もう生きていても意味がありません
手もかからず、家族にとって自慢のできる娘、孫、兄弟になりたいと思っていました。
誰に言われたわけでも無く、ただなんとなく、下に兄弟がいるので1番上の自分がしっかりしなければと思ったからです。
猛勉強して進学校へ入り、なんとか名の知れた大学へも入ることができ、無事に就職して一人暮らしをして自立しました。
でも、弱い人間なので、逃げて妥協してばかりでした。
大学も就職も「もっと上を目指せるはず」と言われていたのに、自信がなくて、諦めて妥協して入学、入社しました。
親には「妥協してばかり」だと言われました。仕方ないですよね、自分がそうしてしまったのです。
自慢できるようなしっかりした人間になりたかったはずなのにこの有様。
下の兄弟は早くから自分のやりたいことをしっかりと見つけ、自分らしく自由に生きています。
とても素晴らしいと思います。同時に自分の不甲斐なさを痛感します。
家族にはそうやって迷惑をかけてばかりだし、友達という友達もいません。私が友達だと思っていても、私抜きで遊んでいたり旅行に行ったりするので友達ではないなと思いました。
今まで思い返してみれば人を傷つけることしかできないのです。
中学の時に友達を傷つけてしまい今でもとても反省して気をつけないとと思っているのにも関わらず、10年以上経った今も変わりません。
きっと、もう生きている意味はありません。そもそもこんな人間が生まれてきたことが間違いだったのだと思います。
身体を壊してしまったため、夏で今の職場を退職するのですが、転職活動をする気にもなれずにいます。
日々どうしたら死ぬことができるのか考えています。でも自殺する勇気はないのです。
どんな答えを求めてここに書いているのかもわかりません。ただただ生きているのがつらいです。
少なくともあと40年くらいは生きると考えると気が狂いそうです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
意味はこれから見つけるのです
これまでの人生が良くなかったなんて思わないでください。たとえ周りが何を言おうと、あなたは精一杯頑張ってきたのです。恥じることはないのです。特別何かをする必要はありません。今のあなた自身を、ありのままの自分を受け入れてあげてください。自分によく頑張ったねと褒めてあげてください。
妥協という言葉は、言い換えれば着実ということです。何も悪くないのです。あなたは着実に一歩一歩進むことができる性格なのです。素晴らしいことだと思います。
さて、お身体を壊されたとのこと心配です。治療の目処は立っているのでしょうか?健康第一ですから、どうかお大事にしてください。体が健康でないと心も健康で無くなりますからね。体と心は繋がっているのです。
転職は慌てなくてもいいので、少し気分転換してから始めてはどうかと思います。体調も気になりますし。
次はどのような仕事をするのか分かりませんが、どんな仕事でもそれが何処かの誰かの生活を、幸せを支えているのです。そのことを忘れないでくださいね。
生きる意味というのは、誰かに与えられるものではありません。自分で見つけるものなのです。まだ見つかっていなければ、これから探せばいいのです。大丈夫、着実な性格のあなたなら、きっと見つけることができると思います。
諦めないでください。
ご家族もあなたのことを見守っていると思います。あなたは1人ではないのですよ。
何を言ってるのよアンタは。
こんにちは。尊敬するお祖母様を亡くされたとのこと、お悔やみ申し上げます。宗派は存じ上げませんが、往生されますよう、お念仏お唱えさせていただきます。南無阿弥陀仏。
さて、私は貴女のお婆ちゃんではありませんが、この問いかけを見たら、「そうなお。あんたも辛い思いをしてるんだねぇ。でも、ただただ生きてるのが辛いだなんて、何を言ってるのよ」と仰りそうな気がします。
周りから自慢される子どもになりたかった。それはある意味、自然なことです。大人から受け入れられなければ、食べていけない・生きていけないのが子どもという存在です。
でもだんだん、「期待に添えない自分」に気づいていくのです。期待は無限大ですが、人間は有限ですから。それによって親の方も「自分の勝手な期待で子どもを縛ってしまっていた。もうこの子は自分で物事を決める時期なのだ」と、子育ての終了を迎えるのですが、そのちょっとした「次のバトンを受け取る人」がいなかったのでしょう。
そう。人は関係性の中でしか生きられません。「サピエンス全史」に出てきますが、「どれだけ周りの人と繋がるか。その量と質において、我々は非常に成功した(相当かいつまんだ私なりの要約です)」から、「人といかに関係を持つか」は非常に大切なのですが、貴女はそこに自信を失っているようです。
この文章を読んで感じる貴女のイメージは、決して「人を傷つけるしかできない」方ではありませんよ。ただ、「私は…しかできない」と思っているだけの人。「思っている」のは確かでしょうけれど、それだけなのでは?
人に笑顔を見せられる人は、どんな人かご存知ですか?
小さい頃、誰かに笑顔を向けてもらった、それが嬉しいと感じた人だけです。
貴女はいかがですか?ご両親が、そして、お婆ちゃんが笑顔を向けてくれた記憶はありませんか?
この世から笑顔を絶やさないためにも、貴女は誰かに笑顔を向けて欲しいのですがね。せっかくお婆ちゃんから受け継いだ笑顔が…あるんでしょう?
「人を傷つけた」ことについて、懺悔したいなら、ここでもできますよ。時折いらっしゃるでしょう、そういう方が。
質問者からのお礼
聖章様
お礼が遅くなり申し訳ございません。
回答ありがとうございます。
読んでいて涙が出てきました。
しかしやはり自分が頑張ったとは思えず、逃げてばかりの弱い人間だとしか思うことはできないです。
これからも何もできることはありませんが、なんとか生きていくしかないのかなと思います。
あたたかいお言葉ありがとうございました。
佐藤様
お礼が遅くなり申し訳ございません。
回答ありがとうございました。
「次のバトンを受け取る人」は確かにいなかったかもしれません。
長女ということもあり、無言の圧力のようなものがかけられ続けていた(いる)気がします。
そんな中で誰よりも殊にかわいがってくれたのが亡き祖母でした。
今の私を見たら何言ってるのよと笑いそうな気がします。
もう少し頑張ってみようかなと思います。
ありがとうございました。