釈尊が禁じた「呪力のの布教」。…ところで呪力って何?
いつもお世話になっております。まずはご奉告です。
昨日早速に仏具屋さんに行ってまいりました。お位牌、仏壇、三尊像、仏具等のご荘厳を、お店で夜7時ごろまで考えました。
素敵なお仏壇になりそうです!ありがとうございます!!
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さて、本題です。「呪力」って何ですか?
我が宗の本山での祈祷や、天台真言の護摩、火加持、虫封じは呪力には含まれないんでしょうか。
そもそも、護摩などの祈祷は本来どういった意味があるのでしょうか?私個人的には、「ご本尊、不動明王様に祈りをささげる儀式。
願い事などなくともよい」という気持ちで臨んでおります。
現に自分のための願い事は最近になって本当にしなくなりました。
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仏法的には間違った解釈なのでしょうか?
ご教授頂きたく存じます。よろしくお願い申し上げます。
発達障害があるが、他の患者が苦手、健常者さんに負担を強いる障害者が許せない、 医師の悪口を言う僧侶が許せない、選挙で体調崩す、医師を顎で使ったり「薬減らせ」とごねる患者に辟易 #薬は悪くない
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
加持も護摩も呪力ではありません。
こんにちは。お答えさせていただきます。
まず、呪力について
呪力という言葉を辞書で引きますと、呪力とは
①まじない、またはのろいの力。
②特定の人・物・現象などにやどると信じられている超自然的な力。
と出てきます。そのものに善悪の概念なく不可思議な力、のろいのように他者への災いを願うこと、他者への災いを被らせること。
八正道を説かれたお釈迦様の仏教の教えとはまるで反してますね。
そして、加持について
加持祈祷と一緒くたにされたり、加持=祈祷と勘違いされたりしますが、本質的に加持は祈祷とは異なります。
加持とは加を持すること、仏様からの大悲、慈悲、仏様の教えを我々、衆生が素直に受け取り、持ち続けること、保つことです。
ある意味では日々の仏壇やお寺でのお勤めも加持の実践であります。
そして、加持の具体的な手段の中に祈祷があります。
また、護摩ですが、護摩は仏様の智慧の火を以って煩悩である薪を焼き尽くし心の垢を焼き清める、洗い清める供養であり、修法です。
一般的に不幸や災難は外からやってくるようですが、実際は自分の内なる心の不浄や煩悩が引き起こしていることが多いのです。また、それぞれが祈願する願意も煩悩に惑わされず、正しい心と正しい行動があれば、その多くは叶うはずです。
煩悩をコントロールできていれば、無茶なお願いも減ってくると思います。
そして、護摩の炉の火(不浄な煩悩を焼き尽くすエネルギー)と帰依する本尊様(仏様の慈悲)と修法する行者(僧侶と真摯に祈りを捧げる人々の願い)の三つが平等にとけあい、一つに繋がったとき大きな法力、霊験を得ることができます。
ですので、本質を知る者からすれば、呪力と加持、護摩は全く別物です。
願意に関してですが、家内安全、身体健全、合格祈願など個人的な願意がなければ、報恩謝徳(ほうおんしゃとく)の念で臨んでいただければ幸いです。
実際に「報恩謝徳」や「罪障消滅」、「先祖供養」を願意とされ護摩に参加される方も多くおられますよ。
あと余談ですが、
仏様の真言を別名、呪(しゅ)とも言います。
呪力と呪、同じ漢字を使いますので混同されがちですが、これらも言うまでもなく本来は全く別物です。
参考になれば幸いです。
合掌(^人^)
釈尊の言葉の部分だけ回答しますと
あまりわかりませんが
拝読させて頂きました。
仏像、位牌、仏壇をお揃えなさること読ませて頂きました。お揃えできましたら開眼供養なさってくださいね。
