hasunoha お坊さんが必ず答えてくれるお悩み相談サイト

お坊さんに質問する
メニュー
メニューを閉じる

死ぬ権利について

回答数回答 3
有り難し有り難し 26

不謹慎な質問をお許し下さい。

私は子どもには恵まれませんでしたが夫、家族と仲良く過ごしております。
このまま年をとれば親を看取り、夫を看取り、一人になるでしょう。
その場合、寂しさに耐えられないと思います。

なので何十年後かの日本では死ぬタイミングを自分で選択できればいいのにと思います。
いつ死ぬかわかっておけば、例えば自分の遺品の始末をする時間を持てますし、孤独でもその日までのがまんと思えば耐えられると思います。

周りに誰もいなくなった時。とても恐ろしいです。

こんな考え、自分でもずいぶんネガティブだなと思いますがおかしいでしょうか。

※現時点で自殺願望があるわけではありません。
将来の孤独がこわくて思いついた上記のような死ぬシステムについてどうお考えになりますか。


この問答を娑婆にも伝える
facebookTwitterLine

お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

いずれ、死にたければどうぞ、という時代になりますが……。

欧州の様子を知れば、そしてアメリカ各州の情勢をかんがみれば、日本にも尊厳死の流れはやってくると見当がつきます。

さらに、いまは最も年長の人でも70歳前の団塊世代が80歳になり90歳になれば、医療費および介護費の点から「死にたければどうぞ」ということになるのは明らかでしょう。だから死にたいときに死にたいなら、30歳代のあなたの望みは叶えられるものと思います。私は50代ですから脳死が人の死かどうか論議されていた時代からこんにちの流れをよく知っています。将来的には、死にたい人は合法的に死なせてもらえますよ。

だから、死ぬ時期を考えるのはやめて、いま生きる意義を見出すことに前向きであってください。生きる意義が見えていれば死ぬ時期のことは考えないはずです。電池が切れたとき動かなくなるのであって、何故生きるのかが見えていれば電池が切れるまで生きて続ければよいだけだということです。こう考えることに安心を得られれば死ぬ時期のことなど考えないはずなのですが。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1300件を超えました


私はお坊さんといっても、ひと様に何か答えらしいものを提示できるような立派な...

自分のルールを優先して生きないことが仏道ですよ

それはぶっちゃけあなたのルール。
これから先はきっとこうだろう、こうに違いないと思い込んでおられるだけ。
それはあなたのルール。
ところが、明日の行方すら誰もわからない。

隕石が落ちてきて死ぬかもしれませんし、
空から宇宙人やってきて連れてかれてしまうかもしれませんし、
外食先でキノコに当たって死んじゃうかもしれません。
物事は前向きに考えましょう。
隕石が落ちてきても打ち所が良くて孤独が感じられなくなって幸せになれるかもしれませんし、空から宇宙人がやってきて楽しい所に連れてってくれるかもしれませんし、外食先でキノコに当たって死ぬかと思いきや頭の中にお花畑ができてハッピーになるかもしれません。ケタケタケタ(笑)
そう考えると「あー、早く落ちてこねえかな、隕石。」「くー、早く来ねえかな、宇宙人」という思考にすらなるもので、人間って面白いですね。(笑)
細胞レベルでは毎秒数十回死んでます。数十回生まれ変わっています。
そんな考えもいっそのこと死んじゃったらどうでしょうか(笑)
もっと、楽しく、生きてください。
今、孤独ではなかったはずです。
孤独を思うから孤独になり、死に憂いを重ねるから、死が憂いを帯びるのです。
物事を自分の考えというソースの面でしか味わっていない様に感じました。
ソースの下にあるとんかつまで到達しておられませんな。
よかったら、坐禅会にお越しください。
思いのソースが塗りたくられていて、素材そのものをまだ味わっていない様に感じました。
素材そのものを味わうのがむっぽう。
ソースの方を味わうのが思想、我見、私的見解。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1300件を超えました


丹下覚元(たんげかくげん)
☎お悩み相談 質問 📞08020659278 どなたでも。

わざわざそんな苦しまなくても、救われる道がある

自らの命の終わりを決めて、命を絶つなんて苦しいことをしなくても、生きながらに救われる道があるのです。それが仏教です。
死んでから救われても遅いでしょ。生きながらに救われたいでしょ。

そのためにとことん自分を追求し自分とは何かをはっきりとさせた方が、お釈迦さまです。曹洞宗でいえば、道元禅師さまです。

今ご自分だと思っているものの本質に気付き、本当はすでに救われているということに気付かれました。そして「人は生まれながらにして悟っている」ということの意味も知りました。

 そうした道を心から信じ追求していくことができるのだということを知っていてください。

実際にとお寺に行き、はっきりとした道が見えた僧と話してみてください。

{{count}}
有り難し
おきもち

おきもちが累計1300件を超えました


質問者からのお礼

藤岡様
さっそくのご回答ありがとうございます。
生きる意義。夫や家族を支えるため生きると思っていました。するとじゃあ夫や家族がいなくなったら生きる意義がないじゃないかとも思えたのです。
もっと主体的にならなくてはなりませんね。
でも特に特技もなく平凡な私には、意義を見いだすのが難しそうです。
ボランティアとか趣味とか…?

