この問答を娑婆にも伝える
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自分を見る眼ができる
この心身に起こっている知覚はそれを知覚した時点で実際の真実です。
ところが、思い方は別物。
事実は一つであっても、解釈は無限にある。
心で思うことは事実を脚色する。
だから、思えたことは思えたことであって真実ではなく、脳内個人情報・脳内個人ドラマであったりするものです。
それを弁えたうえで、セルフストーリーに走らないように、事実をありのままに見たうえで、事実と照らし合わせたうえでブレやズレのない、思考や解釈で脚色されない❝直観❞とでも言いましょうか。
自分の想念やイメージに騙されずに実物を見る眼。
現代人にかけているのはここではないでしょうか。
他人のイメージ操作に捻じ曲げられずに実物を見極める眼。
禅は自己のありようを見つめ、事故が想念に染まる前の事実に目覚めます。
自分が自分に開眼するのです。
想念を交えずにものを見ることができれば真贋が開けたといってもよいでしょう。
{{count}}
有り難し
質問者からのお礼
丹下覚元住職様、コメントありがとぅざいます。
以前、心の眼で見てくださいと言われたことがあります。
自分のイメージで例えば、人の印象なんかを自分本位に決めつけず、見たまま真実を受け入れるということでしょうか。
ありがとうございました。