死ぬ権利について
不謹慎な質問をお許し下さい。
私は子どもには恵まれませんでしたが夫、家族と仲良く過ごしております。
このまま年をとれば親を看取り、夫を看取り、一人になるでしょう。
その場合、寂しさに耐えられないと思います。
なので何十年後かの日本では死ぬタイミングを自分で選択できればいいのにと思います。
いつ死ぬかわかっておけば、例えば自分の遺品の始末をする時間を持てますし、孤独でもその日までのがまんと思えば耐えられると思います。
周りに誰もいなくなった時。とても恐ろしいです。
こんな考え、自分でもずいぶんネガティブだなと思いますがおかしいでしょうか。
※現時点で自殺願望があるわけではありません。
将来の孤独がこわくて思いついた上記のような死ぬシステムについてどうお考えになりますか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いずれ、死にたければどうぞ、という時代になりますが……。
欧州の様子を知れば、そしてアメリカ各州の情勢をかんがみれば、日本にも尊厳死の流れはやってくると見当がつきます。
さらに、いまは最も年長の人でも70歳前の団塊世代が80歳になり90歳になれば、医療費および介護費の点から「死にたければどうぞ」ということになるのは明らかでしょう。だから死にたいときに死にたいなら、30歳代のあなたの望みは叶えられるものと思います。私は50代ですから脳死が人の死かどうか論議されていた時代からこんにちの流れをよく知っています。将来的には、死にたい人は合法的に死なせてもらえますよ。
だから、死ぬ時期を考えるのはやめて、いま生きる意義を見出すことに前向きであってください。生きる意義が見えていれば死ぬ時期のことは考えないはずです。電池が切れたとき動かなくなるのであって、何故生きるのかが見えていれば電池が切れるまで生きて続ければよいだけだということです。こう考えることに安心を得られれば死ぬ時期のことなど考えないはずなのですが。
自分のルールを優先して生きないことが仏道ですよ
それはぶっちゃけあなたのルール。
これから先はきっとこうだろう、こうに違いないと思い込んでおられるだけ。
それはあなたのルール。
ところが、明日の行方すら誰もわからない。
隕石が落ちてきて死ぬかもしれませんし、
空から宇宙人やってきて連れてかれてしまうかもしれませんし、
外食先でキノコに当たって死んじゃうかもしれません。
物事は前向きに考えましょう。
隕石が落ちてきても打ち所が良くて孤独が感じられなくなって幸せになれるかもしれませんし、空から宇宙人がやってきて楽しい所に連れてってくれるかもしれませんし、外食先でキノコに当たって死ぬかと思いきや頭の中にお花畑ができてハッピーになるかもしれません。ケタケタケタ(笑)
そう考えると「あー、早く落ちてこねえかな、隕石。」「くー、早く来ねえかな、宇宙人」という思考にすらなるもので、人間って面白いですね。(笑)
細胞レベルでは毎秒数十回死んでます。数十回生まれ変わっています。
そんな考えもいっそのこと死んじゃったらどうでしょうか(笑)
もっと、楽しく、生きてください。
今、孤独ではなかったはずです。
孤独を思うから孤独になり、死に憂いを重ねるから、死が憂いを帯びるのです。
物事を自分の考えというソースの面でしか味わっていない様に感じました。
ソースの下にあるとんかつまで到達しておられませんな。
よかったら、坐禅会にお越しください。
思いのソースが塗りたくられていて、素材そのものをまだ味わっていない様に感じました。
素材そのものを味わうのがむっぽう。
ソースの方を味わうのが思想、我見、私的見解。
わざわざそんな苦しまなくても、救われる道がある
自らの命の終わりを決めて、命を絶つなんて苦しいことをしなくても、生きながらに救われる道があるのです。それが仏教です。
死んでから救われても遅いでしょ。生きながらに救われたいでしょ。
そのためにとことん自分を追求し自分とは何かをはっきりとさせた方が、お釈迦さまです。曹洞宗でいえば、道元禅師さまです。
今ご自分だと思っているものの本質に気付き、本当はすでに救われているということに気付かれました。そして「人は生まれながらにして悟っている」ということの意味も知りました。
そうした道を心から信じ追求していくことができるのだということを知っていてください。
実際にとお寺に行き、はっきりとした道が見えた僧と話してみてください。
質問者からのお礼
藤岡様
さっそくのご回答ありがとうございます。
生きる意義。夫や家族を支えるため生きると思っていました。するとじゃあ夫や家族がいなくなったら生きる意義がないじゃないかとも思えたのです。
もっと主体的にならなくてはなりませんね。
でも特に特技もなく平凡な私には、意義を見いだすのが難しそうです。
ボランティアとか趣味とか…?
尊厳死についてもご教授ありがとうございます。
死への定義や抵抗感も年代とともに移り変わりますね。世間に連動して仏教界も変わったりしたのではと拝察いたします。
邦元様
ご回答ありがとうございます。
お釈迦様も自分とは何か悩まれたのですね。
お寺に伺うのは敷居が高いので、初心者向けの仏教の本を探してみようかと思いました。
再度のお伝えになりますが、自殺願望があるわけではありませんのでお気を悪くされたらすみません。
丹下様
ご回答頂きましてありがとうございます。
明日何がどうなるか分からない、将来一人の生活を楽しむ可能性も充分にあるのですよね。
死ぬシステムなんて偉そうに考えましたが、いわゆる「ソース」をこねくり回しているだけのようです。