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マインドフルネス

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マインドフルネスをやっているのですが、hasunohaを観覧していたら、独学(ネットから見たもの)で瞑想を行うのは良くないとの回答も見たのですが、最近では海外や日本の企業、そしてテレビでも取り上げられていて、自分でもやってみたら、効果はある気がするのですが。
辞めるか、続けるか迷っています。

またマインドフルネスですが、毎日行っていて数日途切れてしまった場合は、また毎日行うようにすれば良いのでしょうか?

宜しくお願いします。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

マインドフルネスについて

ぴっぴさま

まず仏教の観点からマインドフルネスについてお答えさせていただきます。

まず、マインドフルネスのルーツですが仏教にあることは間違いありません。

でも、それが日本の座禅なのか、ティクナットハンのマインドフルネスなのか、あるいはテーラワーダのヴィパッサナー瞑想なのか、その辺は混ざり合いがあって、どこにマインドフルネスのルーツがあるのかは、正確にはよくわかっていません。
ただぼく個人的には、ヴィパッサナー瞑想が一番近いかなと感じてます。

いずれにせよ、気づきを向けるという方法は、上記のさまざまな仏教に共通してます。

次にマインドフルネスが誕生した背景です。
マインドフルネスが生まれ、アメリカや西洋でブームとなった背景は一致してます。

それはストレス低減です。

当初は、クリニックでのうつ病や不安障害の改善にマインドフルネスが採用されました。
そこで科学的なエビデンスが得られ、爆発的に広がりつつあるというのが現状です。
日本では、全国にある女子の少年院のほとんどでマインドフルネスが採用されています。

さて、本題ですが、マインドフルネスを独学でできるか。

答えはイエスです。

ただし、条件があります。

ぴっぴさんがいまうつ病などの精神疾患を患っていないかです。

例えば、うつ病の場合、思考の反すうといって、マイナスイメージの思考が頭の中でなんども浮かび上がってしまう状況で、なおかつ独学でマインドフルネスを行うと、症状が悪化する可能性が指摘されています。(もともとクリニックでマインドフルネスが導入されたのは、医師のもとにおいてでした)

そうでなければ、一人でも実践できます。

ただ、良きコーチについた方が、ベターなのは事実です。

それから行う頻度と時間ですが、毎日5分間のマインドフルネス瞑想を8週間続けた場合でも効果があると報告されています。

※追記※
改善の手応えを感じているならやめる必要はないと思いますが、かかりつけの医師にまずご相談した方がよろしいと思います。

追記の追記
突然やめた場合でも問題ありません。

追記の追記の追記
よかったです。お大事にして下さいね。

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hasunoha共同代表 浄土宗光琳寺 副住職 佛教大学で浄土学を...
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独学は誰も得をしない

マインドフルネスは流行りモノという一面もあります。。
一言にマインドフルネスと言っても禅僧ティクナットハン老師が提唱なさったマインドフルネスから、スピリチュアルないかがわしいマインドフルネスまで全部一緒くたにマインドフルネスと呼ばれているのが実状です。その意味でググって簡単にやってみようというのは危険でしょう。

それに独学というのは何についても危険なものです。変な方向に行ってしまった家庭の医学をイメージしてみて下さい。長くやればやるほど自分が偉くなってしまい、病院の先生に指図してドヤァする人たち。痛いですよね。瞑想の世界にもそうして道を踏み外してしまった人たちが無数にいます。
マインドフルネスでも南無阿弥陀でも坐禅でも観法でも何でも良いですが、人と人との繋がりの中に修行を見出して下さい。特に仏道はご縁に生きることなのですから。

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曹洞宗副住職。タイ系上座部仏教短期出家(捨戒済み) 最近YouTubeを...
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善い行いは毎日でも善いでしょう

 マインドフルネス(mindfulness)は元々インドの古い言葉であるパーリ語のサティ(sati)=念の英訳のようですね。
 仏教では悟りに至るための8つの正しい行いである八正道(はっしょうどう)の中に正念(邪念を離れ,真理に至ろうという心を保つこと)があります。これらは凡夫である私たちには実践することが困難です。
 しかし、こうした私たちのために救ってあげようと誓いを立て、「我が名を呼べば必ず救う」との誓いを成就した仏様が阿弥陀様です。「南無阿弥陀仏」と仏様のお名前を呼ぶことを念仏と言います。「南無」はインドの古い言葉の「ナモ」を漢字に当てはめたもので「お任せします」という意味です。念仏はいつでもどこでも簡単にできます。念仏を称え続けることで結果としてマインドフルネスと同じ効果があると思います。どうぞ実践してみて下さい。
 なお、お念仏を広めた法然上人はそのお弟子様から「念仏を称えていて眠くなればどうすれば良いですか」との問いに「目覚めればまた念仏を称えなさい」とお答えになりました。また、「便所のようなきたないところでもありがたい念仏を称えて良いのですか」との問いに「便所で称えても罪になるどころか、極楽へ行かせていただけます」とお答えになりました。

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35年ほど地域福祉の仕事をとおして様々な相談に応じてきました。浄土宗教師以...
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質問者からのお礼

ご回答ありがとうございます。南無阿弥陀と唱えてみようと思います。
マインドフルネスはやめた方が良いのでしょうか?

