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病気を治したくない人の気持ちがわかりません

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有り難し有り難し 50

私の大事な人が心(脳)の病気です。そしてその人は病気のままでいたいと私に言います。
私はこれを受け入れるのがとても難しいです。

その病気のせいで私に対してだけ人格が変わり、言葉と物理的な暴力をします。私はそれがとても嫌です。
何度も病院に行き、このままでは取り返しがつかなくなると診断されましたが、本人は医師の誤診であると言い、通院を拒否します。
暴力はやめてほしいと言っているのですが、自分で止められないしそれが悲しいとその人は言います。悲しいけど病気は治したくないそうです。

周りに病気のことを相談しても、ほぼみんないつかよくなるといいね、と言うだけです。中にはもちろんできる限りのことをしてくれた人もいますし、感謝しています。仕方ないような気がしますが、私なら相談されたらそんなことを言わないし、助ける努力をしようと思うから、変わった人達がたくさんいるんだな、と思いました。
話が逸れました。戻します。

病気のままでいたい人の気持ちはどう受け止めてあげればいいのでしょうか?
本当は助かりたい、ただ病気と認めることに怯えてるだけでは?と思っていましたが、あまりにも長い間なので本当に病気でいたいのでは?と思うようになりました。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

わかろうとせずとも認めてあげる

コーギーのしっぽさん、はじめまして。

文面から、大事な人がこころの病、何とかしてよくなってもらいたい、という大事な方を大切に思う思いがひしひしと伝わってきました。
大事な人というのは恋人なんでしょうか?
きっとコーギーのしっぽさんは、世話好きで面倒見がいいやさしい方なんでしょうね。
ただ、文面から、自分自身にも厳しく、そして他人にもその自分が考えている厳しさを求める、厳しい方だな・・・という印象も受けました。
きっとコーギーのしっぽさんが友人等から同じような相談を受けたら、きっと精一杯、何とか助ける努力をされるのでしょうね。
それは非常に尊くとてもすばらしい事だと思います。

コーギーのしっぽさんのその厳しさは、自身の仕事や自身の生き方にとっては非常にプラスになることだとも思いますが、
ただ、それを他の人に、特にご家族、恋人やお子さん、お友達といった身近な方にも求めてしまうと、少し危険なような気がします。

世の中には、
女性もいれば男性もいます。
真面目な人もいれば怠けぐせのある人もいます。
自分に厳しい人もいれば自分に甘い人もいます。

そして大事な人に対して、
その厳しさを求める人もいれば、
大事な人に対して、
安らぎ、癒やしを求める人もいます。

コーギーのしっぽさん、ぜひ、
他の人の多様なこころを認めてあげてください。

そして、ぜひ、、
自分が完璧な人間ではないという事を認めてあげてください。
自分の弱さを認めてあげてください。
そして、
他の人の不完全さを認めてあげてください。
他の人の弱さも認めてあげてください。

>病気のままでいたい人の気持ちはどう受け止めてあげればいいのでしょうか?

とのことですが、病気の方の気持ちをを理解、わかろうとするのではなく、
そのまま認めてあげればいいと思うんです。

それは、その人の欠点とか弱さそして今の病気も全部ひっくるめて認めてあげるという事だと思います。

私は医者ではありませんので、
その大事な人がどんな心の病気なのかはわかりませんが、
「このままでは取り返しがつかなくなる」と診断されたとのこと。

病院等のしかるべき機関・先生方へご相談され、
その指示に従うことをおすすめいたします。

大事な人が、早くよくなるといいですね。

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有り難し
おきもち

う~ん…これはとても辛いですね…心中お察し申し上げます。

私は医療の専門家ではありませんのであくまで私見ですが、物理的な暴力が出ている以上、今の状態を受け入れてしまっては絶対にいけません。何かの『はずみ』で、大事な方だけではなく、コーギーのしっぽ様自身が取り返しのつかない事態になり得る自覚を持つべきではないでしょうか?どういった病状なのかは存じ上げませんが、おそらく病気によって本人が衝動を抑えられない状態なのではないですか?
コーギーのしっぽ様お一人で結構ですから、すぐにもう一度診断をしてくださったお医者さんの所に行って、今の状態を相談して下さい。

メンタルの病気の治療で一番難しいことは、病院に連れて行くことだと聞いたことがあります。そういった意味ではコーギーのしっぽ様だけ特別な悩みではありませんよ。病院の先生もきっと受け入れて、何か提案をしてくれると思います。

さて、話は飛びますが、私のまわりにもメンタルの病気を抱える人が複数います。その人達の中には『病気であることで安心できる』人がいるのは事実です。自分が仕事や生活面で上手くいかないのは自分という人間性のせいではなく、病気のせいだと自分に言い聞かせることができるからです。でもですね、それは『本当は人並みに生活したい』けど、できない気持ちの裏返しなのです。

私の推測にすぎませんけれども、大事な方は本当にコーギーのしっぽ様を傷付けたくないのだと思います。でも、傷付けてしまう…そして傷付けてしまう事で、罪悪感にさいなまれる…その罪悪感をそらすために、病気でいたい…でも、本当の本当は、病気を治して傷付けたくない…でも自分にはできない…そういうことではないでしょうか?
これは私からのお願いです。お一人で結構ですから、もう一度先生の所に行きましょう。

