うつ病の友達
こんにちは。
私は今大学四年生です。
ついこの前、就職活動を終えたばかりです。
一緒に就活を頑張っていた友達が、まだ一つも内定を貰えておらず、更にうつ病になって、今就職活動を中断しています。
友達の症状は、何に対しても欲がない、外に出たがらない、一人でいると泣いてしまうなどの
無気力な症状です。
その友達は、就活だけでなく、まだ大学の単位も少し残っているのでこのまま休み続けると留年の可能性もあります。
私は、自分の就活が終わり、自分の心にだいぶゆとりが出てきたので、友達をサポートしてあげたいと思っています。
でも、友達はうつ病と診断され、私が何を言っても「うつ病だから」で話が終わってしまいます。
もともと、その友達は根はすごく明るい性格で、周りの人たちを巻き込めるタイプの人です。その性格からすると、今は180度反対の性格になっています。
うつ病のことは、お医者さんに聞けば詳しく教えてくれると思います。
でも、私はあえて今お坊さんに回答を頂きたいと思います。
医学上でのアドバイスではなく、
「人間の核心」に迫るようなアドバイスが何か得られるのではないかと思い、質問させていただきます。
難しい質問ですが、どうかご回答お願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
「成さざる」のこころ
うつ病…仮に本当にそのお医者様曰くのうつ病だとして原因を探るなら、「一緒に就活を頑張っていた友達が、まだ一つも内定を貰えておらず…」の部分でしょうか。
ただ、「もともと、その友達は根はすごく明るい性格で、周りの人たちを巻き込めるタイプの人」だということですので、「その性格からすると、今は180度反対の性格になっている」というのは質問者様からしたらショックだしびっくりだしお辛いことでしょう。
さて、抗うつ剤等の精神薬でコントロールできるのは、人間という生物の生態的な「発症や変化」の部分のみであって、根本的な「心情の運び」のリハビリは範疇としていない、と私は聞いております。
ならば「なったらそこでどう対処するか」だけではなく「ならない為には本来どう在るべきか」のところが、私たちの教授し得る範疇となるのでしょう。
ご質問から察するところお友達は、一見明るく楽天的な姿を普段から見せていたようですが、逆に言うとそれが彼?彼女?にとって自己の弱点を包容するひとつの「こころの楯」として置いていたのかな、と想像するところです。たぶん正直なご自身のこころは、打たれ弱い自己本来の性格を元々分かっていたんじゃないかと。だからこそ明るい自分で居たかったんじゃないかな。でも、今回降りかかってきた現実は予想よりもはるかに強烈だったため、その大事な「こころの楯」はそれを防ぎきること敵わず脆くも… 例えば今回じゃなくても、それは遅かれ早かれどこかで露呈する「メッキの奥の地金」部分だったのかもしれませんね。
底をついてこれより下がない所まで来たならば、あとは上がるだけです。何かをしてそれで生まれる「結果」というもの自体には、言いも悪いも本来ありません。そこに善し悪しの評価をしているのは他の誰でもない自分自身のみだということ。ならばここから先歩む人生を楽しんで生きていくためには、今後どう在るべきか。固定観念・予想判断・類推解釈・前例想起…などなど、余り「思い」を前後左右に広げすぎると躓きやすくなります。
宜しければこんな感じでお友達に声掛けしていただきながら、傍らで手を取り、根気よく見守ってあげてください。お願いいたします。私なりの回答は以上です。
つかず離れず支えになってあげてください。
カフェモカさん、こんにちは。
友達が鬱病になって心配されているんですね。素晴らしい友達思いですね。
病気の治療は専門家に任せるとして、友達にとってあなたは必ず心の支えになる友達になると思います。鬱病の治癒は時間がかかりますので、もしかしたら留年するかも知れません。でも人生は長いので、そこから見たら小さなつまずきでもあります。留年をあせって無理に「がんばれ」とアドバイスするのは動くことができない鬱の人にとっては辛いことになります。カフェモカさんも今の友達の状況はあまり気にせず、挨拶メールぐらいにとどめておきましょう。たとえば「おはよう。今日は天気がいいです。」とか「おはよう。きれいな花がありましたよ(写真)」とかです。それを続けてください。彼女にとってあなたのメッセージが楽しみになると思います。そして友達が自分を振り返ることができるよになった時に、必ずあなたに助けを求める時が来ると思います。その時にいろいろとアドバイスをしてあげてください。
長くて反応のない時間が続くと思いますが、是非カフェモカさんがあきらめず友達を救ってあげてください。応援します。合掌
誰でも病気になる
生き物には、生・老・病・死という変化が必ずあります。
それらの変化は、ことごとく苦しみであり、そのような変化・苦しみに対処・対応し続けることが生きることなのです。
たとえば、生まれるとき、赤ちゃんにとっては今まで快適に暮らしていた母胎から追い出されるわけです。強制的に追い出されるわけだから、苦しいはずです。しかし、胎内にしがみついていては赤ちゃんは死んでしまうでしょう。
無事出産されたら、息をする必要が生じます。息を吸わないと苦しいから空気を吸う。吸ったら今度は吐かないと苦しいから吐く。息をしなくてはならない苦しみは一生続きます。
そうこうしてると、やがて、人は必ず病気になります。
あなたの友人の場合は、脳・神経の病気になったわけですが、内臓の病気だったり、足腰のケガだったりも病気です。
もっと広い意味では、空腹や、呼吸しなくてはならないことも病気と言えます。
呼吸や食事などの対処(治療)をしないと死ぬんですから。
若くして重病になる人もいます。
病気で学校に行けない子供もいます。
ご友人の病気はうつ病ですが、足を骨折して学校に行けない人と基本的には同じです。
病気になった場所が足ではなく脳・神経というだけです。
病気のせいで人格が変わる場合があります。
諸行無常。人間の心も天気のように変化するのです。
うつ病だからと、特別に変な人になったとは思わずに、こういう病気の症状なんだな、と受け入れてあげてください。
足を骨折している人に対して「頑張って走れ」とは言わないでしょう。
うつ病の人に対しても、できないことを無理強いしても本人は苦しむ、と理解しておきましょう。
なお、普段から身体を鍛えていればケガをしにくいように、普段から心を鍛えていればうつ病になりにくい可能性はあります。
仏教は、心を鍛えるのには役立つと思います。
質問者からのお礼
回答をくだざったお坊さん、本当にありがとうございます。
回答を読みながらメールを送ったり、少しずつ取り組んでいます。
その友達(女の子)がお医者さんから、少しずつ良くなってきてると言われたことを、先日報告してくれました。
うつ病でなくとも、為になるご回答でした。
ありがとうございました(^^)