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自分に自信を持つ方法はありますか。

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有り難し有り難し 9

私は今、幼稚園教諭になるために就活をしています。

しかし、元々自分に自信がないのと、失敗したらどうしよう、という不安を拭うことが出来ず、面接になると頭が真っ白になったりどもったりしてしまいます。
いくら失敗を恐れないようにしよう、自信を持って明るくハキハキと答えようと思ってもうまくいきません。

最近は悲観的になりやすいという短所も相まって、うまく話せない自分が嫌い、親の期待に応えられない自分が嫌い、と、どんどんネガティブ思考に陥っています。

自分に自信が持てるような考え方や、人と話す時に緊張しない方法など、おありでしたら是非知りたいです。
要領を得ない質問で大変申し訳ないのですが、お答え頂けましたら幸いです。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

眼を見れるようになるだけでいい

人は人の目を見れないとダメです。
人は人の目を見た時、そこに自分勝手な妄想に影響されてはいけません。
人は人の目を見る時、そこにその人が話す言葉以上の本物がそこにある事を知るべきです。
人が人の目を見る為には、いきなりその人の目を見ずとも、眉毛ぐらいはみてください。
人が人の目を見れば、その人がどんな人かが分かります。
人が人の目を見る中で、その人が単に困っていることを理解し、そのとげを抜いてあげてください。
子供の目をみてください。
本当に純真、純粋です。
そこに自分の勝手な解釈を添えることよりも、本当にそこで起こっていることを感じ取れるようになってみてください。
大人の目を見るとき、そこに「観る」事が生まれる。
相手は保護者だ、こんな風になったらどうしよう、なんか問題あったらどうしよう。
「それは相手ではなくあなたの思いでしかない」
明日から大人の目をみる時、大きな子供なんだと思って観てください。
言ってることが、攻撃的であっても、たんにそれは大きくなった子供が、アタシ、悲しいよ、ボク、こうしてほしいんだよぅと言っているのだと分かってあげてください。
今、あなたは私の眼を見れません。これはネットです、文字です。
そして、そこに勝手な解釈を加えてしまってはいけません、
それはあなたの解釈であって、あなたの中での語らいであって、私のイイタイ事ではありません。
それがわかれば、あなたは、私のイイタイ事が感じ取れるはずです。
それが目を観るという事です。
感じ取る。
分かる。
理解する。
同じ人なんだと気づく。
問題は実にシンプルだったと気づく。
何もたくさんやることがあるんじゃない。
私はオボーサン。人の心の苦を抜き、安楽を与える。
あなたはセンセー。子供と親、人の心の苦を抜き、安楽を与える。
人の目を見れるようになると、自分の中の思いと語らないようになる。
人の目を見れるようになると、ちゃんと現実のその子、その親と対話できるようになる。
自分の思いと語らなくなる。真実とのみ会話するようになるから、恐れが無くなり、自信を持つようになれるのです。
あなたは明日から勇気をもって人の目を見ることの大切さを思い起こし、そうすることが楽しくなり、使命すら感じるはずでしょう。
そういう仕事魂が生まれた時、人は自信に満ち溢れる。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

自信は経験とともについてきます

私も、教諭の端くれですのでお気持ち分かります。
就職する前は不安でしたし、自信なんてありませんでした。
ひとえではなすことも苦手意識が強く、とても緊張しながら仕事していました。しかし、そんなことも、素直に子供と向き合い、子供がそばに寄ってきてくれれば、それでほぼ解決。自身にもつながります。最初から自信満々なかたのほうが職場では受けが良くないと思いますよ。
先のことは心配せず、今やるべきことをやればいいだけです。

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有り難し
おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

お答え頂きありがとうございます。
自信を持てていないのは自分だけだと思っていましたので、自分だけではないということを知ることが出来、ほっとしました。
今度また別の幼稚園を受ける予定なので、邦元様のお言葉を胸に、今出来ることを全力でしたいと思います。
この度は本当にありがとうございました。

お答え頂き、ありがとうございます。
確かに、私は自分がどう見られるかに執着するあまり、子どものために在るということを忘れていたように思います。
無知故、丹下様のおっしゃったことを全て理解するには時間がかかると思います。しかし、相手の目を見て、相手と対話出来るようになるために、今までの考えを改めたいと考えております。
この度は、本当にありがとうございました。

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