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就活中の悩み

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大学4回生の22歳女性です。

私は、今就活中です。
しかし、面接や説明会に行くのに心が疲弊してしまい、うつっぽくなってしまったので、1カ月間就活をお休みしている状態です。

その1カ月間に本当にしたいことは何だろうと自分と向き合いました。
本と接客をすることが好きなので、本屋さんで働きたいなと思いました。 今まで、ファーストフード店ではアルバイト経験があるのですが、本屋さんで働いたことがないので、経験を積むためにも、本屋さんでアルバイトをこの夏にする予定です。

本屋さんで働けるのなら、正社員じゃなくてもいいかなと今は思っています。親も正社員になることにはこだわりはないと賛成してくれています。

しかし、将来の安定であったり、せっかく大学を出たのに新卒で正社員にならなくていいのかなど不安になってしまいます。夢に出てくるくらい不安におしつぶされそうです。
また、周囲の人は気にしないでおこうと思いますが、正社員で働いている人たちってかっこいいなぁとかキャリアアップしていくんだろうなと羨望のまなざしで見てしまいます。

頑張っていない自分が嫌です。

こんなもやもやしている私に、なにか助言をしていただけると幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仕事は肩書きや立場ではない、人間一生勉強

できれば大学で学んだことを生かして、就職できればいいのでしょうが、ほとんどの人はそんなことないんでしょう。私も仏教系大学に行っていましたが、ほとんど勉強もしないで遊んでばかりいたので、全く役に立っていません。(後悔しています(T_T))
しかし、人間一生勉強です。仕事に就いてからその仕事にかかわる学びを深めることもいいと思います。本屋さんで働いたり、図書館で仕事をしたり、本を多くの人に進めるためにどんな工夫があるか研究したり、子供のために読み聞かせ会を企画したり深められることは多くあるのではないでしょうか。
正社員でなくてもやりがいのある仕事はあると思います。
主婦のおばちゃんの中にはスーパーマーケットなどでスペシャルスーパーパートさんがいたりしますよね。正社員ではなくても正社員をしのぐ存在になったり、いつかは独立したりすることも考えられると思いますよ。

人間生まれながらに自由な存在。名前や性別、家柄、肩書きそんなものに振り回されなくていいようにこの体はできているのですよ。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

人生で大切なのは心の強さ

心が強ければ何でもできる!(猪木風に)
あなたの心は強いですか?
モノを眺めるときに思いでみていませんか?
自覚があれば坐禅会に来ていただき、自分に向き合う力を持つことです。
モノに触れる、人に出会う、ことあるごとに自分の思いを暴れさせていたずらに自分を苦しめる。
それがあなたを世界一弱くさせる心の働きです。
エリートさんでも心の強さがなければ飾りを身に着けているだけです。
心の強さを求めてください。
あなたが今求めているもの以上の力になるでしょう。

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おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

早々のお返事ありがとうございます。
心の強さ、確かに大切だと思いました。 心の強さを手に入れると、自分を後押ししてくれる大切なものになるのではないのでしょうか。 座禅会に夏休み行きます。 そして、真剣に自分と向き合いたいと思います。 

人間一生勉強ですね。 まだまだ未熟で一つの考えにとらわれすぎていたことが分かりました。
分かりやすい判断基準に振り回されないためにも、日々精進していきます。

お二人ともありがとうございました。(2017年7月31日18時11分現在)

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