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生きる目的とは

回答数回答 3
有り難し有り難し 22

現在理系の研究室に所属している学生です。

最近は就職活動や研究に追われていたため、精神的に疲れてしまいました。

様々な理由から研究も就職活動も同時に進める必要があり、自分は並列して物事を進めるのが苦手だったため非常に苦労しました。

周りの方々に相談しても直接的な問題の解決にはつながらず、結局は自分の力で何とかしてきました。

その後、精神的にはかなり疲弊していましたが、なんとか内定を頂き、就職活動を終えようと考えていました。

しかし自分の就職先に関して教授や両親、企業の方の意見が合わず、自分自身の考えも冷静さを失ってしまい、何も信じられなくなりました。

これらの問題も恐らくどうにかなると信じています。

しかし、困難を乗り越えても、何度乗り越えても、新たな困難にぶつかり、そのたびに疲弊します。

困難を乗り越えることで成長してるのかもしれませんが、辛いことばかりの人生を生き続ける意味が分からず、苦痛ばかりの人生は非効率的に感じます。

明確な生きる目的がなければ心が折れそうです。

生きる目的とは何なのでしょうか。
もしくは生きる目的を見つけるにはどうしたらよいのでしょうか。

よろしければご回答をお願いいたします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

人生は研究室

おかゆさん

あなたの質問を読んだだけで優秀な理系の学生さんという感じが伝わってきました。苦痛ばかりの人生は確かに非効率ですね。確かに!と納得してしまいました。

生きる目的は何か・・・一人の人間がめざす目的地は「死」であり「墓場」です。私たち人間はみんな生まれてから、その目的地に向かって生きています。明確な目的はそこに向かって行くことです。効率を考えたら、生きる意味が感じられなくなります。効率を求めたら、食事は流動食とサプリメントを摂取すれば良いことになります。お菓子や嗜好的な飲み物なんて意味がありません。それこそ栄養価がなくて非効率です。だからといって、お菓子もおいしい飲み物もやめてしまいますか?効率を求めたら、娯楽的なテレビやビデオや音楽も意味がありません。恋なんてトキメキなんて意味がなくて、メスならだれでもいいことになっていしまいます。

人生は旅のようなものです。旅に効率を求めたら、味気ない旅になります。旅は、様々なアクシデントがあって、天候によって計画を変えたり、そこで出会う様々なことに対応していくから、味わいがあるのではないでしょうか。道に迷って人に道をたずねたり、地元の美味しいものを食べたり、お土産屋さんでお店の人と会話をしたり、非効率であればあるほど楽しさがあるはずです。その「道程」にこそに意味があるではないでしょうか。

人生に効率を求めたら、なんの喜びも意味も見いだせなくなります。生きることが苦であると認識することから仏教は始まりました。苦悩から解放されるための答えを求めるのが人生です。人生は研究室です。そういう研究テーマを抱えて生きていくのです。死ぬときに、その人なりの研究の結論がでるのでしょう。だからこの研究は死ぬまで続きます。

その過程で、非効率的なことをたくさん経験することが研究の助けになります。気になる女の子をどうやってゲットするかとか、美味しいものを食べたり、映画を観たりゲームをしたり、音楽を聴いたりすることが役に立ちます。人と意見があわなかったり、なかなかうまくいかないたくさんの問題に遭遇することも研究を進めるうえでの材料になるのです。

あなたの優秀な理系の頭脳なら、論理的な研究結果が出せそうですね。応援しています。仙如

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有り難し
おきもち

お釈迦様の教えと瞑想法は苦悩の多いこの世を生きるための「船」のようなもので...
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道楽にする

就活に研究と、お疲れさまでございます。
色々と気概はあっても、少しお疲れの様子ですね。

「道を選ぶというのは、必ずしも安全な歩きやすい道を選ぶってことじゃないんだぞ」
これはドラえもんにある言葉です。
書いてあるように、困難を乗り越えることで成長はすると思います。
苦手の克服は大切ですよね。

