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納棺師

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初めて質問します。

先週、同居していた最愛の祖父が、心筋梗塞で85歳で亡くなりました。
とても優しい祖父でした。
その際に祖父を綺麗にしてくださった納棺師の方のお仕事ぶりや仏教に深く心を打たれました。

プロフィールにも書きましたが、私は今迄大学では英語を勉強させてもらい、いわゆる大企業につとめ、上昇志向も強く、キャリア第一線で生きて来た感があります。自分の意志でというよりは、そうした方が俗世を生き抜くのに有利だ、と脳で判断してきた為、現在にいたります。今27歳ですが、もう3社ほど会社勤めを経験しています。親に心配をかけないためにも、世間から見れば何不自由なく生きているように見せてきましたが、自分のライフワークや人様の為に役に立っているという実感がずっと得られませんでした。
現在転職活動をしていたところに祖父の死があり、納棺師や仏教との出会いがあり、私も納棺師として、世の中やご遺族、地域の方々のお役に立ちたいと思っているところでございます。

しかし、厳格な父は、大学も出て一流企業も出ているのにそんな仕事、と言います。結婚できなくなるぞ、もらってくれるかそんな女をと。
父の言葉は社会の言葉のように捉えられてしょうがありません。

こんな私でも、納棺師として、立派に故人様やご遺族様、阿弥陀様のお役にたてるでしょうか?
それとも、今まで通り、キャリアを積み上げて行くほうが、自分や周りや世の中のためになるのでしょうか?
迷いばかりで、未来が見えません。
背中を押して頂ける様な、お言葉が欲しいです。


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お坊さんからの回答 3件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

納棺師も大変尊いお仕事です

私は浄土宗の僧侶として原則納棺にも立ち会っています。ですから何百人の方の納棺に立ち会って来てますし納棺師の方がおられない場合(そちらの方が多いですが)は旅立ちのお支度のお手伝いを遺族の方としておりますし、納棺師の方々のお仕事も間近で見ております。たぶんハスノハのお坊さんの中でも知っている方に入るかと思います。納棺師のお仕事が一般的に知られたのはたぶん映画「おくりびと」の影響だと思います。映画は見られましたか?また原作の青木新門さんの「納棺夫日記」は読まれましたか?「納棺夫日記」を読まれるとお父さんの言いたいことはわかるかと思います、悲しいですが人の死に関わる仕事は尊いですが間違った偏見が根強いことも事実です。私はといえばそのお仕事の尊さとその技に込められた想いというものも少しはわかるつもりです。そしてお祖父様の納棺に立ち会われての感動されたお心はすばらしいと思います。ただそれを承知の上で申し上げます、現実の仕事としてお身内の方でなく全く知らない方のご遺体に触れるということ、またそれは必ずしもお祖父様のようにきれいな状態でなく、火事にて焼け焦げたご遺体、腐敗が始まり異臭が漂いウジがわいているご遺体、交通事故で血らだけのご遺体等全てを目にされ触れていただくことになります。だいじょうぶですか?そして世の中の偏見もあるのです。勘違いしないでください、私も立ち会い触れさせていただいています。だからこそ納棺師の方が大切なご家族のご遺体を綺麗に整えてくださることへのご遺族の感謝の思いありがたいことです。しかしまた同じく今のお仕事も尊いものです。尊くない仕事などないのです。納棺師にあこがれまだ目にされていないなら「おくりびと」「納棺夫日記」是非目を通されてから進まれるのがよろしかと思います。最後に納棺師の方は本当に縁の下の力持ちで目立たない日の当たりにくいお仕事ですが、わかる方にはわかる本当に尊いお仕事です。

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長くサラリーマンをしていて、16年前先代の跡を継ぎました。住職となって改め...
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現場の方の声を聴いてみましょう

 我々僧侶も、葬儀のプロセスの中で、少なからず係ることがあります。


祖父を綺麗にしてくださった納棺師の方のお仕事ぶり

 心よりお祖父さまの御冥福をお祈り申し上げます。こういう印象を持たれたということは、お祖父様をお心込めてお見送りすることが出来たのだと存じます。こういう流れの中で、納棺師の仕事に感銘を受けられたわけですね。大切な方を、大切な方の御遺体を、丁重に厳かにお召替えして差し上げる。尊い仕事だと思います。