お仏壇は本堂の写し、つまり極楽浄土の写しです。毎日手を合わせてください。お念仏おとなえなさり信仰を深めてくださいね。
さてご質問の呪力や呪術や加持や祈祷は基本的には浄土宗ではないですね。
浄土宗お寺様によってはなさっておられるところもあるようですが、基本的には密教のような護摩や加持はないです。
浄土宗の教えは現世利益を求めることではありませんからね。極楽浄土に往生することを求めることが浄土宗のお念仏の教えです。
ただ本山では祈願もしておりますが、求めに応じてお勤めしている範囲かと思います。
人々のニーズやお寺の事情として祈願もしていますが教え本来のあり方とはズレると思います。
ご存知かとは思いますが、この世は穢土であり、私達は凡夫です、そのままでは救われない者だからです。
私はあなたがひたすらにお不動様に祈りを捧げることは望ましい姿だと思います。
救われない私達を阿弥陀様の極楽浄土に往生させて頂けるご縁を頂き、往生を願うことは教えの通りですからね。
呪力については私は専門ではありませんから聞きかじり程度しかわかりません。
呪いの力や神秘的な力や超能力はお釈迦様がお説きなさった仏教の教えとはやはりズレるでしょうか、とはいえ仏教が成立して様々に変化し融合していきます。そして密教が成立して体系化していき、密教は日本でも受け入れられて人々のニーズを満たしていかれた経緯があります。
生きている私達はその様な神秘的な力や超然的な力を求めるのでしょう。
弘法大師空海や伝教大師最澄が持ち込んだ天台真言密教の護摩焚きはやはり現実に体験するとその熱や炎の力は躍動的がありますからその圧倒的な力を感じることは否定できません。
また日本では陰陽師が官僚としていましたから歴史的に呪力を必要としていたのです。
それが鎮護国家として国を成立させていたのですからね。
とはいえ宗教もその時代や社会や国家のあり方や人々のニーズに応える形で常に変化しています。
今の世の中の人々のニーズが宗教にそのあり方を求めているのです。
ただ信仰は個人ですからそれぞれに信じて深めていかれることです。
これからもあなたがお念仏の教えを信信じて頂きますようお願い申し上げます。
質問者からのお礼
【kousyo Kuuyo Azuma 先生】
ご回答ありがとうございます。えへっ、木魚まで買っちゃった💓家でもお別時やろうかとおもって。それと、仏具屋さんにホメられました!「ここまでご理解のある方は見た事ない!ご対応がとても楽です!!」って!
それはさておき、お不動様のご縁に関しては、阿弥陀経六方段で諸尊が阿弥陀仏を讃えていたり、三尊礼の「♪六方如来舒舌証…」に通じてる感じですかね…。
お護摩の激しさからはお不動様らしさを感じるし、何しろ元気を頂いています。五感から人の心を揺さぶり、働きかける感じでしょうか…。
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【沙門 亮鷹 先生】
ご回答ありがとうございます。本当に正反対w護摩って供養なんですね!てっきり祈祷かと!
災難に関しては、そうですね…
私はこの歳にしては様々な法律問題を経験していて、打ち解けた方に話すと非常に驚かれます。ですが、私はお助けを頂いた為か何とも思っていません。そんなもんなんですかねぇ…
3つの力がひとつに、これは心当たりがあります。2つが良くても、お坊さんが偏見まみれの差別主義者だったり、参列した観光客がご信徒に「キモーイ」とか言ってたら、一気にその場は台無しですもんね。
願い事に関しては、「御礼」「萬民豊楽」「信徒安全」がメインですね。「シュ」って、菩提寺の坊さんも言ってました!
永年の疑問がスッキリ流されました!ありがとうございます!!合掌(・人≦)
【大慈 先生】
ご回答ありがとうございます。はい、要は他人の立場や命をないがしろにしたり、不幸を祈り願う事が、「のろい」なんですね!
つか顔に灰塗ってってw想像したら爆死www