回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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お坊さんが口を出すべきことではないと思っています
↑というのは率直な本音ですが、一方で山本太郎議員の振る舞いはお葬式に対して失礼だとも思っています。笑うトコですよ?
戦争をできる国にするなという意見も分かります。戦争したくなくても攻め込まれてしまうのだという意見も分かります。戦争という一つのベクトルとして考えるなら、ぶっちゃけ日本一国の国体で論じても仕方ないとも思いますしね。理想の必殺解決方法なんて存在しないんですよ…
ただですね、そもそも相手の意見を断固はねのけようとする人同士が話し合って上手くいくわけがない。もっと言えば、そんな人たちが国を動かすから戦争になるし、そんな一見意志が強そうに見える人をどの国でも担ぎ上げるから戦争は止まらないのだと思いますね。
以前、テレビのぶっちゃけ寺で神社とお寺が争わず、仲良くできる理由として、神職さんがこうおっしゃっていました。「うなずく勇気が大切。」なるほどなぁ~と思いましたよ。
その意味であくまで私個人の考えですが、戦争反対の野党にも戦争の種はあると思いますよ。反対するにしても違うやり方があったんじゃないかなぁと。まぁ、私たちに見える表舞台なんて学習発表会みたいなものですから、本当の政治の現場でどんな話がなされているのかは分かりませんけどね。
ただ、どんな時代になっても他者を憎まないことを説いていきたいと思います。難しいだろうなぁ~…嫌だなぁ~…
怒りを煽るのはよくない
個人的な意見ですが、
まずは実際に殺生しないなことが大事(戦争できる法律があっても実際に戦争しなければ可)で、
次に、人々の貪りや怒りをむやみに煽らないことも大事だと思います。
安保関連法について、「戦争反対」と批判するのが、正しいのかは微妙だと思います。
安部総理も自民党も誰一人として、「戦争したい」とは言っていないのだし。
仮に、この法律で戦争できる国になったのだとしても、大事なのは戦争しないことです。
要は、どんな法律があっても、時の政権と国民がしっかりしていれば戦争しないのです。
戦争しない、むやみに殺生しないのが大事であり、法律自体に善悪はない、刀を持っていても人を斬らなければよい、と思います。
刀を持っていると人を斬りたくなる(集団的自衛権を使えるようになれば使いたくなる)ということも可能性としてはありますが、ほとんどの日本人は、積極的に戦争したいとは思っていないはず。
反対デモについては、「戦争反対」というやや的外れなスローガンで他者の怒りを煽って怒りによって仲間を増やそうとするようなデモは、良くないと思います。
今の法律に反対なら、冷静な議論と選挙によって、法律を再び変えればよいと思います。
実際のところは、自衛隊や外交の現場で働いている人にしかわからない部分もあるでしょう。
政治家は、現場の人の声をしっかり聞いて欲しいとは思います。
仏教の果たすべき役割へと向けて
ねこ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
反戦、非戦について、この八月に「仏教と戦争」と題しての拙論にて、安保法制にも関連したことを扱わせて頂いておりますので、少しくご参照して頂けましたらと存じます。
「仏教と戦争 ~ 戦後70年と仏教 ~」
http://goo.gl/FYCqa5
この度の安保法制に関しましては、やはり、集団的自衛権の行使、その範囲について、もっと時間をかけて国民的な論議を深めた上にて、その結果を踏まえて、まず、憲法改正をしてから、集団的自衛権の行使、その範囲を憲法上でも認めることとなって、それから安全保障関連法の整備に取り組むべきであったのではないだろうかと存じております。
もう既に成立してしまっておりますので、もはや何ともですが・・拙生の見解としてですが、民主的正当な手続きをしっかりと踏まえたとは言えない今回の安保関連法整備のやり方には、正直なところ少し不満を持っております。
一有権者、一納税者としましても、政治・社会の動向に対して、しっかりと関心を持って、特に選挙行動により、政治に対して意思表示をしていくことが大切になるのではないかと存じております。ねこ様も選挙権を得られましたら、是非、意識高く、政治に対して確かな意思表示をして頂けましたらと存じます。
また、「仏教と政治」につきましては、以前に下記においても少し拙見解を述べさせて頂いておりますので、ご参考下さいませ。
「仏教と政治」について・・
http://goo.gl/omqkAj
以下、法句経129・130偈(中村元氏訳参照)・・
「すべての者は暴力におびえ、すべての者は死をおそれる。己が身をひきくらべて、殺してはならぬ、殺さしめてはならぬ」
「すべての者は暴力におびえる。すべての(生きもの)にとって生命は愛しい。己が身にひきくらべて、殺してはならぬ。殺さしめてはならぬ。」
争い、暴力、殺し合い、奪い合いによる苦しみをこの世から無くすためにも、その原因である無明(根本的無知)・煩悩の対治を目指す仏教の果たすべき役割へと向けて、微力なりにも拙生もお役に立てれるように、しっかりと努めて参りたいものでございます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
大慈様 願誉浄史様 川口英俊様
ご回答ありがとうございます。
私自身、始めはただ闇雲に安保について戦争法案だの一言で片づけ反対してましたが
近年の国際情勢を見ていると果たしてこのままの憲法9条の解釈でいいものか疑問を抱きました。
しかし、憲法が改正されれば日本が戦争がいつでもできる国なってしまう、それはとても怖い、と考えがしっかり片付いていませんでした。
でも、仮に戦争ができる国になっても私たち国民がしっかり意思を持って行動すれば
戦争をすることにはならないとも思いました。
戦争は怖い、繰り返してはならない、ふとした瞬間に心に刻み込まれます。
私は未来の日本に戦争を作りだしてはいけないと思いました、
なので一人のちっぽけで無いような力ですが少しでも日本が平和でいられるように
個人でできることしたいです。
皆さまの貴重なご意見ありがとうございました。
自分では考えもしなった考え、新たな視点が見えました。