 但し、この時の感激感動だけで就労し、仕事として続けていけるかどうか、と言う点については少々心配です。実際に、お亡くなりになる状況の中で、御遺体の状況も様々です。既に長谷雄師の御回答に詳しく例示されてますので、これらの点を承知した上で就労するだけの覚悟の有無が問われるところです。

 或る程度ネットで検索すれば、納棺師の方々の就労事情は理解できると思います。
実際の納棺師さんの業務は
1、葬儀社の社員として納棺の仕事を行う。
2、葬儀社の下請けもしくは葬儀社への人材派遣という形で働く。

葬儀社さん同様、24時間体制の勤務となり、多分に不規則な生活となることは覚悟しなければならないでしょう。また、死と言う人間にとって一生に一度しかない事に臨む仕事ですので、常に緊張感と責任感を以て仕事に当たらなければなりません。わたあめさんは、それだけの覚悟を持ったうえで、納棺師の仕事をお考えになっていると思います。念のため、もう一度点検してみてください。

 仕事の遣り甲斐、生き甲斐という要素は大事なことです。しかし、これからの人生を伴侶(将来の伴侶)と生きていくためには、生活設計も必要です。毎日定時出勤定時帰宅は難しいでしょうし、休日も不規則になるでしょう。仮に納棺師の会社に就職した場合、実際にどれくらいの範囲の地域の納棺を行うのか、実際の給与、産前産後や育休の取り方、保育園への送迎、家事の負担分担についても考慮していく必要が有ると思います。実際に、納棺師として働いている方から、詳しく話を聞かれた方が良いと思います。

 

 

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 目の前の方の悩みや気持ちをしっかりと受け留め、心を開いてもらうように努め...
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はじめまして シマダイッセイと申します
わたあめさんの質問にお答えします

わたあめさんが葛藤していらっしゃる2つの思い、
①「納棺師として故人様の、ご遺族の、仏様の役に立つ」という将来のゆめ
②お父様の意見・期待に対して、娘である自分はどう応えてゆくのか

この2つは別々に分けて考えると良いかも知れません。

ユダヤ教のことわざに
 『自分が自分のために自分の人生を生きていないのであれば、
  いったい誰が自分のために生きてくれるだろうか』という言葉があります

先に挙げた①と②のうち、①はわたあめさん自身の課題です。
ところが②はわたあめさんが取り組むべき課題ではない。

②は自分の娘の生き方に対して、どう思うか、どう折り合いをつけてゆくのか、
という意味で、お父様が取り組むべき課題なのです。

ここまで整理したうえで、私は②よりも①を優先してゆくべきであると考えました。

私たちは他者の期待を満たす為に生きているのではありません。
自分の取り組むべき課題に向き合う中で、副産物的に他者の期待に応えれば良いのです。

…アドバイスなのか、お説教なのかわからなくなってきましたが、
これはあくまでも、私1人の考えです

どうぞ、他のお坊さんの意見も聞いてみて下さい。

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嶋田一成
副住職をしています 敬称略で「いっせいさん」と呼んでください。 カ...
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質問者からのお礼

皆様、あたたかい御返事たくさんのお言葉を頂戴し、大変ありがとうございました。
機能がよくわかっておらず、お礼のコメントが遅くなり大変申し訳ございませんでした。

その後2年経ち、現在は2年前と同じメーカー営業をしております。日々どんな事からも学びながら、自分の仕事を通して私なりに社会貢献をするのだという気概で生きております。
お坊様方からあたたかいお言葉を頂けました事、嗚咽が込み上げております。
どうか、このコメントが届きます様、お礼の言葉とさせて頂きます。敬具

