お坊さんは泣きますか?
お坊さんは、職業柄お葬式などに伺う回数が多い方もおられると思います。
とても親しい檀家や門徒の方が亡くなったときは、やはりお坊さんも涙を流すことがあるのですか?
友人の知り合いのお坊さんに以前伺ったときは、「一応僧侶として伺う場合のお通夜や葬儀の場では、立場上泣かないように心がけているし、実際に泣いたことも今のところはない。」と言うようなことをおっしゃっていました。
もし、泣かないと言う方がおられたら、どのように悲しみを乗り越えておられるのかも合わせて教えていただけると幸いです。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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朝の勤行で一人の時は・・・
私はhironoriさんのお知り合いに近い在り方です。
泣くとお経が止まります。
私は、ご縁のあった方も、無かった方も同様に葬儀を執り行いたい。
私が向き合うすべての仏様は、同等の心構えでありたいのです。
違いといえば、身近な方の葬儀では、葬儀の直前に「成し遂げるぞ」という気合をかける事くらい。
また、喪主さんが僧侶に求める事は、滞りなく勤めてもらいたいという事。
悲しいのは親族の方です。
しかしさすがに、可愛がってもらった叔父の葬儀は辛かった・・・
何度もお経が止まりそうになりましたが、「感傷に浸る立場か」と不屈の精神で、滞りなくお勤めいたしました。
「僧侶って悲しいかも知れないな・・・」
初めてそう私は感じました。
哀しみだけが優しさではない
修行道場から帰って来たばかりの駆け出しのころはよく葬儀中にもらい泣きしそうになっていましたし、実際に泣いてしまったことも2,3回あります。でも今は泣きません。落ち込むというか、気が重くなることはありますけどね。私はお寺で育ちましたから『小さいころからずっと一緒にいたお檀家さん』がいます。そんな時は…やっぱりズゥ〜ン…ってなっちゃいますよ。
ある年、大晦日と元日にお葬式が続き、ズゥ〜ンとなってしまったことがあります。するとどうなるか…お年賀にお参りして下さった方々にそのズゥ〜ンを押し付けてしまったのですね。それを激しく反省し、気分のギアをパッパッと切り替えられるよう自分を鍛えました。だから次々とご挨拶する中で、さっきの人とは悲しいトーンで話し、次の人とは笑顔を交えて会話するということもします。ぶっちゃけ浅薄な人に見えてしまうでしょうが、これも職分といいますか、お寺特有の環境ゆえですのでご容赦いただきたいです。
話を戻しますが、今は式中に泣きはしません。ご遺族がどんなに号泣していらっしゃっても、すすり泣きしていらっしゃっても、放心状態であっても、もらい泣きしません。(○○さん、良かったね、こんなに想ってくれるお身内に恵まれて。これがあなたの人徳ですよ。あなたの生き方の結果ですよ。)と心の中で思ってあげます。心の中でそう語りかけてあげられるのは、葬儀会場の中でお坊さんだけかもしれません。
お檀家さんではありませんが昨年、町内のお寺さんが亡くなりました。私が十歳で出家式をした時に着物の着付けをして下さって以来、ずっとお世話になったお坊さんでした。私はそのお葬式で法要解説の任を務めました。気を張ってお務めし、最後に棺にお花を入れ、お別れをする時、お檀家のお婆さんたちが棺のまわりで「○○さん、ありがとうね。本当にありがとうね。」と言って泣いていらっしゃる姿を見ながら私は考えました。「○○さん、私もいつか死ぬ時、こんな風に死にたいです。こんな風に送ってもらえるなんて、○○さんがどんなに檀信徒さんと親密にお寺を護ってこられたか目に浮かぶようです。私もこんな風に送っていただけるよう、檀信徒さんと一緒にお寺を護るお坊さんになりますね…」と。
そうして『讃える』、『見習う』ということもまた、ご供養ではないかと私は思います。
こんにちは。
私は、お坊さんになった時、お葬式において、自分で2つの決まりを作って守ると決めました。
ひとつは「慣れない」事。
