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思いつく悪事

回答数回答 3
有り難し有り難し 27

ウソをつく
学校をぼいこっと
物をねだって買って貰う
自殺未遂(本当にどうでもいい事で、です)
動物に暴力を振るう
モノを盗む

など引っ越して転校してから
人が思いつく悪事を昔何度もした自分が憎いです。
過去に戻れないのは分かっていますが、

自己険悪に陥り死にたいです。

どうやって立ち直ればいいですか?

ついでにこんな人間は死後大変な事になりますよね?


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

大丈夫です。

立ち直るためには、仏教を学んでいただきたいです。

まずは、慈・悲・喜・捨の4つの心(四無量心)を育てるよう心がけてください。
慈(じ)とは、いつくしみ、怒りや憎しみをやめて、他者をかわいい存在だと思ってください。みんな一緒にニコニコ幸せに過ごすイメージで。
悲(ひ)とは、相手の悩み苦しみがなくなればいいなという、他者に対するあわれみです。
喜(き)とは、他者の幸せや成功を嫉妬しないで喜ぶことです。
捨(しゃ)とは、思い込みや執着を捨てた静かで落ち着いた心、悟りの心です。

死後については、南無阿弥陀仏(なむあみだぶつ)と念仏を口でとなえて、極楽浄土に生まれかわりたいと願うだけで、臨終の瞬間に阿弥陀仏が迎えに来てくれて、あなたを極楽浄土に生まれさせてくれます。
浄土宗ではそのように考えます。
阿弥陀仏の慈悲は、どんな悪人をも救うのです。
阿弥陀仏の智慧の光は宇宙の隅々まで届き、救いを求める者を見捨てないのです。
ですから、死後の心配は不要です。
ただ、この世を快適に過ごすためには、自分の心に四無量心を育てたほうが得策なのです。
なお、阿弥陀仏の慈悲に共感して念仏をとなえることは、四無量心を育てることにも役立つと思います。

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有り難し
おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四十代男。 仏教は、悩み苦しみを制御したり消したりするための教えです。まだまだ未熟者の凡夫ですがよろしくお願いします。

自分を愛せなくなった過去に向き合う

何かそういうことをする様になったきっかけがあるはずです。
それをもう一度向き合って再質問なさってください。
自分を打ち消したい思いからそういうことをしているはずです。
そこに向き合うとあなたは大きく変われます。
このサイトは匿名ですので、安心してもう少し、あなたの事をかたってみてください。
あなたが立ち直るための、もう一歩を踏み出してみてください。
再質問をお待ちしております。 
あなた自身を否定する必要はありません。

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有り難し
おきもち

お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

すでにあなたは救われる道を歩んでいます

悪事を働いた。とのことですが、そのことを自覚し、自己嫌悪に陥っているということは、
現在はそのような悪事を悪いことと捉える事が出来ているということ。
過去にあった出来事は、過去のこと。「罪を憎んで人を憎まず」。あなた自身が悪いのではなく、その行為自体が悪いことであっただけでしょ。

現在のあなた自身を学ぶことが、仏道を学ぶこと。そうすることで、今のあなたが悪ではなく、救われている事実に気付くことができます。

今に過去はありません。未来もありません。今しかないのですから、過去や未来を考えるから死にたくなるほど悩むのでしょう。それは、考えであるだけです。現実(今)には何の問題もない救われている状況があることが分かるはずです。

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おきもち

個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

物を強請って買って貰うといってもそんなあまいものじゃなく、ロフトベットやPCなどの高い化製品ばかりで本当にどう祖父母や母親に謝罪していいのか分かりませんが、衝動的なロフトベットでの首吊り未遂は強請って迷惑を掛けた罰が当たったんだと思っています。

回答ありがとうございました。

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