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有り難し有り難し 16

私は久しぶりに会った知り合いなどをガン見してしまう癖があります、
ガン見した後に挨拶の一つでもできたらいいのですがいつもできません、

久しく会わないうちに嫌われていたらどうしよう、
相変わらずブスだなと思われたら、、、
そんなことばかり考えパニックになってしまいます。

その後決まって気持ち悪がられたら、、とか心配になり
いてもたってもいられなくなります。

ほんとにくだらない質問かもしれませんが結構真剣な悩みです、
ご助言頂けたら嬉しいです。


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お坊さんからの回答 4件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

和顔愛語を心がけてみましょう。

ASさんご質問ありがとうございます。
知り合いをガン見してしまう。
挨拶ができない。
自分がどう思われているか、気になるからそうなるのでしょうね。

「仏説無量寿経」というお経の中に「和願愛語」(わげんあいご)
という言葉があります。
文字通り和やかな顔で優しい言葉を使うということです。
これはお布施の一つです。
そしてお布施とは「喜捨」ともいい、自分の持っているものを
施しとして喜んで捨てるのです。

あなたには、今はちゃんとできないのかもしれませんが、
すてきな「和やかな顔」と「優しい言葉」が備わっています。

知り合いの方に、そして仏様に、あなたの「和願愛語」を
布施してみてください。

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真宗山元派上西山正善寺住職

ガン見の中身に向き合って カスタマイズ

こんにちは。日本ガン見協会「穴が開くほど熱視線の会」代表、障子に目アリー丹下です。
まず人間、誰でも出会えば必ずガン見しまーす。
最低でも0・0000001秒くらいはガン見すると言われていマース。
それはチョイ見と言われるかもしれませんが、チョイ見、チラ見という名のガン見です(笑)。見ていいのです。
むしろ大いに見ましょう。
目は、それだけ視覚的情報を通して、さまざまな物事を学びます。
二ポン人に比べて、ガイコク人は、もっとガン見シマース。
ウチの境界の幹部もビックリなほど、ガン見しマース。
ですから、じーっと見ていたとしても、こちらが、ガン見しまくっていることを、問題にする人はいません。
※その筋の方だけは注意しましょう。
ひとこと言わせていただきますが、(あ、別に怒りませんが)
本当のガン見は、本当にただ見ているだけです。
こう言ってはなんですが、あなたのガン見はわが協会の初段のレベルに達していません。
なぜなら、相手をみて、そこに自分の思いをごちゃまぜにしているからです。
本当のガン見は、ただじーっと見るだけです。
そこに何か考え事を持ち込んじゃいけないのです。
仏教では正見といい、そこに私見や個人的な思い込みをMIXさせずに見るのです。
それをやってみてください。
むしろガン見している自覚があるならばすぐに効果が現われます。
「ただ見る」
ただ見るということは、そこに自分の思いや理想を持ち込まない事。
身近なもので練習してみましょう。
ただ、じーっと見る。それだけ。
それを今度、相手に対してやってみてください。
そこに自分の思いを運ばなければ、ガン見は最高の仏道ツールになります。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

真剣だけどくだらない

いきなり、酷い言葉をタイトルにしてしまって、ごめんなさい。先日から、十代の方の質問に「くだらないでしょうが、私にとっては深刻です」という「付けたり」が多いなぁと思って見ていました。
まず、他の誰にとっても「下らない」質問でも、あなたにとって深刻であるならば、それは深刻な問題です。身を晒して書き込みしてくださったのは、勇気あることと思います。
久しぶりに会った人に、何だか思い当たりはないけれど、ネガティブ(悪い)印象を持たれたら嫌だなぁ、ということですね、ジッと見てしまうことで。
まず、何か原因として思い当たる出来事はありますか?「知り合いだと思ったら人違いで、知らない人に嫌な思いをさせてしまった」とか。
原因については、まぁ「思い出せれば越したことはないけれど」ではありますが。
さて本題です。私が子育てしている中で大切にしているのは、「笑顔で挨拶できる」ということです。そのためには、まず私が=大人が笑顔で接しなければなりません。その為に私は、鏡に向かって笑顔を作る練習をしました。「鏡に向かって笑顔なんてキモイ」と思っても結構です。「笑顔できてるな、子どもに見せられるな」と思っても結構です。
次に、咲いている花に笑顔で話しかけました。相手からは無反応ですが、おかげさまで緊張ゼロで、無事出来ました。ただし、これもキモイと感じるなら、感じても結構です。
そうして、笑顔でいる回数、口に出して挨拶する回数を増やした訳です。そうしたら…挨拶できる子どもが増えました。
言いたいことは、人間「考え方は単純簡単でも、実際行動することで変化は起きる」ということです。「鎌倉時代の法然は、念仏を称えることで極楽へ往生できると説いた」と教科書で読むのと、実際に声に出して「南無阿弥陀仏」と言うのは別物であるように。

さっきのを応用するなら、鏡の前に立って想像を始めます。「あ、久しぶりに会う人が来た」で、鏡の中を見ます。ガン見してる顔。そこから笑顔になるまで観察。「^_^できるじゃん」。表情を変えられることを確かめてください。
ということで、まとめです。
「このやり方、キモイと思うかも知れないけれど、僕にとっては真剣です」

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一般大学(一般的でもないが…)から大正大学の史学コースへ。そののちお寺。坊さんに限らず、二足のわらじを履くことで、話に幅が出るはずだと考えて、はき続けています。子育てとか家族論とか考えつつ、でも仏教って個人のものだなぁと感じたりします。

ガン見できるのは素晴らしいこと

うらやましい限りです。
私は、自分に自信がなく人の目をしっかり見ることができません。何か後ろめたさを感じているのです。
あなたは、きっとそうした、マイナスの気持ちが無いからガン見できるのでしょう。
相手は何も感じてませんよ。
もし感じていても何の問題もありません。あなたが何か悪いことをしたわけでもないのですから。
笑顔で会釈だけでもだけでもしておけば十分でしょう。

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禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ご回答ありがとうございました。

頂いた回答を何回も読んでいるとすごい小さいところで悩んでいたような気がしました。

ありがとうございました。

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