強迫観念について
出産を機に、強迫観念のようなものに悩まされています。自己判断ですが、加害恐怖だと思います。
それは娘に対してだけ起こり、例えばハサミを見たら「これで娘が怪我したら…」と考えて怖くなり引き出しの奥にしまったり、ベランダへ出たら「もしここから落としてしまったら…」と考えて体が震えたり、挙げればきりがないのですが。
恐い考えは私の調子いい時も悪い時も関係なく起こります。
最初は初めての育児で疲れているのだと思うようにしていたのですが、娘が10ヶ月になり、夜泣きなど落ち着いた今でも強迫観念は消えません。もしこの強迫観念が自分の本来の姿だったらと怖くて仕方ありません。森田療法などもしてみましたが、効果は得られませんでした。精神科は薬を服用するのが嫌で受診していません。
娘のことは本当に大切ですし、叩いたりしたことはありません。
ただ泣き声をずっと聞いていたら恐い考えがムクムクとわき起こり、今は打ち消してはいるけれど、いつか痛い目にあわせてしまうのではないかととても不安です。
仏教の教えが好きで、よくスマナサーラさんの本を読ませていただいています。
この強迫観念をなくす方法がありましたら教えていただけませんか。
よろしくお願いいたします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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母性なのでは
みいさんへ
私は、お医者様ではないので、専門的な事は分かりませんが、
みいさんは、子供の事を大切に思うごく普通のお母さんだと思います。
自分の事以上に、子供を大切に思うのが母性。
過去から現在へ、遺伝子を通じて脈々と伝えられてきたのだと思います。
「これで娘が怪我したら…」
「もしここから落としてしまったら…」とありますが、
子供の危機危険を感知するセンサーが敏感過ぎるのかも知れません。
それでも、心配しすぎるに越した事はないと思います。
「あの時もっと気を配っていれば・・・」
「あの時こうなる事を想像していれば・・・」
子供を失った方々は後悔しておられます。
みいさんの強迫観念は、母性だと思います。
ですがですが、私の考えに共感できないようであれば、一度お医者様にご相談される事をお薦め致します。
はさみが傷つけるのではない と 私の思いが傷つけると 知る。
「こうしたら、こうしよう。」
ただ、対処をその都度する。
それだけに留める事。
それだけに徹する事。
あなたが恐れているのは「万が一」。
万が一、子供にこんな事が起こったらどうしましょう、という心配からくるイメージが、あなたはイメージ力が大変鋭敏で優れているので、その能力がアダとなってどんどんイメージを2次的、3次的にボンボン作り出して、10次的くらいまで言っちゃって、ついにゴジラが町を破壊して、日本を滅亡させるくらいの勢いにまでなっているのだと思います。←このくらい
うちでも危ないものは子供の手の届く処には置きません。
ベランダは、補強しました。
窓は子供が開けられない様にしました。
それは、むしろ当然。
危ないものや、危ない環境は無くす。
しかし、子供は使い方によってどんなものでも「危なく」使うことがあります。
同時に、親もものの見方によってどんな物でも「危なく」観ることがあります。
先日子供とボール遊びをしていました。
子供の頭くらいの大きさのやわらかいゴムボールです。
ずっとやっているとゴムボールが床のホコリを吸着していきザラついてきます。
「顔に当たった時にホコリが目に入らないかな…」そういう配慮が生まれてきます。
そうしたら、すぐに洗えばいいのです。
対処、対処、対処。
A「雨が降ったら傘をさせ」でいいのです。
B「雨が降ったら、濡れちゃうな、風邪ひくかな、風邪ひいたら仕事にならない、子供のお世話どうしよう、…ああ、ゴジラ誰にやっつけてもらおうかしら(笑)」みたくなって、思いの方で自分を傷つけないようにすることです('ω')ガオー
Bは思いの世界で行動してます。それは厳密には行動ではありません。
Aは事実の世界で行動しています。事実の世界だけで行動すれば、思いの余モツは付着しません。
「妄想」と気付き、妄想を飼い慣らす
スマナサーラ長老の本を読まれているなら、ヴィパッサナー瞑想についてもご存じかもしれませんが、一度やってみてはどうでしょうか?
日常生活では、実際に起きていないことを妄想してしまったときには、それが「妄想」だと心の中でラべリング、気付き、サティを入れてみては。
あるいは、「○○になったらどうしよう」と恐怖がでたときに、「~と、私は考えている」と心の中で付け加えるのもよいのでは。
妄想や感情が起きても、実際の行動に移す前にブレーキをかけられれば、日常生活に支障はないのだし、妄想を飼い慣らすように、気付きの鎖でつないでみましょう。