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合掌の意味

回答数回答 3
有り難し有り難し 51

職場で、感謝の気持ちを込めて手を合わせて
「ありがとうございます」
を伝えていたところ、
私、仏様じゃないんだけど!!!
と二人の方に別々に注意されてしまいました。

勿論、誤解されてまでその方たちに行おうとは思いませんが、
一般的にその様な合掌は正しくないのでしょうか。

インターネットで検索しても、
外国の人が間違ってしてしまっているおかしな日本の文化だ!
若い人がするのを見るとイラっとする!
等あまりよく思われていないようです。

私にとっては、お寺さんやお墓、仏様で手を合わせることも、
いつもご先祖様や私たちを守ってくれている仏様やご先祖様達へ感謝と尊敬の気持ちで行なっていましたし、

ご飯のいただきますの合掌も、
食材や食卓に並ぶまでの多くの人たち、
食事を頂けるということへの感謝と尊敬の念を込めてすると教わり、
そうした気持ちで手を合わせてきました。

お坊様の丁寧なお辞儀と手を合わせたありがとうございます、の仕草が暖かさを感じ好きだったこともあります。

いつの頃からか、
ありがとう感謝します、有難いことです。
を伝えるジェスチャーとして、度々使っていたため、
ちょっとショックでした。

合掌のそのような使い方は正しくないのでしょうか?
お坊様のそうした合掌とはまた違ったものなのでしょうか?
本来、合掌の意味とはどんなことなのでしょうか?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

ナマステ

インドの方ではこう言い、合掌・低頭(おじぎ)して挨拶します。しかもナマステはもともと南無と同じ単語で「あなたに敬意を表します」の意です。チベットのダライ・ラマのご講演を拝聴したことがありますが、しょっちゅう聴衆に向かって合掌していらっしゃいました。日本でもお坊さん同士は合掌・低頭して挨拶します。
合掌が日本の文化なのかどうか疑問符がつきますが、少なくとも仏教の文化としては合掌で挨拶をされてイラッとする感覚の方ががおかしいです。

しかし、日本では実際にお坊様や仏様には合掌しましょう・一般の人には合掌しないようにしましょうというのが一般的になっています。そこは押さえておきましょう。
これは戦後世代に根強いです。もっと昔の戦前や幕末明治では逆に誰に対しても合掌し、ナンマンダブまでしているようなお婆さんが少なくなかったでしょう。
なぜかというと戦後生まれ世代には「仏事イコール死に関する縁起の悪いもの」という感覚が、病的に定着していることが関係していると思われます。戦前までは子供の頃、毎日お寺の庭で遊んでいたから「お寺は楽しいところ」、「大法要はお祭り」という感覚の人の方が多数派でした。しかし戦後世代になるとお葬式があって初めてお寺に行くような人が急に増え始めます。

供養という言葉も本来は生きているお坊さんに食べ物やお袈裟の布を寄附し、修行を応援することです。そして仏様や死者に対しても「そこにおわしますが如くに」(目の前にいらっしゃるように)供養するものです。ですので供養や仏事に死のイメージをかぶせるのは本末顛倒です。それが分からないから合掌されて気分を害し、「私、仏様じゃないんだけど!!! 」となるわけですね。もちろん誤解に誤解を重ねているに過ぎません。そのくらい戦後世代に広まっているイメージは間違いだらけです。

…が、挨拶して角を立ててしまうようでは、挨拶が挨拶になりません。そこは我を通さず相手を見て、相手に合わせましょう。対機説法です。

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おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
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尊いことですね

拝読させて頂きました。
私はあなた真心込めて感謝の気持ちを込めて合掌なさることは大変尊いことと思います。

一般的に合掌は「堅実心合掌」といわれて、嘘偽りない素直な心で感謝の念や懺悔の念を込めて行うものです。
合掌については多少宗派によっても呼び名や手の位置が違いがあると思います。

私達僧侶はお互いに挨拶では基本的に合掌しますので特に何も言われることはありませんが、日本の文化の中では合掌せずにそのまま低頭することの方が多いですし、学校教育でも礼が多いですから合掌が慣れない方々はやっぱり違和感を感じるのかもしれません。

又私も先ほど朝のお勤めを本堂でしましたが、その折は合掌してお念仏おとなえしお勤めしました。そのすぐ後に会館の中の神棚と境内の中のお宮参りしますが二礼二拍手一礼します。
その後の朝食で御飯を頂く感謝の気持ちを込めてお念仏おとなえして合掌していただきます、と申し上げます。
当然食べ終わった後もお念仏おとなえして合掌してごちそうさまでした、と申し上げます。
毎日の生活の中で気持ちを込めて礼をします。

ですから郷にいれば郷に従え、でしょうね。

大切なことはその気持ちがこもっているかですからね。

また仏教国のタイ等や仏教発祥の地のインドに行けばだいたい皆さん挨拶のときは合掌なさいますからやはり地域性もあるのでしょうね。タイでは皆さん笑顔で合掌して頂きますから、私も笑顔で合掌のご挨拶のお返ししますものね。

あなたも時と場合や場所で臨機応変にご挨拶なさって頂き、様子を見てくださいね。

いずれにせよあなたが感謝のお気持ちを込めて合掌なさり御挨拶なさることはそのまま尊いことですからね。

どうかこれからも感謝の念を込めて合掌なさってくださいね!

