プロポーズは打ち合わせてするものですか
お見合いで出会った彼と結婚をすることになりそうなのですが、プロポーズに関してしこりがあります。前回のデートで、場所や段取りを全て打ち合わせし、次回のデートでプロポーズされることになっているのです。
雰囲気のあるカフェでプロポーズ→夜景を見つつデートの流れで、カフェの場所も見る夜景も決まっています。
一時期、彼が結婚後のことをあまりに具体的に話しすぎるので、私から「環境設定はいらないからプロポーズの言葉はしっかりほしい。それまで具体的すぎる話はしたくない」と伝えたことはあります。また、「もしどこかレストランでするつもりなら、お互い緊張しないでお料理を味わいたいから、先にプロポーズしてしまった方がいいかもね」と話したこともあります。
自分で布石を打ってしまったようなところもあるので彼のみを責められないとは思いますが、(雰囲気でわかる分は別として)もう少しサプライズ感が欲しかったというのが本音です。
「一生分のネタができた」「こうやって何でも相談してくれるのは結婚後は強みになる」「してもらえるだけでありがたい」と前向きに考える自分と、「プロポーズの打ち合わせなんて聞いたことがない!私の夢や憧れを返して」とイライラしたり落ち込んだりする自分を行ったり来たりしていて、次のデートが若干憂鬱です。
他人に色々言えるほど自分は大層な人間ではないのは承知していますが、このまま結婚していいのかとふと思ってしまいます。世の中そんなものでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
確かにネタ的ですね。
では、ふぅさん的には、
「一生分のネタができた」
「こうやって何でも相談してくれるのは結婚後は強みになる」
「してもらえるだけでありがたい」
のプラスと、
「プロポーズの打ち合わせなんて聞いたことがない!」
「私の夢や憧れを返して」
のマイナスとでは、
どちらが大きいでしょうか?
プロポーズはとても大切ですから、
ここでしこりが残るようなら、
熟慮すべきかと思います。
でも、ふぅさんが流せるなら、
受けましょうか。
「プロポーズ」は記号。実際の幸せが大事。
私達が意識で扱う情報のことを「法」と言います。
頭で考える概念や観念のことです。
仏教では、法は無我であると言います。
頭で考える概念や観念は、すべて夢や幻のように実体がない、ゆるぎない本質はない「無我」であると説きます。
別の表現では、「空」であるとも言います。
つまり、あなたが意識で、頭の中で思い描く「プロポーズ」という言葉は、ただの言葉・概念・観念、記号にすぎないのです。
法律で決まっているわけでもない、契約書で「プロポーズはこうします」と約束したわけでもない、怪しげな「プロポーズ」という概念のために、彼との現実の幸せを壊す必要はありません。
世間で仮に「プロポーズ」と呼ばれているもの、それが、あなた達二人に絶対必要なものなのか?
世間の「法」にあなた方が縛られる必要はあるのか?
世間一般の「プロポーズ」という記号から、はみ出しちゃってもかまわないのではないでしょうか?
実際に幸せなら。
質問者からのお礼
御回答ありがとうございます。
「けじめとしてのプロポーズ」ということを再認識できました。
彼の誠実さを感じてお付き合いを始めたので、今回のこともその誠実さの1つの表れ方だと思うことにします。
長い付き合いになるので、互いの傾向と対策もさらに分かってくるでしょうし。
邪心を持たず、お返事してくることにします。