hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

親の死について

回答数回答 6
有り難し有り難し 244

お願い致します。
私の母が一週間前から入院しており
意識不明の状態が続いています。

私は一人っ子で母とは仲良しなので
母にもしもの事があったらと考えると
胸が張り裂けそうになります。
毎日眠れず食事も喉を通りません。

毎日病院に行き母に話しかけたり
手をさすったりしています。
いつかは親と別れる日が来ることは
わかってはいるんですが、、、
乗り越えていける自信が無いです。

どのようにすれば乗り越えられるのでしょうか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 6件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

最後のおくりもの

みかんさんはじめまして。
お気持ちお察しいたします。

>どのようにすれば乗り越えられるのでしょうか。

との事ですが、「死」という厳しくつらい現実を目の当たりにした時、
その乗り越え方は人それぞれ…。

平安時代の歌人、和泉式部は、それはそれは可愛がっていた愛娘を病で亡くしました。
我が子の死を受け取ることが出来ずに数年の絶望の真っ只中にいました。
そんな時、ご縁があり仏法に出遇い、考え方が変わりました。
そして詠んだ歌です。

『夢の世に あだにはかなき身を知れと 教えて帰る子は知識なり』

夢のようなはかない身を、お母さんも生きているのですよ…と気づかせてくれた我が娘は、まさに知識(仏さま)であった…。
という意味です。
我が子が自らの身をもって、自らのいのちをもって、仏法に出遇わせてくれた、と、我が子の死に意味を見出していきました。

アニメ一休さんで知られる室町時代の臨済宗、一休禅師は、親が死に、子供が死に、そして孫が死んでいくことは、めでたいことである、とおっしゃっています。
孫が先に死に、そして子供が死に、そして最後に親が死んでいくことのつらさを表しています。

そして文末にリンクを貼っておりますが、
岐阜県にお住まいでした平野恵子さんという方は、残していく子供達に対し、

「死は親から子への最後のおくりもの」

という言葉を残され41歳で往生されました。

りんごさんのお母様が、
自らの身をもってりんごさんに示そうとしてくださる「死」という現実、
ぜひりんごさんの糧(かて)としていただきたいなと願っております。

最後に、長くなりましたが、
りんごさんが悲しみ、苦しみ、絶望の真っ只中にいる姿より、
りんごさんが、生き生きと、それぞれの分野で、輝いている姿を
お母様もきっと願われているんじゃないでしょうか?

仲良しのお母様のために、一人娘としてりんごさん、ぜひしあわせになってくださいね。

平野恵子さんのお手紙
http://www.kouseiji.com/blog/?p=1186

{{count}}
有り難し
おきもち

一緒に居られる今の瞬間を大切に

出会えばわかれる。生まれれば死ぬ。それは当たり前のことであり、頭でわかっているようで、分からない。わたしたちは、そうしたことに悩まされます。
お釈迦さまもそうでした。

別れというのは悲しいことだと思います。ですが、今は生きておられるのであれば、まずはその先を心配する時間はもったいないので、思う存分お母さんにためにできることをしてあげることでしょう。それしかありません。一緒に居ることだけでも、体を擦ることでもできることをすればいい。

別れが来たらまたその時にその時のありようがあるだけです。

先を心配し、悲しい顔を見せたらお母様がかわいそうでしょ。生きておられる今の瞬間を大切にしてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

2回目の人生を楽しんでくださいと祈ります

はじめまして、一妙寺の赤澤と申します。お気持ちお察し申し上げます。

私の母は4年前に旅立ちました、別れがとてもつらかったです。ですが今は供養をすることで納得しています。母の身に宿る魂を向こうの世界にきちんとお返ししなくてはならないという摂理に、賛同するからです。

日進月歩の医学ですが、古くなった細胞を若返らせることはできません。あのまま治療を続けて延命しても人の手を借りないと、食事や排泄ができない人生しか待っていません。母はそのことを望まないと思ったときに、別れを決心することができました。

