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競争心について

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 私は昔からライバルがいる方が頑張りがきくタイプでした。受験勉強の時などは友人と点数を比べ合って競いあうことで、最後までモチベーションをキープすることができました。

 しかし、仏教ではあまり他人と比べたり、競争心を持ったりすることは奨励されていないというイメージがあります。 たしかに他人と比較する事で、自分も他人も傷つける事がある、という事は私自身が身に染みております。

 でも、他人と比較し競争心を持つことは人間の成長過程ではやはり必要な気がします。仏教では競争心の利点については認めていないのでしょうか? 


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

仏法と王法は車の両輪のごとし

仏道はそもそも成果を求めません。成果を求めると好き嫌いの感情が出て、苦が生まれる。だから成果は求めない。成果主義がないから、他人と競う項目がない。他人と競わないから自分の修行に集中できる。自分の修行に集中できるから、結果でも過程でもなく、ただ今を生きることができる。そういうことなのです。

もっと突き詰めると、そもそも自分って誰よという話になります。

>仏道をならふといふは、自己をならふなり。自己をならふというは、自己をわするるなり。自己をわするるといふは、萬法に証せらるるなり萬法に証せらるるといふは、自己の身心および他己の身心をして脱落せしむるなり。

自分でもない、他人でもない、大きな大きな本来の自分だから、他人のことでも自分のことのように喜んだり、憐れんだりできる。競う相手ではなく、相手は自分を生かしている我が生命なんです。これが仏教でいう大人(だいにん)であり、仏教的な成長の方向性です。そこには苦が生まれる原因がありません。そして大きな大きな本来の自分だから、そもそも競うべき他人がいない。そういう話です。

ただ、北斗星さまのおっしゃることも分かります。仏教は成果を求めないって、それは出世間だから出来ることであって、社会生活をするには成果は不可欠です。私たちの大先輩がたも同じことを考えました。だからこう言ったのです。「仏法と王法は車の両輪のごとし」。どちらが欠けても足はもつれます。くっつき過ぎても壊れます。同じ方向を目指し、良いとこ取りして行きましょう。 成果を求め、でも成果に執着し過ぎない。競って腕を磨き、でも相手を敬う。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...

一休さんは負けん気が強かったから悟りを得た

競争心が悪いのではありません。
それを使って自分優位に立とうとか、人を蹴落そうとか、ヨコシマな方へ行くのがイカンだけです。競争心という言葉を忘れてください。
それはエネルギーです。一つの原動力です。
ですが、優劣勝敗美醜になると醜くなる。
人生は勝ち負けではありません。
AKBの総選挙にしたって、誰が一番になろうが、ファンにとっては自分の好きな子が一番です。人気がいくらあろうが、沢山成果を上げようが、それはその人の成果です。
私の好きなある海外アーティストはコンプレックスが強く、その分、自分の分野では負けん気が強かったそうです。だから誰よりも私を感動させる作品を作りました。
一休さんも、負けん気が強かったから悟りを成し遂げた。
火もはさみも包丁も使い方次第で人を傷つける。
使い方次第で、人を感動させる。
あなたは競争心ということを重傷視するならば、そこで❝生き方・ありかた・人間性❞が問われているのです。
競争心はあって結構なのですが、人より優れていたい、勝ちたい、優位に立ちたい、というのはいやらしい。
スポーツもスポーツ感覚なら良いのですが、国と国の優劣争いとか、どこそこに勝ったからと喜んで泣いているとかは、純粋ならばいいのですが、過激になって勝敗にこだわるのは異常だと思います。自分が自分をいきればいいのです。私は、このサイトで数多く答えていますが、それは競争比較ではありません。困っている人がいれば、ただ楽になっていただきたいし、このサイトも70人以上の僧侶がいるので、一問一答ではつまらないし、せめてYahoo知恵袋のように多角的な視野が得られるようにと、なるべく全問回答を目指しているだけです。毎回10回答くらい出てくるようになれば、この男も消えていくでしょう。

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丹下 覚元(たんげ かくげん)
今月の提唱 「菩提心をおこす」 菩提心をおこすということは、たとえ...

