思いつく悪事
ウソをつく
学校をぼいこっと
物をねだって買って貰う
自殺未遂(本当にどうでもいい事で、です)
動物に暴力を振るう
モノを盗む
など引っ越して転校してから
人が思いつく悪事を昔何度もした自分が憎いです。
過去に戻れないのは分かっていますが、
自己険悪に陥り死にたいです。
どうやって立ち直ればいいですか?
ついでにこんな人間は死後大変な事になりますよね?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
大丈夫です。
立ち直るためには、仏教を学んでいただきたいです。
まずは、慈・悲・喜・捨の4つの心(四無量心)を育てるよう心がけてください。
慈(じ)とは、いつくしみ、怒りや憎しみをやめて、他者をかわいい存在だと思ってください。みんな一緒にニコニコ幸せに過ごすイメージで。
悲(ひ)とは、相手の悩み苦しみがなくなればいいなという、他者に対するあわれみです。
喜(き)とは、他者の幸せや成功を嫉妬しないで喜ぶことです。
捨(しゃ)とは、思い込みや執着を捨てた静かで落ち着いた心、悟りの心です。
死後については、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を口でとなえて、極楽浄土に生まれかわりたいと願うだけで、臨終の瞬間に阿弥陀仏が迎えに来てくれて、あなたを極楽浄土に生まれさせてくれます。
浄土宗ではそのように考えます。
阿弥陀仏の慈悲は、どんな悪人をも救うのです。
阿弥陀仏の智慧の光は宇宙の隅々まで届き、救いを求める者を見捨てないのです。
ですから、死後の心配は不要です。
ただ、この世を快適に過ごすためには、自分の心に四無量心を育てたほうが得策なのです。
なお、阿弥陀仏の慈悲に共感して念仏をとなえることは、四無量心を育てることにも役立つと思います。
自分を愛せなくなった過去に向き合う
何かそういうことをする様になったきっかけがあるはずです。
それをもう一度向き合って再質問なさってください。
自分を打ち消したい思いからそういうことをしているはずです。
そこに向き合うとあなたは大きく変われます。
このサイトは匿名ですので、安心してもう少し、あなたの事をかたってみてください。
あなたが立ち直るための、もう一歩を踏み出してみてください。
再質問をお待ちしております。
あなた自身を否定する必要はありません。
すでにあなたは救われる道を歩んでいます
悪事を働いた。とのことですが、そのことを自覚し、自己嫌悪に陥っているということは、
現在はそのような悪事を悪いことと捉える事が出来ているということ。
過去にあった出来事は、過去のこと。「罪を憎んで人を憎まず」。あなた自身が悪いのではなく、その行為自体が悪いことであっただけでしょ。
現在のあなた自身を学ぶことが、仏道を学ぶこと。そうすることで、今のあなたが悪ではなく、救われている事実に気付くことができます。
今に過去はありません。未来もありません。今しかないのですから、過去や未来を考えるから死にたくなるほど悩むのでしょう。それは、考えであるだけです。現実(今)には何の問題もない救われている状況があることが分かるはずです。
質問者からのお礼
物を強請って買って貰うといってもそんなあまいものじゃなく、ロフトベットやPCなどの高い化製品ばかりで本当にどう祖父母や母親に謝罪していいのか分かりませんが、衝動的なロフトベットでの首吊り未遂は強請って迷惑を掛けた罰が当たったんだと思っています。
回答ありがとうございました。