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「想い」を溶かして成仏させる?

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 あるセラピー系の本を友人に頂き、読んでみました。心を浄化させる、というようなタイトルの本です。

 この本には 「今を生きる」「ご縁にまかせる」「善悪をはっきりさせない」という内容の話もあり、なんとなく仏教の教えに似ている感じがしました。類似の本はたくさんあるようですが、この本は全体的に読みやすい本でした。 
 
 ところで、その本の中で気になる文章がありました。「自分の心に愛を注ぐことで、あらゆる想いを溶かし、想いを成仏させる(思いを光に返す)。」というような内容の文章です。

 読んでいて心が安らかになる感じがしたのですが、いまいち、ピンとこない部分もあります。

 「自分の心に愛を注ぐ」、「想いを溶かす」、「想いを成仏させる」という考えは仏教にもある考えなのでしょうか? あるとすれば、どのように解釈できるのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

自分を自分(自我)から開放することが仏教の愛

「自分の心に愛を注ぐ」…
愛されていることを自覚する。恩を感じる。縁を感じる。自分が一人で存在していないことに気づき、関係性によって存在させてもらっていることを自覚する。

「想いを溶かす」…
思いが私的に作り出されたものではなくて、自然に出てきているものであることを自覚することによって、心の内側からポンポン出てくる思いでも、こだわりが無くなって溶けていく。

「想いを成仏させる」…
その出てくる自分の思いが、自分のものでなくなった時、思いがただ発生するだけで問題にならなくなるので、想いそれ自体が自分自身に機能しなくなります。
自分の中の思いでありながら、自分の思いに影響、支配されなければ自分の思いを成仏させたことになります。

この様にして、無我という愛で自分を包むことです。
そうすることによって人は成仏します。

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考えで理解しようとしてもわからないこと

仏教でいう「さとり」というものは、思いをどうにかしよう、考え方で乗り越えよう、解決しようとしても、答えは出ません。頭の中をぐるぐると廻っている状態です。

「仏道をなろうというは自己をなろうなり」と言う言葉があります。
仏道を学ぶということは自分自身を学ぶことです。これは、思考の世界でどうこうすることではありません。事実に目を向けることです。「眼耳鼻舌身意」の六根を頼りに自分自身のありように目を向けます。

自分というこの体がどのようになっているのかが見えてきます。
心の部分でも同じように、取り扱わずにそのままにしておけば、瞬間瞬間で通り過ぎていきます。
思いはいつまでもそこにあるわけではありません。

「想いを溶かす」というのはよくわかりませんが、心の仕組みを知ることです。そして考えの上で理解していてもいっこうに分からないことです。

今現在のあなたのありようが、すでに救われているということです。それを事実として感じてみてください。六根をアンテナにしてそうすれば言葉は違えど、心について分かるのではないでしょうか。
実践あるのみです。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す...
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心を〈そちら側〉へ置いていませんか?

そもそも「自分の心に愛を注ぐ」とはいかなる状態でしょうか?心が自分の心なら、愛は誰がどこからどうやって持って来て、どういう方法で注ぐのでしょう。
心はどこにあるとも言えませんが、自分が居る以上は自分と共に在ると考えるしかありません。また、誰かの思いが通じてくるならば、誰かの心も誰かの存在を縁として在るに違いありません。この世とあの世の別なく。心は絶え間なく起こってきます。時には思いやり、時には憎しみ、時には怒りとして。
アテネの独裁者ペイシストラトスは紀元前534年、先住民族のディオニュソス神信仰を利用して独裁政治の基盤を固めようと「大ディオニュソス祭」を開きました。いのちを司る神の祭は、先住民族も侵略民族も都市生活者も農村生活者も悦び、ワイン産業も陶器産業も潤し、皆が為政者を讃えるだろうと期待されました。松明行列、ファルスと呼ばれる男根の行列、雄牛たちの供儀、合唱コンクール、そしてワインで洗った雄牛の生肉を喰いながらの夜を徹した乱痴気騒ぎ。その後3日間、ディオニュソス劇場で悲劇のコンクールが行われました。ギリシャの歴史と共に饗宴は続きましたが、年を経るうちに形骸化し、たぎり立つ原始的で素朴なエネルギーは失われていきました。
哲学者ヘラクレイトスはすでに、為政者によって創られた祭の真姿を見抜いていました。「彼らはディオニュソスを奉じて狂喜乱舞し、祭礼を行っているのだが、ディオニュソスはハデス(あの世の神)と同じなのだ」。そして、大地母神アルテミスを祀る神殿で子供たちとサイコロ遊びに興じつつ人生の幕を閉じました。神と祭を利用しようとする人間の意図など、儚いのです。
私たちの心には、ディオニュソスもアルテミスもハデスも、もちろん、調和のアポロンもいます。何に近づくか、遠ざかるか、あるいは何に成るか、成らないか。一本の糸である心を成す一瞬一瞬は、生まれ持った過去の因縁としての資質と、今の意志と生き方とによって紡がれます。糸は、自分も為政者も、弄べません。結果として紡がれることを忘れないようにしましょう。自分の生き方がどうなっているかをこそ、厳しく見つめましょう。自分の心を考えるならば……。

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質問者からのお礼

 邦元 さま  いつも親身なご回答、ありがとうございます。私は苦しい想いからとにかく救われたいという一心で、中途半端に色々な書物に頼ったりしてました。つい頭だけで考えようとしていたかもしれません。理屈だけではなく、六根で感じるのですね。今現在、すでに救われているとおっしゃって下さった言葉、ありがとうございます。   

  丹下覚元 さま  いつも分かりやすくご指導下さってありがとうございます。無我という愛で自分を包む、、、このお言葉をスマホにメモさせて頂きました^^。私が反省すべき点は、つい独りよがりになってしまい恩を感じない事、想いが浮かぶと頭の中でそれを膨張させてしまい、一人で苦しんでしまう事です。自分の想いに支配されないように、そして自我から自分を解放させるように、生活してみようと思います。

 遠藤龍地 さま  ご丁寧なご回答ありがとうございます。ご指摘されたとおり、私は「心」を独自に存在する物として、思考だけで解決しようとしていたのかもしれません。生き方をもう一度ちゃんと見直してみようと思います。私は世界史が苦手で、大ディオニュソス祭のお話は少し難解でしたが、何に近づくべきか遠ざかるべきかという事は、よく吟味して生きていこうと思います。

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