結婚を前にいろいろと心にもやもやがあります
わたしは幼い時に仕事の事故で父を、18歳の時に交通事故で母を亡くしました。
親類とも折り合いが悪く、ここ数年はほぼ誰にも頼らずに生活をしていました。
この度人生を共に歩きたいと思える方に出会い結婚を前にふと、母のことを思い出す日が増えました。
間もなく命日です
母が亡くなり約9年
娘として、母を幸せにすることができていたのだろうか、当時反抗ばかりでろくに優しくできなかったことへの後悔…本当に私は母になってもいい存在なのだろうかと悩む日々。
この心のもやもやをどう解消するべきなのか。
私にはよくわかりません
ぜひお知恵をお貸しください
非常にお応えしづらい内容で申し訳ありません。
物欲が我慢できない 気を使いすぎてつかれる。 精神が弱い
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
オンリーワンの命のつながり
貴方が、幸せになることが恩返しですよ。
貴方のご両親は、お志を我が子に残し置かれ、それはやがて種の苗となり、花の実となるでしょう。
花は落ちても実は残り、種が無くなっても苗が残るでしょう。
貴方はご両親の息(遺志)を引き取った。そして、貴方がその遺志を引き継いだ訳ですが、間もなく分かるものもあれば、この先何年、何十年経って初めて気付くこともあるかもしれませんね。
そんな「遺志の相続」と、先祖から受け継がれる「血脈」の二つがそろって、オンリーワンの「命のつながり」が現在進行形で構築されているのです。
弔いとは訪れることや聴くこと、問うことをいいます。つまりは、死者の世界を訪ねて、故人の思いをあれこれと聴いて差し上げることです。追福修善の功徳は、ご両親にとっての財。
別れて後、また何時の日か相見えたいと願う親の姿を思いながら仏さまに拝し、その功徳がやがて母となるひなさんや新しいご家族に回し向けられるよう、篤くご供養なさい。
それが何よりの、亡きご両親へのお心尽くしになるかと存じます。
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。
私が幸せになることが親の幸せにつながればいいなと思いながら命日の供養をしたいとおもいます。
本当にありがとうございます。
またいつか両親に会える日を楽しみにしていようとおもいます