競争心は無いほうが苦悩が減る

仏教は、悩み苦しみをなくすための教えです。
悩み苦しみの根本原因は煩悩です。
競争心も煩悩ですから、仏教的には、競争心を無くす方が善いでしょう。
野生動物には、競争心はあまりない気がします。
たとえば2匹のオスがメスを奪い合う場合も、メスを手に入れたいだけであり、ライバルに勝つことが目的ではないでしょうし。

実力がアップすれば結果的にライバルに勝ってしまう、というのでよいと思います。
ライバルとの優劣を気にするとストレスの原因になると思います。
浄土宗の宗祖法然上人が、とある書物を書く手伝いを弟子に頼んだとき、最初は、法然上人の弟子の中でもトップクラスのAさんに頼もうとしたけど、やっぱり、どちらかというと若僧のBさんに頼んだのです。
なぜかというと、法然さんは、Aさんが、そんな重大な仕事を任されたら驕り高ぶり天狗になる恐れがあると見抜かれたからです。
凡夫(悟っていない普通の人間)には煩悩があって当然、この世で煩悩を消すのは困難だから、まずは往生浄土を目指しましょう、と説いている法然さんでさえ、弟子のプライドの煩悩を注意深く戒めようとしたのです。
医師にヘビースモーカーが「医学では喫煙の利点を認めていないのか?」と質問しても「禁煙するほうがよい」と言われるようなもんで、
競争心は、あるよりはないほうが善いでしょうね。
仏様はどんな悪人も見捨てないが、善人(競争心のない人)を見たら喜び、悪人(競争心のある人)を見たら残念に思われるでしょう。

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がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...

質問者からのお礼

皆さま、ご丁寧にご回答を下さりありがとうございました。 以前『世界にひとつだけの花』が流行した時に、その歌詞に対する評価が、教師をしている友人たちの間で賛否両論だった事がありました。私自身も「競争をするのは意味が無い」という考えと、「競争する事で人は成長する」という考えの間で揺れておりました。

皆さまのご回答をしっかり拝読し、「日々精進はするべきだが、人と優劣を比較し一喜一憂するのは全くの無意味である」という考えに落ち着きました。その考えを肝に銘じていこうと思います。

大慈 さま
いつも本当にありがとうございます。 おっしゃってくださった通り、成果に執着しないようにしながらも、個々が精進し、結果的に成果が生み出される、というのが理想ですね。「勝ち組」「負け組」などのような言葉にも、今後は惑わされないようにしたいです。大きな大きな本来の自分、というのはまだうまくイメージできませんが、そのお言葉を忘れないようにいたします。

願誉浄史 さま
いつも本当にありがとうございます。競争心は無いほうが良い と、きっぱりと断言してくださって、ありがとうございました。おかげさまで自分の中の迷いがスッキリ解消されつつあります。 ヘビースモーカのたとえはとても分かりやすいです。今後、他人と優劣を競う気持ちが自分の心にムクムクと涌いて来たら、タバコの煙だと思うことにします。

丹下覚元 さま
 いつも本当にありがとうございます。おっしゃるとおり、私が良い意味で解釈していた「競争心」という言葉を「原動力」という言葉に置き換えてみようと思います。お忙しいにもかかわらず、こちらの質問にたくさんのご回答を下さっていることに恐縮するとともに、心より感謝申し上げます。こちらのサイトの利用者としての勝手な希望ですが、私を含め悩みを持つ人たちの質問に、今後もずっとご回答を下されば、嬉しいです。

「仏教全般」問答一覧

仏教とは?