尊厳死についてもご教授ありがとうございます。
死への定義や抵抗感も年代とともに移り変わりますね。世間に連動して仏教界も変わったりしたのではと拝察いたします。

邦元様
ご回答ありがとうございます。
お釈迦様も自分とは何か悩まれたのですね。
お寺に伺うのは敷居が高いので、初心者向けの仏教の本を探してみようかと思いました。

再度のお伝えになりますが、自殺願望があるわけではありませんのでお気を悪くされたらすみません。

丹下様

ご回答頂きましてありがとうございます。
明日何がどうなるか分からない、将来一人の生活を楽しむ可能性も充分にあるのですよね。
死ぬシステムなんて偉そうに考えましたが、いわゆる「ソース」をこねくり回しているだけのようです。

「死について」問答一覧

亡くなった人の思いはあるのかないのか

今年四月に父が亡くなりました。 両親は私が五歳の頃に離婚をしました。 母に育ててもらいました。感謝しております。 私は今まで父の事をないものとして生きてきました。 帰ってこない、蒸発した父と教えられてきたので その通りだと思って生きてきました。しかし、本当は違いました。 父は母と離婚したのち、数年後に再婚しておりました。 そのことを親戚に聞きました。子供まで二人作っていたことも 知りました。正直ショックでした。そんな人だと思いませんでした。 それも父が死んでから親戚に電話口で聞かされました。 私は今まで二十年以上、何も知らずにのうのうと生きてきたのです。 馬鹿馬鹿しくなりました。そして情けなくもなりました。 自分に対しても、父に対してもです。 私は父のことが好きでした。今も好きです。 本当に好きでした。それなのに父は裏切った。 今も苦しいのです。私にはお父さんがいなかったのに その子たちには二十年以上、お父さんがいた。 一緒に生きてきた。一緒に生活をしてきた。 泣いたり、笑ったり、怒ったり、そんなこともあったのでしょう。 そんなふうに普通の家族としてその二人の子供はお父さんと一緒に いれたのです。しかし、私にはそれがなかった。 父は私のことを無いものとして生きてきました。 私のことを完全に無視しました。 しかし、私もまた同じでした。 私も父の事を無いものとして生きてきました。 そうしなければ、生きていけなかったからです。 封印して父の記憶消しました。父と私は似ています。 きっと父もそうだったのではないかと思います。 本当はつらかった。今も苦しいのです。 死んでから父のことが頭から離れません。 今まで生きている間は父のこと考えもしませんでした。 忘れているのではなかったのですが、封印したのです。 父に会いたいと思ったことも全くありませんでした。 しかし、父が死んでからそのことを聞かされてから 父に会いたくて会いたくて堪りません。 こんなに人を思う、こんなに誰かのことを思うのは、 私の人生の中で初めてです。自分がビックリしています。 毎日毎日父のことばかり考えています。 昔はあんなにどうでもよかったはずの人なのに。 もしかすると父も私のこと見ているのでしょうか。 父も私のこと思ってくれているのでしょうか。 私は何故だかそんな気がしています。

有り難し有り難し 16
回答数回答 2

死についてのさまざま

先日、祖父を亡くしました。半年前には祖母を亡くしました。 2人とも僕にとても尽くしてくれて、人間としても素晴らしい方々でした。 祖父の最後は僕のために洗ってくれたお風呂の中でした。少し発見が遅れてしまい、1人にさせてしまったことが今でも悔しいです。 祖父が使って、洗うために台所に置いてあった食器を供養の気持ちを込めて洗っていた時に、ふと、もうこの食器を使っている姿を見れないんだなと思う気持ちと、生前に食器を使っていた場面が鮮明に思い出されて、保っていた涙腺が崩壊してしまいました。 その後もただ、祖父母のいなくなった部屋を呆然と眺めているだけで、喪失感、自分と2人との部屋での日々を思い出し、涙が出ます。 祖父は祖母が亡くなったのとほぼ同時に進行したがんの発見や老いによる身体の不自由。さらに仕事という生きがいを無くし、僕たちに生活の迷惑をかけていると思っていることや祖母の死になにもできなかったと悔やむ姿。とても辛そうでした。 亡くなってしまったことはとても残念ですが、夫婦一緒に納骨できること、辛そうな祖父が解放されたような気がして、これでよかったのかもしれないと。こう思ってしまう、僕は間違っているでしょうか? そして、祖父母を亡くしたことで自分や家族、友人、大切な人が次にまた無事に会えるのか毎日怖くなってしまいました。 些細な不調なんかでも最悪のケースを常に先に考えてしまい、不安で無気力になってしまうこともあります。 寝てしまって、そのまま自分に何かあったら、それ以外の人もそのまま永眠してしまったらと自分が寝るのも家族などが寝るのを見るのも怖くて、あまり寝れません。 死とは突然で世界を一変させてしまうものだと祖父母に気付かされました。 誰かに聞いて欲しい。それだけを思って書いてしまった部分もありましたが、お許しください。 そして、どうかお言葉、知恵を与えてください。お願いします。

