hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

母との関係が拗れてきています

回答数回答 1
有り難し有り難し 10

事のはじまりは母親が家族に何の相談もなく、いつの間にか引越していたことです。母と父の関係は破綻しており、元々別居しておりましたが私が手を離れた途端に母は誰にも何にも言わずに住居をかえておりました。

それを知った私は正直に不愉快でした。夫婦関係が破綻しているのは知っていました。しかし、まるで私がいたから出来なかったと言わんばかりの引越し、しかも相談はおろか一言もなし。

更に当人はそれに悪気を感じてもいません。

父は悪い人ではありません。破綻したのは私の小さい頃なので理由は知りませんが、破綻させたのは母です。

もっと言えば私達兄妹にかかるお金の問題とも聞いていますので、それらについては私達は何も言えませんでした。

最近、私の仕事は忙しくてなりシステムの入れ替えの関係で盆も正月も帰れないと連絡をしました。

それを聞いて母は帰りたくないなら帰らなくていい、言い訳しなくていいと語り、そんな休みのない企業はブラック企業だ辞めてしまえと言うのです。

説明は受けいれて貰えず、また私は母にそこまでして理解して貰いたいとも思えず、最悪絶縁になってもどうでもいいと思ってしまっているので、どうすればいいのか困惑しています。

母を許せない気持ちはずっとあります。それをしまいこんで笑顔を浮かべて気を使ってきました。限界です。嘘には疲れました。

母は今の私の好きなものも嫌いなものも、どんな生活を送ってきたのかも、何を考えてきたのかも何一つ知りません。当然です、話したことはないですから。

それでも母親面をして、これが好きだったよねと言われ、私は嘘をつきながらありがとうと言ってきました。

母にとって私は人形なのでしょう。都合のいいことを常にしてくれる人形。でも私は人間です、もう限界です。

理解しようとしない母。理解をそもそも求めていない息子。

このままでは遠くない未来私達の関係もまた破綻するでしょう。私はそれでもいいのです。

いいのですが、それは多分将来後悔することになるだろうとも思います。

どうすればいいのでしょう、私はまた人形として振る舞えばいいのでしょうか?心の中にドス黒い澱をためながら。

話し合いは無駄に終わるでしょう、そうやってあの夫婦は破綻しましたから。何が言いたいかわからない文章ですみません、お答えいただけたら幸いです。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 1件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

あなたが女性と母親と人間と自己を理解する。

お母さんはお母さんの人生で、お母さんの視点です。
あなたは息子さんですから、あなたの目線でものをみても気持ちを理解できていないと思います。
お母さんとお父さんとのやり取りを、お母さんの立場で理解することが大切です。
それをせず、あなたの立場で理解しようとしているから苦しいのです。
それは俺の気持ちもわかってくれよ、ということを優先させているのです。
悪いことではありませんが、別問題として、お母さんの問題はお母さんの立場としてのこと。
現に今の結果が真実なのですから、そこをよく理解してあげてほしいと思います。
本当に血の通ったコミュニケーションを今からこそやるべきではないでしょうか。
お母さんの気持ちをまず理解しましょう。
「普通だったら」「なんで」「俺だったら」「俺はこう思う」というあなた目線の理解の仕方をやめましょう。
確かに人間、誰でも自分をやっています。自分のことしかありませんよ、ぶっちゃけ。
お母さんはお母さんなりに、お父さんはお父さんなりに、あなたもあなたで自分のことしかないものです。実際、あなたが今、お母さんを問題にしている。自分がこうであったらいいなと思う。それを思っている場所、箇所は全部あなたの内部です。
あなたの内部で思っていることと、お母さんが一人暮らしをされてどういう心境でおられるかは全く別物です。
母親を救ってあげることです。
一休禅師をもお母さんを救ってあげようと苦心しました。
仏教、仏道とは、己の道じゃない。
この自己が他人様をより大きくする道です。
あなたがもっと大きくなろうと思うのであれば、一家一族をみんな自分が救ってあげようと思う心をめらめらと燃やすことです。
その心を起こしさえすればご両親を救えなくても、あなたの心が常に向上し続けようとするのです。
それが菩提心です。
あなたに必要な心は菩提心です。
菩提心とは自分が未熟でも相手の力になってあげたいと発願し、実行することです。
あなたの菩提心の起こす高さがあなたを救い、お母さんを救い、お父さんをも導き、万人をよりよくさせるのです。

{{count}}
有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