hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

施餓鬼会について

回答数回答 3
有り難し有り難し 16

水施餓鬼と本施餓鬼の違いを教えて下さい。

当寺院では水施餓鬼(7日、16日のどちらかで墓参りと回向)と本施餓鬼(16日で新盆者回向と先祖回向)が行われます。どちらも先祖供養等で有り、回向料も高くなりますしどちらか1回で良いのでは無いでしょうか?お寺でお念仏を唱えて頂き、その後お墓にお参りすれば一日で済むと思うのですが・・・お寺の収入確保としか思えません。
施餓鬼会の起こり等は理解しています。知恩院本山に尋ねても分かる者がいないとの返事でした。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

初耳ですので調べてみました。

①川施餓鬼、浜施餓鬼などの名前で呼ばれる地域が多く、元は水難死した人を供養するものであったようです。地域によっては戦災死した人々の供養も兼ねているそうです。

②全国でお盆に川で灯篭を流す風習がしばしばあります。これは本来、川施餓鬼(水燈会)のクライマックスで行われていたものが、時代と共に施餓鬼の作法が廃れてしまい、灯籠流しだけ残ったようです。特に京都宇治の黄檗山万福寺では昔から有名で見物の客船が数千も出たほどでした。
同じく京都の旧記によると、水燈会で供物ならびに蝋燭に火をつけ、読経して宇治川に放つことで迎え火をしていたようです。
※ここまで参考文献(竹林史博『仏教と生活2 施餓鬼』青山社、平成25年)

ジョージさまのおっしゃる「施餓鬼の起こり」というのはおそらく盂蘭盆経などに基づく有名な話だと思いますが、こうしてみますとそれ(本施餓鬼)と水施餓鬼にはほぼ関連がないように感じられます。

前掲書で読んだ限りではむしろ地域性が強い風習という感があります。おそらく宗派の教義ではありませんので本山で把握していないのは自然です。ひょっとしたら大昔に大きな水難があった地域なのかもしれませんね。

あるいは通常は川岸や浜辺など水のある場所で行われるのに対し、ジョージさまのお寺の場合はお墓参りをされていることに特徴があります。ゆえに迎えや送りの意味合いが強い可能性は大きいでしょう。 先に挙げた水燈会とは逆に、灯篭流しが廃れて迎えの読経だけが残った、もしくは伝わったのではないでしょうか。

あくまで私の勝手な推測です。

{{count}}
有り難し
おきもち

曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み)。仮面系お坊さんYouT...
このお坊さんを応援する

施餓鬼会は救抜焔口陀羅尼経にある目連尊者の前に餓鬼が現れ施しを願う話しが由来と言われております。また、さらに遡れば餓鬼事経にある餓鬼への施しの話しが始まりであろうと思われます。
浄土宗では一般的に年に一回施餓鬼会が行われています。これは、過去に阿弥陀仏の救いを知らずに餓鬼道へ行ってしまった人達に食べのも等を与え極楽浄土に往生するように祈り、その結果得られる功徳をご先祖様や亡き人に振り向け(これを回向といいます)、彼らの極楽浄土での生活や仏道修行の助けにする為です。
なので、本来は水施餓鬼と本施餓鬼と区別したりしません。大慈さんの言われる通り、その地域での昔からの風習なのだと思います。水難の多い歴史があるのかもしれませんね。本山もその地域の独自の風習ゆえに知らないのでしょう。
結局はあなたの気持ちしだいだと思いますよ。
2回必要と思えばその気持ちに従い、1回でいいと思えば1回でいいですし、浄土真宗のように先祖は皆極楽浄土に往生しているから施餓鬼会自体が不要と思えばしなくてもいいです。あなたが安心するようにお勤めくださいね。
ちなみに施餓鬼についてはこんな質問と回答もありますので参考まで。
https://hasunoha.jp/questions/183

追記
そこまで広く深く思うことができたら十分過ぎるほど十分ですよ(^^)南無阿弥陀仏

{{count}}
有り難し
おきもち

私は浄土宗の坊さんです。 少しでも何か参考になればと思って回答しています...
このお坊さんを応援する

昔は、仏教行事は楽しみだった

もともと別の行事だったのが、たまたま同じ時期になったのかもしれません。
いずれにせよ、昔の人は仏教行事が楽しいイベントだったし、お坊さんに布施することも喜びだったのだと思います。
だから、たくさんの仏教行事ができたのでしょう。

{{count}}
有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
このお坊さんを応援する

質問者からのお礼

聖章上人ご回答ありがとうございました。
水施餓鬼と本施餓鬼が行われるのが地域性である事が分かりました。
お釈迦様が解かれた本質は、餓鬼への施しだけで無く、先祖や無縁の諸精霊を供養すると共に自身の福徳延寿を願い、さらに自身に巣くう「餓鬼」の醜い心を反省し、生かされている喜びをしっかり受取め、救われる功徳を積み重ねて行く事が大切であるとおっしゃられているのでは無いでしょうか?

大慈様、色々調べて頂き、ご回答ありがとうございました。
水施餓鬼と本施餓鬼を行うのは地域性である事が分かりました。

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