それからもう一つ、同時にDV関係か何か暴力に関連する所でもご相談なさって下さい。これは大事な方を犯罪者にするという意味ではなく、暴力とどう距離を保てばいいかのヒントをもらうためです。

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有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouTuber「仏教・お寺ch 大慈」。 【現代日本仏教最大の課題のひとつはコミュニケーション不足】をミッションに10年以上、インターネット上で情報発信をしています。 YouTubeでは仏教の教えや読経だけでなく、お寺の真相やお坊さんの生活が分かる動画を配信しています。(リンクは↓のURL)

それ自体が病気のせいかも

「病気のままでいたい」という発言自体が、病気のせいである可能性もあります。
ジレンマですが、本人に病気を治したいと思わせるためには、病気を治療しないといけないのかもしれません。
具体的な病名がわかりませんが、精神的な症状の場合、現状を変えること(新たな行動を起こすこと)への負担感が、普通の人よりはるかに大きい場合があります。
例えば、「明日お医者さんに会いに行きましょう」というのが、
「今すぐアポなしでオバマ大統領に会いに行きましょう」と言われたくらい「ムリムリ!絶対ムリでしょ!」と感じる。
そしたら、本当は大統領のファンでも、「そこまでして大統領に会いたくない、大統領に会わないままでいい」と言うでしょう。
つまり、治療という行動を起こすことについて、私達の想像以上に「難しい行為だ」と負担に感じていて、しんどいのかもしれません。
腰痛の人は普通の重さの荷物を持てません。精神疾患の人は、普通のことでも異常に重荷に感じてしまう場合がある。
どうやって治療につないでいくかは、専門の医者や保健師、あるいは精神障害者を担当する役所の人にでも相談したほうがよいでしょうね。
仏教では心は無常だと言います。「病気のままでいい」という気持ちも瞬間瞬間に変化しています。
もしかしたら、ふとした瞬間に「やっぱり治療しなきゃな」と思っているかもしれないし、近い将来そう思うかもしれません。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

あなたが分かろうと努力すべき事はそっちじゃないかと

①病気のままで居たいそうです。
それは嘘。病気のままで居たい人はいない。
あなたが良い意味でも悪い意味でもイイ人だから甘えているだけ。
医者にもあなたにも傾かず自分が自分で居たい、どっちにも転びたくないから安全地帯にとどまろうとしているだけでは?

②病気のせいで言葉と物理的な暴力をします。
それは病気のせいだと彼が正当化しているだけで単なるDV。
あなたがイイ人で弱い立場をイイ事に依存してる。

③本人は~通院を拒否します。
普通、この話誰が聞いてもヤバい。私がアナタなら実家に逃げて離婚しますが紆余曲折は結婚の事もあったのでしょうか。引っ込みがつかなくても、自分と自分のお腹から生まれてくる子供の本当に平和な家庭を作ってあげるべきです。
好きになったから、結婚したからって責務に感じては絶対ダメ!
彼には実家の親御さんがいますから、早いうちに別れた方が身の為です。

➃暴力を自分で止められないし、それが悲しいとその人は言います。
それも嘘。したいからDVする。したいからDVすることを選択する。
本当にあなたが大事ならばあなたを苦しめたりしないし、あなたのいうことも聞く。
しない人は絶対DVしないから、あなた完全騙されちゃってるね。
それは、あなたが良くも悪くも超イイ人だから~♪

コーギーのしっぽさんは、上記の点を踏まえてダンナのしっぽを掴んで、ギャワンと言わせるべきです。
表面的な言葉で騙され過ぎていると思います。
私があなたの父親の立場ならば、あなたに相手を感情的にさせないように離婚を勧めます。
自分の心すら統治することもできない、妻への暴力も止められない、自分の体も治そうとしない、その後の家庭の事をまるで考えていない(口では大事だ、考えていると言ってもそれは嘘!)そんな男には将来も明るい未来もありません。あなたがそれでもその人を好きなのはこう言っちゃ悪いですが余程口がウマいんじゃないでしょうか。
ぶっちゃけ、家庭を持つ資格はありません。子供も同じ目に遭い、不幸な目に会います。
冷たいようですが、あなたが本当に目を開くべきはそこかと。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

高井山 高井寺 小野澤俊道様
病院に行きたくないんだな、という気持ちを明らかに不健康な人に対して認めてあげるのは難しいです。でもそういう気持ちでいることが大事と教えていただけてありがたかったです。

大慈様
本当の本当を代弁していただいてありがとうございます。そう考えるといろいろと納得がいきます。
DVの相談も然るべきところですることにします。

願誉浄史様
病院なんて歩いてもいけるのに…くらいに簡単に考えていたところもあったのですが、病気の人にとってはオバマ大統領に会いに行くようなものと考えたら確かにそれは高すぎるハードルです。気づかせてくれてありがとうございます。

安穏寺 (天岑寺) 丹下 覚元様
誰が聞いてもヤバいですよね。ところが私の身の回りには残念ながらそう考えない人が複数いたのでこちらで質問いたしました。それから、病気のままでいたい人はいない、とズバッと言っていただけたのも嬉しかったです。ありがとうございました。

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