hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

行動しない夫

回答数回答 2
有り難し有り難し 18

 夫は飲食店を経営しています。
若い頃から仕事第一で、自分の仕事にプライドとこだわりを持ち続けていました。
仕事に関しては相談も報告もなく、家庭は二の次にされていると感じていたわたしです。
ところが職人としては優秀だったはずの夫は経営者としては不適格だったのだと思います。
たくさんのミスをおかし、生活費も十分に入れられず、身体はぼろぼろになり、税金も滞納。
とうとう差し押さえの通知がきてしまいました。
これまでわたしの父から相続したお金で、生活費を補いながらやってきましたが、それももうなくなりました。
「息子たちの貯金や障がい年金に手をつけてまで、今の生活を続けるわけにはいかない。店を閉めて、働いた分お給料が出る仕事をしてほしい」と夫に話し、夫も「わかった」と返事をしたのですが、なにも行動をしません。
何もかもうまくいかなくて、心も体もしんどくて、動けなくなっているのかもしれません。
こういう時相談できる友だちもいないのかもしれません。
でも、夫が何もしないでいたら、状況はどんどん悪くなってしまうと思います。
苦しくても、かっこ悪くても、息子たちのことを考えて店を整理してほしいです。
わたしと夫とは、大事にしているものの順番がちがうから、わかりあえないのだろうか…
わたしの方が気づけていないことがあるのだろうか…
ご助言をいただきたいです。
よろしくお願いいたします。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

心の準備に時間がかかる。あなたが一緒に具体的な一歩を。

当事者と周囲の人とでは、時間の感覚が違う場合があります。
「何も行動をしていない」ように見えて、頭の中では「何から手をつけようか」と思案している場合があります。
誰でも、気乗りしないことについては、なかなか最初の一歩が出ないものでしょう。
しかし、具体的な一歩さえ踏み出してしまえば、次から次にやるべきことが明確に見えてきて、どんどん進む場合もあるでしょう。
あなたの方で、具体的に店をたたむには何をしなければならないかを調べて、旦那さんと一緒にそれをやってください。
子供の「これが終わったら宿題する」と、親の「まだ宿題してないのか?いつになったらやるんだ?」も同じ。
子供だって宿題やるつもりでいるんですが、待ってる親には待ち時間が長く思える。
それなら、宿題の1ページ目を親が一緒に開くのが早いのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

男のプライドを上手に活用

問題点はご主人のプライドだけです。
しかし、それは本当のプライドではありません。こだわりです。
誰もが自分の思い通りにいくであろうと思い描くものです。
ところが実際はそうはいかない。
自分で失敗したことは自分が一番分かっている。
そこをこれ以上責めても前には進めない。
だから前に進まなきゃいけない。
だけど夫がプライドが高くて、傷ついてうごけない。
夫は、あなたの赦しを待っている。
三度、赦しの言葉を投げかけてください。
そして、一緒に、次を行動するのです。
次に何をするべきか。まず、生活保護を受給するか、次の仕事をさがすか。
そこに一緒について、一緒に行動してあげることです。
スキルは持っているはずです。
そのスキルを使える畑(職場)を一緒に見つけてあげるのです。
この際、夫が駄々をこねようが、まずは生活優先です。
男性は「アナタならできるよ」「私は信じてるから」と上手に持ち上げながら、ヨイショして、とりあえず、一つでも積み重ねていくことです。
今から、家と夫のかじ取りはあなたです。
その自覚を持ちましょう。
夫からネガティブな言葉を言わせずに、お金がちゃんと得られるように働きかけをしましょう。
具体的に行動しましょう。
さっそくハローワーク、生活保護受給の為の手続きを取りに行きましょう。
あなたが、ダンナの小さいプライド(こだわり・執着)を上回る母親魂で立ち向かっていく他ありません。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

背中を押すお言葉をありがとうございました。過去にとらわれず、しなやかに今を生きたい。自分の中の感情の波をうまくコントロールしきれているとはいえませんが、くじけそうになったら、お二人のお寄せくださったお言葉を読み返し、勇気を出したいと思います。ありがとうございました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