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生きづらい

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はじめまして。
ここ数ヶ月、毎日が辛いです。
もともと病気がちだった母が数ヶ月前に体調崩し、同じ頃に父の事業が良い状態でなくなりました。私もあまり身体が丈夫ではないため、今まで就職はせずアルバイトや家事を手伝ったりしていました。
家計の事情もあり急遽、就職せざるを得なくなり仕事を見つけて働き出し現在、数週間です。
母に対してはいつも「大丈夫?」と必要以上に心配し、感情の起伏か激しい父には機嫌を損ねないように気を遣い、機嫌が悪い時は怯えています。

昔から大きな音や声、乱暴な言葉、ペースを乱される、焦らされる、同時進行で色々する事、命令される事などが苦手だったのですが、ここへきて極端にそう感じる事が多くなりました。
仕事では簡単な事でミスを連発し、仕事を教えて頂く時にも「一度しか教えない」「失敗するな、失敗したら怒られるよ」と言われると怖くてパニックになってしまいます。
仕事でも家でも気が抜けず、肉体的にも精神的にも疲れてしまいました。今は休みの日も家でのんびりする事さえ許されません。
一日中、消えたい…死にたい…の繰り返しです。死ぬ場所と方法をいつも考えています。社会、会社、家にも貢献できず、生産性もなく、誰かのストレスになっている自分に価値を見出せません。情けないです。
甘えだ、怠けだと言われても仕方ありませんが、私は明日を、今を生きたくありません。
以前は家族仲も良かったです。私も明るい性格だったと思います。今は本当の自分がわかりません。
好きな人にも裏切られました。なのに喪失感が大きすぎて縁を切れずにいます。
もう、生きていく気力も欲もありません。泣きわめきたくても涙すら出てこず、ただ死のうと思いながら死ねない日々が辛いのです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

親は親、あなたはあなたで

就職して仕事を始めたところとのこと、数週間ではまだまだ慣れないでしょう。失敗して当たり前、怒られるいことも時にはあるかもしれませんが、あなたを叱っているのではなく、あなたの失敗について言っているだけです。あなたの人間を否定するようなことはまずは言わないでしょう。もしそんなことを言った人がいても、それはそれ、ただの音だと思って聞いていたらいい。真に受けて全部真剣に考える必要なんてありませんよ。
仕事に慣れるまで、少なく見ても半年ぐらいはかかるでしょう。でも、先は見ないこと、今いるこの場をしっかり生きていたら知らないうちに要領を得てくるでしょう。

あなたはとても優しく真面目な性格なんでしょう。
怒られること叱られることはあっても命を奪われたり暴力をされたりすることはまずありませんから、仕事は安心していていいのだとおもいますよ。同僚の噂話もほどほどに聞いておきましょう。

家庭内でのこと。とても居心地が悪いのでしょう。お父さんは思うようにいかないイライラを家族に当たっているのでしょう。家を出てしまうのが良いかもしれません。家族のために働くということかもしれませんが、お父さんはお父さんで、いきいきと生きられる道を見つけなければならないし、あなたはあなたで、充実した愉しい生活をおくる権利がありますから、もしどうしても居心地が悪いなら、親のことは自分たちでどうにかしてもらうことです。決して悪いことではないですよ。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

失いの本質を見極めに来てください

喪失感。
それは誰もが恐れる人間共通の心理です。
その中身を明らかにしたければお寺の会にお越しください。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

質問者からのお礼

邦元 先生
ご回答ありがとうございます。お礼が今になりまして申し訳ございません。
先生のお言葉、身に染みています。経済的な問題もあり、すぐには家を出ることはできませんが貯金しようと思います。私自身も親に甘えているのだと思います。情けないです。
仕事に関しても、気分が落ち込んでいる時はすべてのことを間に受けて、気持ちがカラ回りしてしまい、堪え難い時間を過ごさなければならない時がありますが、なんとか耐え、今日まで生きています。ありがとうございます。

丹下覚元 先生
ご回答ありがとうございます。お礼が今になりまして申し訳ございません。
お伺いしたい気持ちはございますが、今は物理的に困難です。ありがとうございます。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