やはりなんでもそうですが、礼に始まり礼に終わる、が心がけとして大切ですね。

再度拝読させて頂きました。
有難うございます。
心よりお祖父様のご冥福をお祈り申し上げます。
南無阿弥陀仏
これからもお祖父様はあなたや皆さんをあたたかくお見守りなさってくださいますね。きっと皆さんのご成長を心から願っていらっしゃることでしょう。
そうですか!、ウチのお寺一向寺のご近所様なのですね!有難きご縁を感謝申し上げます。
宜しければどうぞお気軽にお寺に遊びに来てくださいね!お参りお待ち申し上げます。\(^-^)/

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おきもち

Kousyo Kuuyo Azuma
脱サラして10年が経ちました。栃木県佐野市の一向寺に勤めています。(佐野ラ...
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正しいですよ。

まりすけさん、こんにちは。

あなたの使い方は間違っていませんよ。仏道は合掌に始まり合掌に終わるのです。合掌はあなたに合わせますという誓いの形でもあります。あなたが仏教徒としての心を合掌で表したいのであれば気にせず、どうどうと使ってください。自身の価値観、ポリシーの問題です。

ただ日本も含めて全員が熱心な仏教徒ではないので、あなたの合掌の姿を理解しない人がいるのは当然です。日本文化の挨拶の基本は合掌ではありません。合掌はあくまでも仏教徒としての儀礼ですから、当然仏教徒でない方は不快に思われる場合はたくさんいます。特に日本は葬式=仏教のイメージが強いので死を連想して縁起悪いと考える人はまだまだたくさんいます。私も合掌をして、いろんな人から怒られたこともあります。するしないは自分で考えるTPOの問題です。私は気にせずに合掌をしますが、無理にすることもまた止めています。指摘されたら、無理に反論せずにその場は合掌しない事も多いですよ。心で合掌をすればいいのです。合掌という形だけに囚われるのもまた仏教の教えに反します。

 自分は相手を敬う形を現しているのだと信念があればそれでいいんですよ。相手の問題ではありません。そのためには仏教の修行もたくさんしないと形だけになってしまいますね。お互いがんばって合掌の意味を普及させましょう。合掌

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質問者からのお礼

大慈様、染川智勇様、kousyo kuuyo azuma 様
ご丁寧なご回答、ありがとうございました。
私自身、あまり仏教への造詣が深いわけでもなく、祖父や祖母、両親等から無意識のうちに受け継がれていたままでしたので、興味深く拝読させていただきました。

最近、祖父が亡くしました。
愛おしい存在を失くし、悲しくはありますが、死自体が神前での穢れであっても、私にとっては、仏様として私たちを暖かく包んでくれる存在に変わったのだなぁ。と感じており、
お寺もお墓もとても愛に溢れた優しい場所なのです。
その様に思えることも、有難いことなんだなぁと感じられました。

お坊様方には本当に感謝しております。

大慈様のお話は目からうろこでした。これを機になんとなくお家の宗派が仏教ではなく、深めていきたいと思いました。ありがとうございます。

染川様のご回答にはお日様が味方になって下さったような心強さを覚えました。有難いことです。

kousyo kuuyo azuma様
一向寺さんの前を子供時代よく小学校と学童の途中、駄菓子屋さんへ行く途中、行き来しておりました。
懐かしさと同時に、身近にkousyo kuuyo azuma様のような方がいて下さったこと、嬉しく思います。

皆様、
暖かなご回答ありがとうございました。心より感謝申し上げます。
合掌の気持ち、大切にします。

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YouTubeのオススメに「良い人・優しい人が損する理由はこれです」みたいな動画があったので、とりあえず観てみました。その動画には「ブッダの教え」というサブタイトルが付けられていました。 優しさと思いやりが、いいように利用され苦しむ主人公の話でした。 その後、主人公が見つけた答えは、 ①「自己尊重と他者への尊重のバランス(自分自身と他人の間に健全な境界線を引く)」 ②「自分の気持ちや考えを尊重してもらえない関係は健康的ではないと理解しそのような関係とは距離を置く」 ③「支援や協力が真に価値を持つ場合にのみそれらを提供するようにする」 というものでした。 私にはとても良い話に感じましたが「我を無くす」から遠のいてるようにも見えて、この話をどこまで鵜呑みにしていいのか迷っています。 「ブッダの教え」とありますが、この動画に出てくる登場人物名や逸話をネットで検索してもそれらしいソースが見つかりませんでした。 (生きにくさを抱えた現代人向けの創作?) ここでお坊様方にお聞きしたいのは①②③は仏教的に見て、実行しても大丈夫な内容でしょうか。 またお坊様方の考えなどもお聞かせ頂けたらと思います。 よろしくお願いします。 補足です。 私は優しさ・善良さとは程遠い人間ですが、周りではよく聞く話だったので、このテーマに関心がありました。

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