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回答が追いついておりません。今を生きる人のために仏教の智慧を伝えてくれる僧侶の方を募集中です。

私って

私は、すぐに人と自分を比べてしまい、人から必要とされる事を望み、中心にいたいと望みすぎ、人から意見されたり、指摘されたりすると、素直には応じることができず、態度や顔にでてしまいます。

親にも同じような態度をしてしまいます。

何でも知っておきたい、私だけが知らなかったって思って無視されてると思ってしまうこともあります。

あの人には、こうしたのに私にはしてくれないと僻み根性を持ったり。
愚痴ばかり言ってしまいます。

弱いと見られたくなく、可愛らしさもありません。

だから、職場でも結局浮いた存在になってしまいます。

こんな私が、性格美人になれるのでしょうか。
楽しい人生にしたいのに、損得ばかり考えて、何一つ楽しくありません。

有り難し 18
回答 3

質問投稿日: 2015年9月8日 23:52

回答は各僧侶の個人的な意見であり仏教教義や宗派見解と異なることがあります。答えは一つとは限りません。多くの回答(法施)からあなたの人生を探してみてください。

あと一歩ですね

まさえ様

それをお気づきの時点で、半分は目標は達成されているかもしれません。

自分を認めてほしい
優越感を感じたい
強い存在でいたい
尊敬されたい

これは、人間なら誰しもが持ちうる思いです。
仏教でも、人間には本質的にその感覚が備わっていると考えております。
それを無くすことは相当大変です。

ですので、この「我」とうまく付き合うことをおすすめします。
まさえ様は、そう考えてしまう自分がいることを認識していらっしゃるので
あと、一歩だと存じます。変えられる可能性がすぐそこにあるということです。

これに気づけずに
なんで、自分を尊敬してくれないんだ。
なんで、自分を認めてくれないんだ。
なんで、自分を好きと言ってくれないんだ。

と嘆き続けている人も沢山いらっしゃいます。
嘆き続けているだけでは、何も変わらないんですよね。

原因があって結果がある。
というのが、仏教の基本スタンスです。

あとは、行動に移すだけですが
行動に移すときに、指針になる言葉があります。
伝教大師最澄の言葉です。

「己を忘れて他を利するは慈悲の極みなり」

つまり、ちょっとの間だけでも自分という存在を一旦なくして、他人を主体としてみる。
これこそが、性格美人への第一歩です。

言うは易し、行うは難し。
ではありますが、方向性は正しいということだけ自信を持っていただけたならと存じます。
一日一日、少しずつ積み重ねることで、楽しいと思える瞬間がやってくるかと存じます。

2年8ヶ月前
回答僧

円通寺

邦元

本来の自分を取り戻す

人は、本来そうした、妬み、恨み、などの感情はなかったはずです。生まれた頃、赤ちゃんの時代にはそんな感情はなかったはずです。
しかし、生きていく中で、そうした「思い」を優先してしまう、我を身につけてしまうわけです。

本来の人間の有り様には、我はありません。すべてあなたの心の中で、その我を真実と取り違え、優先してしまうことから、おこる苦しみです。

自分越しの見方をしないことが大切です。恨み、嫉妬などよ思いがでてくる前の瞬間には、そのものがそのままに存在しているだけです。相手から発せられる言葉であっても、音が存在しているだけです。そこに意味をすぐに付け加えて捉える癖があるだけです。その意味を付け加えないで、そのままを受け入れるようにして、生活してみてください。

楽に生きられると思いますよ。本来のご自分に気づくチャンスです。思いを優先せず、そのままの目に見えたもの、聞こえたものを受け入れているのだということをジッと観察してください。

2年8ヶ月前

長女あるある 次女あるある に 答えがあります

うそです。タイトルはウケ狙いです。(^<^)
結論は「誰もが自分❝の❞主人公であることを自覚すればいい」です。
この言葉を1ミリ解釈を誤れば、自分だけが主人公になってしまいます。
誰もが自分の主人公という事は、みんな自分の命の主人公で、皆が役割があるという事。
みんな自分の命より、自分の自我を大切にする。
そっちは主人公ではなく、単なるエゴ。
命の方を主人公にさせなければいけません。そうすれば世界が平等になるからです。
おそらくあなたは、自我が主人公になっているから、みんなの中でも主人公的立場であろうとして浮くのです。
息を吸ったり、吐いたり、脈打ったり、ものが見えたり聞こえたりするのは、あなたではありません。あなたの命です。
この皆が持つ、命が喜ぶように共に生きるのが全人類の使命ともいえます。
他のみな様にも命があり、尊厳、命の主人公の権利がある。
共存生活の中において、自分の色を出し過ぎると、その人個人の団体になってしまいます。
私がいた修行道場では時々、一番トップの禅師様が「こうだ」と言っているのに、中間管理職の副悦という役職の人が、自分が主人公になりすぎてその意向をとめてしまうのでした。
そうなると、その人の思想団体になってしまって、誰も利益されないのです。
こういったことは、団体、組織に所属される方ならば、ご理解いただけるかと思います。
では、なぜそういうことが起こってしまうのか。
ぶっちゃけ、あなたのためにざっくり言います。 
あなたみたいな「自分が自分が」した人が、しゃしゃり過ぎでデシャバリ屋さんだからです。(グサリ) (;゚Д゚)ア″ー言っちゃった 
あなたがいなくても世界は回るのです。
あなたがいて、皆を利益させる働きがあるなら既にこういうことにはなりません。
あなたが介入することによって周りは煙たいと思っているなら、皆の命を主人公にさせてあげればいいだけです。それだけで、あなたは他の主人公を利益する本当の主人公にれるでしょう。
あなたはそこに気づけた。素晴らしい菩薩の道を歩むのです。
皆、自我の暴走一直線の世の中。本当の主人公に目覚め、利益させるきっかけをあなたは得たのです。

2年8ヶ月前

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