「葬儀」問答一覧

海外からの祖父の葬儀参加について

先週に私の祖父が逝去したと妹より一報がありました。 今週末に予定されている祖父の葬儀への参加に悩んでいます。 きちんと見送ってあげたい気持ちがあるのですが、正直なところ複数の理由から、参加を見送ろうかと悩んでいます。 私は初孫だったので特に可愛がってもらったと思います。今でも小さかった時の祖父との思い出が記憶にあり涙が出ます。大人になってからは頻繁に会いに行ってあげられていなかったので、薄情な孫であったことが申し訳ないです。 悩む理由の一つとして、私が今現在海外在住(日本へのフライト時間が半日以上かかる場所)であることです。帰ろうと思えば帰れなくはないのですが、既に一ヶ月後に一時帰国を予定しておりその予定はキャンセルできないため、葬儀の2日間のためにフライトチケットを手配して行くことになります。 帰るなら早急にチケット手配や荷造り等をしなければいけないので、迷う時間も限られています。 また、参加できたとしても直後に家族での遠方への旅行を予定しているために、また帰ってすぐに長距離移動をすることになり精神的・体力的に厳しそうだなと憂慮しています。 もう一つの理由として、私が毒親である両親との縁を一方的に断っているため、もし葬儀に参加できたとしても精神的に受けつけない両親と顔を合わせ言葉を交わすことになることが恐怖に感じています。 (体調が悪くなる可能性があります。) きちんと祖父を送ってあげることに集中したいのですが、夫は仕事の都合で帰国しての参加が難しく、妹も仕事の都合で欠席予定となり、孤立してしまうので、精神的安全がなく、親戚への気遣いも必要な場ではかなりしんどいのではと危惧しています。 こういったときの常識がないため、色々調べ、花が好きだった祖父へ、せめてもの供花を妹夫婦と私夫婦で贈ろうかと考えています。 香典は海外からは送れないため、後日の一時帰国の際に連絡の取れそうな叔母に手渡ししようかと思っています。 (おそらく喪主は長子の父親かと思いますが、一番祖父母のケアをしているのは近くに住む叔母で、話の分かる優しい方です。) 今更ですが、きっと気落ちしている祖母にも声をかけに会いに行ってあげたいです。 帰れるのに帰らないのは、卑怯でしょうか。 欠席の場合、供花を贈るだけでは祖父に失礼にあたるでしょうか。 最後まで言い訳がましい孫で祖父には申し訳ない限りです。

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祖父の葬儀での出来事

先日祖父が亡くなり、生前からの祖父の意向もあり、家族のみ参列し、所謂直葬を執り行いました。 無宗教ということと、以前身内の葬儀の際にお坊さんの振る舞いについてとても嫌な思いをしたことがあったようで、それ以来自分が死んだら戒名もお経もいらないから家族だけで見送って欲しいとのことでした。 祖父の希望通りに直葬を執り行ったのですが、せめて火葬場ではお経を1回くらい読んで貰った方がいいのではないか、と親族の一人から声が上がり、じゃあそうしようということで、その際お世話になっていた葬儀屋さんに相談し、お坊さんを手配して下さるとのことで火葬の前に読経していただけることになりました。 お経が始まり、喪主である祖母がまず焼香し、それに続いて参列者が順番に焼香を行っていたのですが、一人ずつではなく三人ずつ焼香を行って欲しかったようで、お坊さんが読経中ですが参列者のいる後ろを振り返り、すごい目付きで睨んできました。 確かに焼香台は三つありましたが、特に何も言われなかったため、喪主に続き一人ずつ焼香を行っていました。 お坊さんの様子に気付いた火葬場の職員の方が、三人ずつどうぞと声をかけてくださったのですが、その間も時折こちらを睨みつけるように見ており、更には肩を竦めため息を吐いていました。 あまりの出来事に唖然としたと同時に頭にカッと血が登り、動悸が激しくなりました。 そのくらいの衝撃を受けました。 そのお坊さんにとっては数ある内の一つかもしれませんが、私たち遺族にとってはそうではありません。 大切な祖父を侮辱されたようでとても腹が立つと同時に悲しくて仕方ありません。 祖母も気付いており悲しがっていました。 こんなことなら祖父の言葉通り、読経してもらうべきでは無かったと後悔しております。 そのお坊さんへのお布施は一万円お渡ししましたが、お金さえ貰えれば後はどうでもいいのでしょうか? 腹の中で何を思ってようが自由ですが、それを表に出さないようたった数分も我慢できないのでしょうか、それが不思議でなりません。 上記したように、以前にもお坊さんのことで嫌な思いをしたことがあり、それに今回のこともあり、もちろんそんな事はないと分かってはいるのですが、こんな人ばかりなのですか? また、この悔しい気持ちの落ち着け方が分かりません。 アドバイスいただきたいです。 よろしくお願いいたします。