そして今はこう思います。
この光り輝く新時代に新しい赤ちゃんとして生まれ変わって、今度は別の仕事に就いて、別の人と結婚して、2回目の人生を楽しんでくださいと。

私は母の生まれかわりに会えることを、心待ちにしております。ご参考になればと思い回答させていただきました。

{{count}}
有り難し
おきもち

サラリーマン家庭で育った私が作った小さなお寺。目指すは「アットホームテンプル」です。 無印良品のような本堂には季節のお花を挿し色に。礼拝と法話を大切にしております。

時間が解決してくれるかも

全人類の大半が、親と死に別れています。
そして、ほとんどの人は、その苦しみを乗り越えています。
あなただけが乗り越えられないはずはない、と思ってください。
すぐには難しいかもしれませんが、時間とともに乗り越えられるはずです。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

まず、祈る。 声かけは一方的であっていいです。

あなたがお母さんに働きかけて、お母さんが返事をしなくとも、
お母さんに、そっと優しく声かけしてみてください。
それが、あなた自身を一番救う方法です。
大好きだという事を声に出して優しく伝えてあげてください。
延命十句観音経を唱えてあげてください。
「観世音 南無仏 与仏有因 与仏有縁 仏法僧縁
 常楽我浄 朝念観世音 暮念観世音 念念従心起 念念不離心」

よみかた
かんぜーおん なーむーぶつ よーぶつ うーいん よーぶつ うーえん
ぶっぽうそうえん じょうらくがじょう ちょうねん かんぜーおん
ぼーねん かんぜーおん ねんねん じゅーしんきー
ねんねん ふーりーしん

マラソンを終えた直後、意識不明になられお母さまがすぐそばでこの延命十句観音経をずーっと唱えてくださったら生還されたというある立派なお坊さまがいます。

延命を祈り 孝行(こうぎょう)を尽くしてください。
私も、無事の生還を祈ります。

観世音 南無佛 与佛有因 与佛有縁 仏法僧縁
浄楽我浄 朝念觀世音 暮念觀世音 念念従心起 念念不離心

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

母上の病名が分かりませんが

母上の病名が分かりませんので、必ずしもよいご紹介にはならないかもしれませんが、私の知り合いが、がん患者遺族の会の代表をなさっています。

http://kirarakai.exblog.jp/

メールや携帯の番号も上記に書いてあります。この会はがん患者のみを対象にしていますが、代表者は、上智大学グリーフケア研究所で学んでおられるので、適切な組織または個人とあなたをつないでくれることでしょう。

代表者は大変信頼できる方です。お寺の出身でお寺さんではありませんが、仏教を深く学んでおられます。ご主人ががんで亡くなったことをきっかけにして活動をなさっていますので、まずはこの方に電話またはメールで連絡を取ってみてください。藤岡俊彦から聞いたとおっしゃってくださっても結構です。

{{count}}
有り難し
おきもち

個別相談可能
私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な者ではありません。むしろその逆で、しょっちゅう周りの方々にお尋ねして、教えてもらって生きています。質問について考え、答えようと悩むことで私自身が学び、僧侶として少しでも成長していけたら、と思っています。 youtube法話を始めました。私の名前ですぐ見つけていただきます。
本堂までWi-Fiの電波が届かないので、お内仏(家のお仏壇)のお部屋でお話します。

質問者からのお礼

藤岡俊彦様
早々にご回答いただきまして
ありがとうございます。

母の病名は肺ガンで抗がん剤治療中でしたが突然心不全で倒れました。

ご紹介いただいた方に連絡させて
いただきます。
ありがとうございました。

願誉浄史様
早々にご回答いただきまして
ありがとうございます。

いつかは乗り越えられるように
日々自分の人生を歩んでゆきたいと
思います。

ありがとうございました。

釋俊道様
ご回答いただきまして
ありがとうございました。
「死は親から子への最後のおくりもの」素敵な言葉ですね。

母はいつも私のことを心配してました。まだ意識が戻らずにいる母に
「心配しないで」と言いたいと思います。母が安心できるような幸せな人生になるよう前を向いて歩んででゆこう
と思います。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