こんにちは。私はとある信仰宗教の元信者です。その宗教ではその宗教のお経を毎日よんで、法名といわれるものをおさめ、つどいと称される会合に参加し、弥勒山という山に登ります。勧誘してきた人は私の20年来の付き合いのある方で、その信仰宗教をとても心から信じていました。しかし、私はこの信仰宗教に違和感を感じていました。職場の方に話してもら辞めた方が良いという回答でした。また、旦那が私には居ましたがその宗教を毛嫌いされ、彼の親族にも激怒され縁をきられてしまいました。私は今実家で幸せに暮らしています。仕事も頑張って居ます。勧誘された方は癌で若くして亡くなりました。彼女は最後までその宗教を信じていましたが、私も彼女もそのお経を毎日読みましたが、私は離婚し、彼女は命を失いました。これのなにが幸せなんでしょうか。私には弟が居ます。まだ若くこれからどうなるか分からないですがきっと結婚するだろうと思います。義理の妹は果たして私の事を理解してくれるかと不安になり、檀家になってるお寺のお坊さんに相談しました。その方は瞑想会をしていて、瞑想すると涅槃の境地に近づけるとの事で、私は毎日するようになり、瞑想会にも参加するようになり、元の信仰宗教は辞めたい。と彼女の旦那さんや支部長に言って辞めさせていただきました。しかし、彼女には本当にお世話になったし、お経を読まないと瞑想出来ない脳になってしまったので、辞めてもお経は読んでいるし、彼女のお墓にお墓参りに行こうと思っています。信仰宗教で出会った方々とはまだLINEで繋がっています。このままいくとまた、戻ってしまうかどうか心配です。私は幸せになりたいからやってるんではありません。ただ、お墓参りして、お経読んで、瞑想して、線香あげて。私は仏教なんて全然知りません。お経の意味も分かりません。でも、これから勉強したいと思います。信仰宗教であげてるのは簡易なもので独自の解釈がされていて本質ではないと思います。瞑想の檀家のお寺のお坊さんも良い方ですが、わたしが涅槃までいけるかどうかは分かりません。こんな私は社会から見ておかしな人間なのでしょうか?仏教ってなんなんでしょうか?お経読む事でしょうか?墓参りする事でしょうか?瞑想する事でしょうか?私は宗教を理由に仕事休んだ事はありません。信仰宗教勧誘は一度しかやった事がなく、家族からも止められてるので今はやってないです。

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最後の言葉「ありがとう、また会おう」

長文で失礼致します。 急ぎの相談ではありませんので、お時間のある際にお話いただければ幸いです。 もう1点、伺いたいことがあるのですが、お坊さま方もお忙しいと思い、別の機会にさせていただきます。 父親のいなかった私たちを、親代わりになって育ててくれた祖父が先日他界しました。 母や叔父と叔母にとっては、優しくも厳しい一面もある父親だったそうですが、孫全員には優しく頼もしく接してくれて、「いい思い出」しか残っていません。 ここ数年は持病が悪化し、コロナ禍ということもあり、楽しみにしていた大勢で食事を楽しむ機会を設けれなかったことだけは心残りです。 入院先の配慮で、最後にお話をする機会があり、駆けつけた祖母・母と叔父・叔母、孫全員と話をすることができたのが幸いです。 「遅くまでいると迷惑がかかる」と祖父に促され、亡くなる前日の別れの際にかけられた言葉が印象的でした。 「じーちゃんが死んだ後、コロナが収まったらな、ばーちゃんに会いに行ってやってくれ」 最後まで祖母を思う優しさ、そして。 「ありがとう……また、会おう」 この言葉は、もしかすると生きて会えるのは最後とわかっていて、「来世」でまた会おうという意味だと私は受け取りました。 葬儀をお願いした元々ご縁のあるお寺のご住職も、「今の別れは、ゆくゆくは浄土で再会するまでの一時的なもの」とお説法をされていたので、受け取り方は違ってなかったのかなと思うのですが、いかがでしょうか?

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初めて知った事に対して、怖いです

三尸(さんし)とは、道教に由来するとされる人間の体内にいると考えられていた虫。三虫(さんちゅう)三彭(さんほう)伏尸(ふくし)尸虫(しちゅう)尸鬼(しき)尸彭(しほう)ともいう。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられ、そこから、庚申の夜は眠らずに過ごすという風習が行われた。一人では夜あかしをして過ごすことは難しいことから、庚申待(こうしんまち)の行事がおこなわれる。 日本では平安時代に貴族の間で始まり[1]、民間では江戸時代に入ってから地域で庚申講(こうしんこう)とよばれる集まりをつくり、会場を決めて集団で庚申待をする風習がひろまった。 道教では人間に欲望を起こさせたり寿命を縮めさせるところから、仙人となる上で体内から排除すべき存在としてこれを挙げている ウィキペディアからコピーさせていただきました。 こちらの文章を読んだ上でご質問させていただきます。 質問ですが・・、本当に3匹の虫が体の中に入っているのでしょうか? とある小説でこのような事を知りました。 正直、今までこんな事知らなかったので、怖いです。 60日に一度めぐってくる庚申(こうしん)の日に眠ると、この三尸が人間の体から抜け出し天帝にその宿主の罪悪を告げ、その人間の寿命を縮めると言い伝えられと wikiに書かれていますが・・・、 寝ないで1日越した方がよいでしょうか?あまりいい気分がしないので教えていただけると嬉しいです・・。 お坊さんの方々もこの日は何か特別な事はやってらっしゃるのでしょうか?

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