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深く人間関係を作るのが恐ろしい。

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私は、先日まで働いていた職場をやめてしまって、(正社員などのしっかりした身分ではなく、ただのフルタイムのパートでしたが。)
今もう既に無職状態が2週間も続いているので
非常に焦っています。

先日、そういう話を、近所の、馴染みのコンビニのオーナーさんと世間話をしていて、
その話の流れで、「じゃあうちで働いたら?近所だし通勤もラクで、いいと思うけどなあ。」
と言ってくれて、

私としては非常に嬉しかったですが、断ってしまいました。
オーナーさんは凄く良い方で、のんびり型ですが仕事はしっかり出来る。
私は、どちらかと言えば仕事の飲み込みが遅く、

もしかしたらコンビニで働いたら足を引っ張る確率のほうがだいぶ高い。
私は人間関係でも人と話すのが苦手なので、友人も少ないし、
そんな中で今まで私にフレンドリーに接して頂いたオーナーさんや、

オーナーの奥様の気持ちはありがたいけども、
仕事で失敗したり足を引っ張って失望されたくないんですよね。
せっかく自分の少ないながらの人間関係を壊したくないと言うか。

話がまとまらなくなってしまいましたが、要は、
私は自分から積極的に人間関係を作る度胸があまりないのにも関わらず、

自分に好意的に来てくれた人を、人間関係全般、今までずっと避けてしまい、
(それはやはり失望されたくないから。)
ずっとこんな調子です。
こんな事ではいけない事は頭では理解しつつも、

やっぱり「少ない人間関係が壊れる事が怖い 失望して自分から離れて行くのではないか」
という気持ちが幼少の頃から根強い為に、人の好意を恐れて避けてしまいます。
私は今迄、戦う人生が私の中で多かった(仕事も飲み込めないので攻撃のマトで孤立が当たり前、

幼稚園から高校まで、人と馴染めず孤立当たり前。)でもそれに慣れてしまい、
それが自分であり、人生とは自分にとって24時間、戦争だという認識があり、
仲良くなってから裏切られ続けて来た人生なので、

『人とは深く関わるな。仲良くなったら裏切られるものだ』という考えが自分の心の中に常に
そういう考えがあります。
人を素直に受け入れるには、戦いから足を洗うには どうすればいいでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたの好きな距離感がある

ちゃんと今、答えが出ているのです。
あなたはその方々と深くお付き合いして、ガッカリされたらその人たちとのかかわりを失ってしまう。だから、上手に距離感を保っている。
それでよいのです。
人生本当の友達は自分自身です。
その自分自身が今一番安定してきたところがあるのに、無理して自分を変えても、苦しいだけでしょう。
自分と正直に語らえる人は、失われがありません。
裏表もありません。
それぞれがそれぞれを生きています。あなたはあなたのラクな生き方を歩めばいいのです。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

無理に着飾る必要はないですよ

案外あなたの物差しとはちがう物差しであなたのこと見ていると思いますよ。コンビニの店長さんなら人を見る目はあるでしょう^_^
あなたは人目を気にするあまり、自分勝手な物差しを用いて自分を図り、劣等感を自ら作り出しています。
それが動きを鈍くしています。仕事上の失敗はだれでもあります。得意不得意もあります。それでいいのです。ありのままで。

着飾る必要もない。あなたはあなたは、そのままが一番です。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