有り難し有り難し 10
回答数回答 1

自分が本当に死んでしまう気がします

生きることが怖いです。 私は昔から自分に自信がありません。人目を気にして、顔色をうかがって、周りを羨んで、甘えたり頼ったりするのが苦手で他人と深い関係を築けませんでした。周りが普通に出来ている人生のステップがとても難しく見えました。自己肯定感は低く、変に完璧主義なところがあります。大学生の頃から過食嘔吐も止められません。 学校や会社での経験で、見た目が綺麗な人は生きやすそうだなと感じました。私は中身が空っぽだから外見を良くすれば周りから優しくされて自信が持てて、自分を好きになる人生が始まると思い込みました。今振り返ると恥ずかしい考えです。 整形しようと風俗や援助交際でお金を貯めました。昼は会社、夜は風俗で毎日働きました。父や兄が短気で男性は苦手でしたが、お金を貰うと自分に価値があると勘違いできました。 会社を辞めて、貯めたお金で整形しました。大金でした。手術自体は失敗しませんでしたが私的に違和感のある顔になりました。前の方が可愛かったです。そこから情緒不安定になり鏡を見れなくなりました。 自信がゼロ以下になり、何のために働いたんだろう、勢いでやって馬鹿だった、という後悔。朝がくるのが怖い、将来を考えると不安で心臓がドキドキするようになり、何をするのも気力がなくて涙が出てお酒で紛らわすようになりました。バイトすら今の自分にできるか分かりません。心の底から疲れたという思いだけです。人が怖い。働くのが怖い。社会が怖い。1人が怖い。顔を見せるのも怖い。生きるのに向いてなかった。こんな私は結婚もできず、お金もなくなって母に何もしてやれない。数少ない友達にも会えない。誰にも愛されない。顔を変えて親不孝者。ただ息をするのがこんなに辛いとは知りませんでした。 最初は死ぬのは怖かったです。でも段々と何も希望がないのに生き続ける方が怖くなりました。死ぬ方法や場所も調べて、苦しくなると、死ぬから大丈夫早く死なないとって考えて少し楽になります。親に少しでもお金を残したくてあと数ヶ月は頑張って生きるつもりです。 母だけが心残りです。けどごめんなさい、生きるのに疲れたから明日を終わらせたい。今の自分を認めてあげたいけど無理です。 このままだと私は本当に自殺するんだろうなとぼんやり思います。自業自得で恥ずかしい私ですが、なんとか生きていくヒントはあるでしょうか。下手な文章ですみません。

有り難し有り難し 5
回答数回答 1

人の死が受け入れられません

初めて相談させていただきます。 よろしくお願い致します。 先日、芸能人の方が自殺して 亡くなるというニュースがありました。 その人のファンなの?と聞かれると そうです!と胸を張って言えませんが、 ドラマやバライティ等の番組で その方の姿を見るのは当たり前だったので 自殺と報道された時は衝撃的でした。 言い方が悪いかもしれないですが、 その方が病気とかだったら まだ納得が出来たのかもしれません。 ですが、亡くなった原因が自殺と知って テレビの前でキラキラと輝く人が 自殺してしまって自分が知らない 業界にも闇があることを知り、 また、無力だけど自分に出来ることは 何かなかったのかなと考える日々です。 これからドラマにも出る予定で 映画も公開されてCDも販売するのに 理由は本人にしか分からないけれど 心が苦しいです。 追悼のサイトができて メッセージを送ろうと思っても その方のSNSを見ると 素敵な笑顔で笑っていて 亡くなったという実感がなく まだ生きてるのにと思ってしまって メッセージも送れません。 亡くなってるのは 頭の中で分かるってるはずなのに 心が追いつけず受け入れられません。 人の死に対面することは経験していて 気持ちが苦しくなったけど、 大切な人達の死を 受け入れることができていたのに 今回のその方の死は受け入れられません。 直接関わったこともない私が こんな気持ちになるのは おかしいことなのかもしれませんが、 気づくとその方のことを考えていて その方のSNSや動画をみて涙を流して なんとも言えない感情に襲われます。 どうすれば死を受け入れられますか?

有り難し有り難し 4
回答数回答 2

関連する問答

温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ

相談カテゴリ
-四苦八苦 SickHack!▼ 全カテゴリを見る