ご回答ありがとうございます
やはり今は独学でマインドフルネスを行う方法しかないので、マインドフルネスを止めようと思います。

ご回答ありがとうございます。僕はパニック障害(過換気症候群)があります。
ちなみにマインドフルネスですが、井上広法さんのスクーの授業を見てマインドフルネスをやっていました。自分では効果があった気がします。井上広法さんの意見では、僕はやめた方が良いのでしょうか?
またやめるときに普通にやめても良いのでしょうか?

ご回答ありがとうございます。前に瞑想を医師から勧められていて、マインドフルネスをやってると言った事があります。現在パニック障害は落ち着いていて事と医師と意見が合わず病院に通院していないため、相談出来ないので、マインドフルネスを止めようと思います。
今までやっていましたが大丈夫ですよね?
また普通にやめても良いですよね?
何度もすみません。

ご回答ありがとうございます。
何度もご返信して頂きありがとうございました。

「仏教における瞑想」問答一覧

マインドフルネスについて

瞑想を2週間ほど前から朝の日課にしています。欲を少しでも手放せたらと思い、始めました。 そして、昨日仕事中にふっと目の前の仕事に全意識が向いている心地よさを体験しました。これがマインドフルネス?と思いました。15分くらいしか持ちませんでしたが。 どうしても自分で自分を苦しい状態にしてしまうので、どうしたらもう少し楽に生きれるだろうと思い、このマインドフルネス状態が長く続けばいいのでは?と考えています。 そして、大人になると生活の7割くらいが仕事なので、仕事中にマインドフルネス状態が続けば毎日がもう少し楽になると考えました。 しかし、仕事内容が慣れているものであったり、どう進めるか想像つくものであればマインドフルネス状態になりやすいと思ったのですが、仕事内容によっては難問にぶつかったり、やったことないことをやらないといけないことだってあります。クリエイティブ系の職種のため、アイディア出しなどはいつも苦しいんでいます。今思うと、まだこの職種の経験も浅いこともあり、8割ほどの仕事内容にいつも苦しめられています。難問にぶつかった場合もただ難問に向き合うだけでマインドフルネスなのでしょうか。 マインドフルネスについては本などを読んで、自分なりに解釈しているところもあるので間違いがあれば訂正していただきたいです。 仕事中あっちこっち気持ちが散らかるので、マインドフルネスの実践ができたらなと思います。

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仏教の瞑想について教えてください

実家が浄土真宗という事もあり、瞑想に縁が無く、なんとなく勉強もしてこなかったのですが、最近になって仏教の瞑想に興味を持ち、インターネットでざっくり調べてみました。 ですが、まだ分からない部分があり疑問がいくつか解けないままです。 そこでhasunohaのお坊様方に瞑想について詳しく教えていただきたいと思い質問させていただきました。 まず前提として仏教の瞑想には止(サマタもしくはシャマタ)と観(ヴィパッサナーもしくはヴィバシャナ)の二種類があるということ、法相宗の瑜伽や天台宗の止観は止と観を包括することまでは分かりました。 ただ分からないのは禅宗の坐禅と密教の阿字観です 禅は禅定という言葉からして止なのかな?と思ったのですが、臨済宗の公案によって自己を見つめる、というスタイルは観と言えなくも無い様な気がします。 阿字観や月輪観も一見止に思えますが、ウィキペディアの古式の阿字観瞑想の項には、奢摩他(シャマタ)と毘鉢舎那(ビバシャナ)と書いてありましたし、真言宗のお寺のサイトには「阿字観は観を止より重視する」と書かれていました。 真言宗や禅宗のお坊様、或いは仏教の瞑想に詳しい方がいらっしゃれば、お聞きしたいのですが座禅や阿字観は止ですか?観ですか?それとも瑜伽や止観の様に両方を包括するのでしょうか? もし知識としてご存じないなら、実際に瞑想をした体感からくる答えでも構わないので教えてください。 よろしくお願いします。

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