私にとってはたくさんのお葬式の中の1回だけど、ご遺族にしてみたら大切な人に対するたった一回の大事な式なのです。そういうことを決して忘れないように、やっつけ仕事にならないように気をつけています。
もう一つは「泣かない」って事です。
お葬式は、たいへん親しい方が来る一方で、義理で「親の葬式で香典いただいたから」くらいの理由で参列する方もいます。そんな中でお坊さんがお経やお話中に泣いていたら、ドン引きでしょう。それと、お釈迦様の大切な教えを、自分の感情で声が詰まって聞き取りづらいというのは良くない、僧侶として失格だ、と考えているからです。
お葬式の時は、なるべく心の波を鎮め、法要に集中するようにしていますが、やっぱり特にお世話になった方のような時は泣いちゃいますね。
僧侶である前に、男として。
私は、式中に泣きそうになったら、鈴木蘭々の「泣かないぞェ」を思い出し、なんとかこらえています(笑)
半分冗談ですが、今のところ、式中に泣いてしまったことはありません。
小さなころから面倒を見てくださった恩人の通夜でも、大丈夫でした。
むしろ、この人を導くことが私の仕事なのだ、と思うことで、泣いている場合ではなくなりました。
ひとりでの帰り道のさなか、息ができなくなるほど泣いて、
翌日の葬儀は、何事もなかったかのように勤めました。
僧侶である前に、男の子ですから。
人前では、泣かないのです。
親しい人なら泣きますし、親しくなくても目に涙が浮かびます。克服なんてできません。ただ、南無阿弥陀仏と唱えて、極楽浄土でご先祖やご家族、そしてご遺族ともまた会えることを祈るだけです。
涙でます。。。
縁のある方との、今生のわかれ、涙が出る事もあります。
その人の人生を受け止める、涙が出るときがあります。
また会える、その時までしばしのお別れ
通夜、お葬儀を滞りなくさせていただく為、しっかり 前を向いて 向き合います。
お経よりも、お話しを、している時に、ウッとくるときがあります
でも、涙が出る事は仕方ないですよね。
もう何年も泣いていません
こんにちは。シマダイッセイです
質問にお答えします。
先ず、お坊さんも涙を流すことがあるのですか?という質問です
私個人は法事・通夜・葬儀の場で涙を流した事はありません
親族の法事でも、です。
また、ここ数年悲しくて泣いた記憶もないです
それから、どのように悲しみを乗り越えるか、です。
悲しみを乗り越える、という事はしていません。
うまく言えませんが「どうしようもなさ」を知ることです。
たとえば私が、今現在の国政に不満があったとします。
日々ニュースで流れる凄惨極まりない事件報道を見て、
私が「今の政治が悪いのだ」という旨の事を言ったとします
そこで私の友人が
「だったらお前が選挙に立候補して政治を変えたらいい」と話したとします
(hironoriさまだったら、どうお返事されますか?)
きっと私は友人の言葉を冗談としか受け取らないと思います。
…「どうしようもなさを知ること」に話を戻します
こんなたとえ話をして何を言いたかったのかと言えば、
「どうやらこの世には自分の力ではどうにもならない事がある」という事。
そして人は一度「これはどうしようも無いことだ」と腑に落ちると、
その考えをひっくりかえそうとしなくなるのです
先のたとえ話でいえば、
「どんなに政治に不満があったとしても、
自分に政治を変えるほどのタフネスは無い」事が経験上わかっていますから、
友人の言葉を真面目に受けて立候補なんてしません。
そして、人の生死は政治なんかよりもはるかに「どうにもなりません」
この仕事をして3年。
職業柄お葬式などに伺う回数が多い方のうちのひとりですが、
私はこんな風に、考えています。
質問者からのお礼
色々なお答えを頂戴して、大変ありがとうございます。
涙を流す方、流さない方、それぞれに思いを持ちながら葬儀を勤めてられるのだと改めて感じました。
それだけでなく、そもそものお通夜、お葬式に対してどのような心持ちでお勤めされておられるのかというところまで、お答えいただきありがとうございました。