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母の葬儀を神式でやりたい父を理解出来ない

2月5日に、母がガンで他界しました。まだ60代の若さでした。今、悲しみと喪失感に暮れて居ます。 そんな中でも、葬儀の準備を進めなければなりません。我が家は、代々仏教式での葬儀を行なって来ました。 しかし、何故か父が神道式にしたいと言い出したのです。 ちなみに、父は特別神道を崇拝している訳でも無く知識もほとんどありません。 神式では、代々のお墓に遺骨を入れられません。魂も輪廻転生の輪に入れず、神棚に奉られる状態になると聴きました。 私は、生前散々苦労して来た母を、極楽浄土に送りたかったのです。 生まれ変わって、来世こそは、苦労無く、幸せな人生を送って欲しい。 しかし、神式では嫌な思い出ばかりが残る我が家に、魂を縛りつける事になるのでは無いかと心配しています。 父が私に相談も無しに依頼した葬儀屋さんも、神式葬儀の事例はほとんど無く、儀式なども曖昧に形だけやっている状態です。 母の亡骸は、まだ自宅に安置されています。枕直しの儀に必要な小刀などを担当の方が置いてくれました。 しかし、刀の置く向きが違います。葬儀屋さんのスタッフさん側に、神式の知識が無いのです。 用意出来る祭壇も小さく質素で、どうにも必要な用具が足りていません。これでは、あまりにも可哀想です。 まさか、お葬式の件で父とケンカをするとは思いませんでした。 どうしても神式で葬儀を行いたいのであれば、そこは仕方がありません。 ですが、せめて今の葬儀屋さんをキャンセルして、神式の儀式に詳しい、専門の葬儀屋さんに変えて貰いたいのです。 枕直しの儀を取り行ってしまった後のキャンセルは、失礼に当たるので出来ないのでしょうか…。 逆に、儀式をしたにも関わらず、別の葬儀屋さんで2度目の儀式を取り行う事は、 母の魂が迷ってしまったりなどの影響があるのでしょうか…。 葬儀業者をキャンセルして切り替えた経験のある方。 そして、数多くの魂を送って来られた、お坊様。 もう時間がありません。何卒、救いの手を差し伸べて戴けます様、お願い申し上げます。 大切な母親が人生の最後に、主役になれる日が葬儀だと考えています。 とびきり美しく、良いお式だったと言って戴ける様なものにしたい。私が出来る、最後の親孝行です。

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檀家総代について

先日父方の祖父が亡くなり、週末にかけて葬儀等を済ませたのですが 実は父が檀家総代をしているお寺の住職の母親の四十九日が祖父のお通夜と告別式が終わった次の日にあり 父は間もなくその手伝いに向かいました。 亡くなる1ヶ月前から祖父は施設のベッドから落ちて大腿骨を骨折したのちに入院と手術をしていたのですが その際はちょうど住職の母親が亡くなったあたりのタイミングだったため 本来であれば医師からの説明のためずっと病院に居なければならないはずが 檀家総代であるという理由から葬儀をまとめなければならず あまりそばに居ることができないような状況でした 「なんとかして祖父のそばに居てやれないものか」と言っても 父は「俺が葬儀のまとめをやらなければいけない」と返され聞き入れてもらえませんでした その時でも色々と疑問に思うことはありましたが まだ祖父は生きている状態だったので とりあえずはあまり口を出さずにいました でもなんだか今回は話が違うような気がするのです 昔からお世話になっているお寺なので 色々と感謝することがあるのは間違いなく 手伝う義務のようなものがあるのは十分理解しているつもりなのですが 身内の、しかも自分の親を見送るという時に葬儀から荼毘まで最低限のことだけして それが過ぎたあとは先にひかえている他人の葬儀を優先的にまとめるというのは なんだか祖父をないがしろにしているような感じに見えてしまってわたしは納得できません。 せめて四十九日までは自分の親のために集中できないものなのかと ただでさえ葬儀の前も後も大変だというのに… 檀家総代というのは、大切な家族の時間を犠牲にしてまでこなさなければならないものなのでしょうか? 本人に言っても、まわりに相談しても 「仕方がないことだから」と言われて終わってしまいます。 自分の行いは大なり小なり必ず自分にかえってくるものです もし自分があの世に行くときでも同じようにないがしろにされても良いということなんでしょうか。 あまりに薄情な気がしてなりません。。

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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