ですが仏教は中道を説く教えです。
困難ばかりの道ではダメ。苦もあり楽も、どちらもある。
忙しくて余裕がないと人は周りが見えなくなります。
「忙しい」って文字の意味は「ボンヤリする」ですから。

さてさて、タイトルの「生きる意味」ですが…
これにズバッとお答えはできませんが、私も昔同じことを考えてました。
坊さんになりたての頃ですかね。
何もかもつまらなくて、しょっちゅう「これは何のためにやってるんだ?こんなことに意味なんてあるのか?」と自問自答しては、自らの悩みの渦中に飛び込んでいたと思います。

ある人の言葉に「人生の幸福は、仕事の道楽可」というのがあります。
学生が終われば、人は働かなくてはいけません。
仕事=人生ではありませんが、大部分を占めるでしょう。
それが道楽、熱中できて楽しいことになればどんなに幸福なことか。

私がこの坊さんという仕事を少しずつ道楽に出来だしたのは、
ひとえに「仏教を学ぼう」と姿勢を改めた時からでした。
道楽にするためには学びが必要みたいです。
学びとは"上達"です。
おかゆさんはまだ山の登山口に入ったばかり、
鬱蒼と茂る木々や悪路の道に、げんなりしてる感じですね。
でも、上に達してから見える景色は広々としていますよ。

すぐに仕事を道楽にはできませんから、最初は「道楽」を取り込むといいと思います。
友達と楽しく遊ぶ、旅行にいく、美味しいものを食べる等々…
積極的に道楽を取り込みながら、生きることを道楽にしていきましょう!

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有り難し
おきもち

困っている人や悩んでいる人にとって、仏さまの教えが少しでも良薬となれること...
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お互い様の心

おかゆ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。

生きる目的や意味や価値というものは、言ってしまえば、恣意的なものと言えます。最初から決まっているものではなく、自分でどのようにも捉えられるものとなります。

どのようにも捉えられるものであるならば、自分次第となりますが、もちろん、そういうわけにも参りません。

どう客観的に観ても、悪い状況、結果であれば、ただ目的や意味や価値を良いものだとしていても、単なる気休めにしかならずに、現実の問題の解決には何らとしてならないからであります。

とにかく、色々な状況においては、必ず因縁(原因と条件)があって、結果が出るものとなります。

つまり、善い結果を出すには、それなりの善い因縁は欠かせないというものとなります。

そこで、良い意味や価値や目的を見い出すにしても、善い因縁を調えることを疎かにしてはいけないものとなります。

もちろん、その因縁も自分ではどうにもできないものもあります。どうにかできる因縁は自分の努力で調えていくにしても、どうにもできない部分は、やはり他を頼り、他に依存していかなければならないこともございます。

善い因縁を調えていく中では、お互い様の心や感謝の心、助け合い、支え合いの心なども大切にしていくことが必要となります。

一人では乗り越えられないことも、他の助けや応援、励ましがあれば、乗り越えられることもたくさんあります。

あまり一人で抱え込まれずに、是非、周りももっと頼られることを。そして、助けてもらえたら、また自分も余裕ができれば助けれることを。

お互い様の心で、困難も乗り越えて参りたいものでございます。

川口英俊 合掌

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有り難し
おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。
道楽の考え方、勉強になりました。
また、上に達してから見える景色を見たいがために学ぶと言うのも良いなと感じました。
適度なリフレッシュを交えつつ、困難に立ち向かってみようと思います。

仙如 様
ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、効率に走ってしまったのは悪い癖でした。私も目的地を定めずにサイクリングをするのが好きです。
結論を焦らず、様々な経験を楽しんで人生を研究してみようと思います。

川口 英俊 様
ご回答ありがとうございます。
おっしゃる通り、私は様々な人から支援を受けてきました。その感謝の心を蔑ろにしておりました。考えを改めようと思います。
他者と協力し、また自身の努力も怠らぬようにし、困難を乗り越えようと思います。

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