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認められない

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自分は今までの人生で輝いたことが一つもありません。ずっと野球をやっていたのに試合にも出られません。勉強を頑張っても1番にはなれませんでした。歌が好きでカラオケに友達と行っても
けなされて他の人には褒めて、人間というものが
信用出来なくなりました。なんで人間は身勝手なんですか?なんで平気で貶したり騙したり出来るんですか?なんで自分の価値観を他人押し付けようとするんですか?なんで人間は残酷なんですか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

認められることが好きなのか

武蔵坊さんこんばんは
拝見しますと貴方には承認欲求があるみたいです。
歌が好きとありますね。それは認められたいから好きなのですか?
それとも単純に歌うのが好きなのですか?
貴方が好きだという気持ちは認められないと満たされないものでしょうか。

野球をやっていても試合に出れない、勉強しても1番になれない…

勉強の1番はどこにありますか?野球の選手になる為に続けているのですか?

貴方は上ばかりを見て藻掻いているけれどここで一度自分の足元を見て見ませんか。
貴方の原点にある気持ちは認めらることでしょうか、それとも単純に好きだからでしょうか。

世の中は残酷で好きってだけでどうにかなるほど優しい世界ではありません。
しかし、好きって気持ちがないと始めることも出来ないのです。

貴方の好きな気持ち、やってみたいことに他の人の意見なんて不要ですよ!
人の目を気にすることなく好きな事をやりたいことをなさるべきかと思います。

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個別相談可能
日蓮宗の僧侶をしております 祖山での修行、荒行を終え現時点での精一杯でお答えさせて頂きます まずは自分を好きになること、今の自分貶すのは仕方なくても今までの自分は認めてあげること 人生はピンポイントで見ると悲劇だけど、大局的にみると喜劇であるbyチャップリン 迷う時を凡夫と名付け悟る時をば仏と名付く 皆様のお悩みを一緒に考え少しでも悩みの手助けをできたら幸いです お寺に興味がある、個人的な相談が…とありましたら遠慮なくご連絡下さい 一緒に頭をひねってがんばりましょ!
九星気学や厄除け、憑物など。 個別相談は、hasunohaオンライン相談より受け付けています。お寺へ電話をいただいてもお返事しかねます。 またお越しいただいてのご相談は予約制となっております。

人間には競争心がある

誰でも自分が一番でいたいというような気持ちがあるのでしょう。
そうでなければ動物の世界も頂点争いをしません。
生物の世界においては種の保存の関係で強い生命が良しとされるのでしょう。
仏道の世界においては「正法」というものが求められます。
それは「ナンバーワン」でも「オンリーワン」でもなく「確かさ」というものです。
ある側面からすれば無上正等覚、最尊最上最勝と言われるほどですから、勝っているということで優劣があるじゃないかと思われるかもしれません。
ですが、それは「確かさ」という人間の思考を離れたありかたを説いているのです。
あなたがバカにされても、私がバカにされても、その事はすでに完了して「ばか」という情報から確実に分離したたった今の絶対の自己があるのです。それが「確かさ」です。
過去を振り返り、終わったこと過ぎた事を追い求めれば今を失う。今の確かさを投げ捨てて記憶という脳内情報に生きるようになる。
そういうのをやめて「今の事実」に徹する。
理屈を言えば鼻にも発芽時、つぼみの時があるように、人間はだれでもみな永遠の未熟、未完成、未成熟です。
エリート政治家が失言で失脚する。
世間中から叩かれる。
人間は何歳になれば完成か。
年数でも才能でも功績でもない。
いつでもその時のそこを「全う」しているでしょう。
どこにそこに善し悪しを言う審査員がいるのでしょう。
皆、自身の打ち消しが自分を低評価するだけでしょう。
反対に褒められたり、認められればうれしい。
ですが、大切なのは誰から批判されるかよりも、誰から認めてもらうかなのです。
たとえば私のここでの有り難し数が五万回どなたかから認めて頂いたとしても私にとってそれは認められた、ということにはならないのです。私の尊敬する師や祖師たちから認められなければ、それは真の評価とは言えないのです。
「恥ずべくんば明眼の人の言を恥ずべし」道元禅師

本当に恥ずかしいのはそういう心無い人たちにバカにされたりすることではない。
むしろ、そういう評価は真実の評価ではないから相手にしなくていい。
自分の「これだ!」という道に入って、その世界の超一流の人に指摘を頂いたり、評価をして頂いたことをよく受け止めて自身のありようを「確か」な様子に導いていってください。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

気にせず己の志す道を

拝読させて頂きました。
あなたにとって好きなことをやる前ややっているときは心はときめきませんか?
或はとても楽しく感じませんでしょうか?生きることに充実感を感じませんか?

皆それぞれ自分の意向でものごとをやっています。それが周りの方が賛同してくれることもあるでしょうしそうでないことも沢山ありますよね。

自分の好きな事ややりたい事そしてやるべき事は人から褒められるために評価されるためにやっているわけではありません。けなされても非難されても批判されてもそれほど気にすることではありません。別に人の為にやっていることでもありませんからね。ウケをねらってもその場限りのことですから。

自分の意志で何を志していきたいか、どう生きていきたいか、自分がこれからどうなっていきたいかです。ですから人がどうこう言うことも耳を傾けることは必要でしょうが、最終的には自分の問題ですから自分で判断することです。

人からの評価を気にしてやっていたのではあまり成長はありません。能率も上がりません。
それは必ず人の目を気にしながらやっているので真剣に考えて向き合ってやっているわけではないからです。つまり怠けてしまってムラがあるからです。そうするといつまでたっても成長はありません。その姿を人はどう評価するでしょうか。

大事なのは人の評価ではありません。ご自分が何を志してやっていきたいか。そして継続するかです。
やっているうちにいずれ周りの見方も変わって参ります。
気にする必要はありません。
いつの間にかそういえばあいつ最近かわったみたいだなぁ…、くらいでいいのです。

あなた自身が志すことを真摯に向き合いこれからご精進なさってくださいね。必ずや道は開けて参ります。そしてあなたが生きがいをもって生きて己の心も身体も輝いてきますからね。
どうか頑張ってくださいね!あなたを応援していますね!

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脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラーメンが有名な処です。)これからも皆様のご質問に対して誠心誠意回答させて頂きたいと存じます。まだまだ修行中の身ですので至らぬ点あろうかとは存じますが共に精進して参りましょうね。お寺にもお気軽に遊びに来てください。
ご相談は朝から午後5時まで受け付けております。 人間関係や恋愛のお悩み、自殺願望、大切な方の死に直面した苦しみなど、どんな内容でも構いません。一人で抱え込まずに、ぜひお辛いお気持ちを吐き出してください。 仏様や神様、ご先祖様は、いつもあなたを見守り、聞いてくださっています。あなたが少しでも穏やかな気持ちになれるお手伝いをさせていただきます。

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