朝夕のお唱え方につきましての質問です。
初めまして。
いつもありがたくご質問ご回答を拝読させていただいております。
本当に為になる事ばかりでパソコンに向かい手を合わせている次第です。
私の家には仏壇はないのですが実家は曹洞宗です。
縁あって数年前より高野山に度々お参りさせていただいており、東向きに両部曼荼羅(色紙)と御札をおまつりし、朝夕に手を合わせています。
お大師さまに南無大師遍照金剛、
自分のご先祖さまに南無釈迦牟尼仏、
同居している男性のご先祖さま(浄土宗)に南無阿弥陀仏、と唱え、高野山で購入した勤行集(般若心経と光明真言を含みます)をお唱えしています。
神社仏閣は大変ありがたく好きですが、私自身、何も知識がなく…一年前のお盆に実家のお仏壇にお参りした時に、何かしらご先祖さまに毎日手を合わせる方法はないものかと考え、数年前から壁に立て掛けてある曼荼羅と御札に向かい、以来毎日お唱えをしています。
仏さま、ご先祖さまに対し、こんな自分勝手なお唱え方法で良いのでしょうか?
実は約2年半前に、同居している男性のお母様が亡くなり、私は嫁という立場で葬儀から始まり全て同席させてもらいました。
なので、毎日、お母様に、この人をお守りして下さい、今日も元気に仕事してきましたよ、とか言いたくなってしまいます。
僧侶さま、お盆を迎え、大変お忙しかったことと思いますが、上記についてお教えいただければ幸いです。
どうぞよろしくお願いいたします。
お坊さんからの回答 3件
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
自己の本尊、自身の本尊を自覚し拝む。
最高の先祖供養はあなたが仏菩薩の道を行ずることです。
宗派によっていろいろな考え方があるでしょうが、宗派によっていろいろな考え方に分かれる前の仏教を知ることも大切です。
それこそが真の本尊だからです。
ではお釈迦様が本尊でしょうか。いいえ、私は違うと思っています。
なぜなら、お釈迦様はお釈迦様自身を拝めとは言っていません。
お釈迦様を南無南無することは仏教であるようでも、神様めいた神格化された偶像の仏さまを拝むことになると思われませんか。
本当はそういう「拝み」はお釈迦様の本心・本意ではないのです。
あなた自身の「人間の見解(私流の仏教に対する考え方)」というものを離れた、人間の本来の働き、本来の自己の仏に出会うべきことを説いておられます。
曹洞宗の宗祖の道元禅師も
「仏道をならふというは自己をならふなり。自己をならふというは自己をわするるなり。自己をわするるといふは万法に証せらるるなり。万法に証せらるるというは、自己の身心及び他己の身心をして脱落せしむるなり」と説いておられるのは、自分自身の仏を自覚するためです。
私はそれがなかったら一生安心、安楽な心は得られないままだったと思います。他の仏を拝んでも満たされなかったからです。
それは「求め」の度合いによって変わるものであると思います。
今のあり方で良いと思えるのであれば、それでよいでしょう。
自己の本尊を拝むのであれば、自分に向き合い、自分をみつめ、手を合わせる時などに静坐して自分の五感の働きが元々「自分の意志とは無関係に働いている」ことに目を向けてください。これを本来の無我性といいます。
呼吸一つでも自分がやっているわけではないはずです。
この自分がやっていないという働き。
これが仏の働きなのです。
自分の意志ではないのですから。
この「自分の意志ではない身心の働き」に目を向けて、生活をしていくと「自己を忘れる」あり方になります。自分側、こちら側が空っぽになり、出会うこと、触れ合うことと一体となった生活になります。その様子がよろずの法(ありよう)に証せられるということです。自分がカラになれば自分を触れている物事に投げ出せるようになります。
そして、自他の隔てが無くなれば、私見なしに一切の物事と相和して、こちらの意志とは無関係にすべてが流れ去って何の苦楽もない境涯になります。それが人間の元々の境地、仏です。
ご自身の御本尊様を大事に。
ん〜 なかなか、あちこちに、お念仏をすることはありませんねぇ(^_^;)
いろんなお寺に訪れることはありますが、、、手を合わせても、頼るは 自分の宗旨の御本尊様です。(私は南無阿弥陀仏です。)
ご実家が曹洞宗ですか。では、そちらのお念仏に 遇いながら育ってこられたことと思います。それを何よりも大切になさって下さいね。
お連れ合いの方は、ご自身の御本尊様を大事になさったらよいのですよ。
方法よりも心が大事
雅子さん、はじめまして。質問を拝読いたしました。
雅子さんは、お大師さまに南無大師遍照金剛、 ご先祖さまに南無釈迦牟尼仏、 同居している男性のご先祖さま(浄土宗)に南無阿弥陀仏と唱え、高野山で購入された勤行集(般若心経と光明真言を含みます)をお唱えしているのですね。
お勤めのバリエーションが豊かですね。
雅子さんが壁に掛けておられる曼荼羅をよく見てください。たくさんの仏さまが描かれていますね。でも、曼荼羅は不思議な一体感があります。たくさんの仏さまがいてもすべてが一体であることを表しています。
つまり、どのようにお勤めするかが問題なのではなく、どのような心でお勤めするかが問題です。雅子さんのように、御縁のある方に心を向けながらお勤めされるなら、方法や作法はあまり気にしなくてもいいと思います。
質問者からのお礼
教善寺 中田みえ 僧侶 さま
早速のお答えをいただきありがとうございます。
そうなんですね、単純で軽率な行動でした。
自分でも、なんだかオカシイよね?と毎日思い…。
南無の意味も解りながら、こちらも大切、あちらも大切になってしまっていました。
今日から改めないとダメですね。
自分の御本尊さまを大切にいたします。
本当にありがとうございました。
安穏寺 丹下 覚元 僧侶さま
とても詳しいご回答をいただきありがとうございました。
頂戴したお言葉の意味と重みを考えておりました。
何度も何度も読み返しましたが、どうしても理解に苦しむ部分もありました。
仏教に関して根底の大切な部分に欠けており、浅知恵、そして自分は迷いが多いのだなとも感じました。
勉強させていただきました。
恥ずかしながら道元禅師さまに関しましては、念仏よりも座ること、禅を最も重んじられたということ以外、何も知りませんでした。
自己を見つめる、自分を見つめる、心の不要なモノを削ぎ落とす、自分というものを知り自然と周りと調和していく、仏さま仏さまと拝むのではなくて自分の中に仏さまと同じもの?を見出だす…。
うまく言えませんが、そんな感覚を持ちました。
間違っているかもしれませんがそう思いました。
感謝を持ちつつも毎日の迷いや不安な気持ちをただただ神様仏様にすがっている気もします。
少しずつ勉強していきます。
本当にありがとうございました。
觀音寺 中村 太釈 僧侶さま
ご回答いただきありがとうございます。
中田さまと丹下さまにお教えいただいた内容をヒシヒシと考え、ここ数日の朝夕は定位置に座っては、仏さまとご先祖さまに感謝の言葉を述べ、般若心経と光明真言を唱えている次第です…。
実家の両親のお勤めの言葉を聞いたこともないのでわからないことも多く…。
お仏壇の引き出しには般若心経と光明真言が書かれたものがあったので良いのだと認識しました。
仰るように曼荼羅にはたくさんの仏さまがいらっしゃいます。
「心」を第一にお勤めしたいと思います。
本当にありがとうございました。