと、「変わる」ですけども。人間の学びは、基本試行錯誤。失敗しながら時々成功する、それを積み重ねているだけです。だから「変われませんでした」じゃなくて「今のところ変われていません」です。貴方の人生、現在進行形です。
改めて、今も明るい空が広がっています。それをボーッと見ているだけで、幸せを感じることはできるのですよ。雨の日よりも簡単にね。

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊...
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できることから一つ一つ

いえてぃ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

苦しみも楽しみも、幸せも不幸せも、本来は実体としてあるものではなく、「不苦・不楽」、「不幸・不不幸」となります。

かといって、無いのかと言いますと、絶対に無いわけ(絶無・虚無)ではありません。

では、どのようなありようであるのかと申しますと、因縁(原因と条件)に依って成り立っているものということになります。

実体としては無いことを「空」、因縁など、他に依存して成り立っていることを「縁起」として、仏教では、「全ては縁起し空である」と説明することになります。

もちろん、このことを理解するには、まだまだ仏教を学ばれて頂かないといけないかと存じますが、とにかく、結果のためには、因縁が必要になるということで、善い結果へと向けて、善い因縁を調えていくことに努めることが大切となります。

もちろん、自分で何とかできる因縁もあれば、他に頼ればできる因縁、あるいは、どうにもできない因縁もあります。変われないということはありませんが、上記のことを見極めつつ、少しずつでも善い結果へと向けた善い因縁に取り組んで参りたいものでございます。

できないことよりもできることから一つ一つ。

あまり、自分の思い込みや偏見にて、全く無理だとして諦めてしまわれることもございません。

川口英俊 合掌

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Eishun Kawaguchi
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