自分が嫌です。
祖父が先日亡くなりました。
私はその事で涙も流さずに「あぁ、死んじゃったんだな」と思うだけでその後、ゲームをしたりと悲しむような感じではありませんでした。
そこで私は祖父の事が好きなはずなのに「そんなに好きではなかったのか」「悲しくなかったのか」と思うようになりました。
また、「涙を流せばそれでいいのか」、「周りに流されて悲しんだら祖父が可哀想ではないか」と自己嫌悪になりました。
自分の何とも思ってないような行動が嫌になります。頭の中がぐちゃぐちゃです。
私はどうすればいいのか教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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充分悲しんでおられますよ
まずはお悔やみ申し上げます。
日常的に死に触れているならまだしも、
好きな祖父が亡くなったという出来事は、非日常的であり、とてつもない出来事なんです。
こういう出来事に対し、人はいくつかのパターンに分かれます。
大泣きする人、受け入れられない人、怒る人、悲しみがわいてこない人等々…
どれも、愛する者との別れという出来事から、
自分の心を守るための行動なんです。
どれも間違ってません。そのまま自然でいいんです。
あなたが変なわけじゃないんですよ。
なにより、充分に悲しんでおられるじゃないですか。
こうしてここに質問にきて下さったんですから。
何よりの証拠です。
涙だけが供養じゃあリません。
たくさん手を合わせてあげて下さい。
おじいさんを「手を合わされる存在」にしてあげて下さい。
孫に手を合わされること、おじいさんきっと喜んでくれますよ。
それでいいんです
アポロさま。
しっかり悩んで下さい。
今はそうゆう時なのです。
死別の受け入れ方は人それぞれ、まして他者からは容易に伺い知ることの出来ないデリケートなものです。ですから、それに対する答えも人それぞれなのです。
なんでもすぐに解決出来る方が良いとされる今、逆に見えない答えを探して自問自答する時間は、あなたにとってとても意義のある事です。むしろ自己嫌悪するほどに、深く考える事がなければ、この先自分の本当の気持ちに気付くこともないでしょう。
私から言えるのは、あなたをこの様に悩ませるほど、お祖父様の存在は大きかったという事です。
泣いて悲しむしか知らない人は、泣いて泣いて泣きはらしたその先に答えを見つけます。
あなたは悩んで悩んで、自己嫌悪したその先にきっとあなたのお祖父様に対する本当の気持ちに気付かれると思いますよ。
質問者からのお礼
回答ありがとうございます。
時間をかけて悩んで、何回も祖父の所に行き、自分と向き合いながらじっくり答えを見つけたいと思います。
私はこれで祖父を喜ばせられるでしょうか。