親友の死
5月に親友が 亡くなりました。
線香をあげに お墓には行けるのに・・・。
話しかけることはできるのに・・・。
手を合わせることが できなくて・・・。
これって 受け入れられていないからなのか?
受け入れたくないからなのか?
お墓にも 行かない方がいいのか。
このままお墓に 行ってていいのか。
ご意見 アドバイスを お願いします。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
私が手を合わせる時は、左手は私、右手は阿弥陀様と思って手を合わせます。
あなたもお墓の前で、左手はあなた、右手は親友と思って、ピッタリ合わせて、いつも一緒だよと思ってあげたらいいなと思いますよ。
南無阿弥陀仏
少しずつで良いのです。。。。
今は。
手が合わせられなくても良い。。。
受け入れられなくても良い。。。。。。
どうぞ、思いの向くまま、今出来ることをなされば良いですよ。
供養は カタチより、キモチ。。
そして、忘れないでいてあげる、ときに思い出してあげて下さい。
また、いつの日か、再会できる日が来ますから。
こんばんは
お友達のご逝去に慎んでお悔やみを申し上げます。
私も15年ほど前に大切な友人を亡くしました。交通事故でした。未だに心の整理はついていません。つらいものですよね。
いままで手を合わせて挨拶などしたことのない友人に、亡くなったからと急に手を合わせる、というのもなんだか不自然なような、友達でなくなっちゃうような気持ちになりますよね。
私はそれならそれで良いと思います。
是非お墓に言ってお話をしてきてください。きっと通じていますよ。お参りの後は、生前中に一緒に行った思い出の場所などに寄るのも良いですね。
合掌は相手に対し尊敬と感謝の気持ちの表れです。いつかきっと自然に心からお墓に手が合わせられる時が来ると思いますよ。
真心込めて
拝読させて頂きました。
そうかもしれませんね…。親しい方の死を受け入れることは本当に辛いですからね。
どうかその方が正しく仏様にお導きを受けて仏様の元で心から安らかになられますようにと仏様に願いお念仏おとなえなさってください。
私もその方の極楽往生を願いお念仏おとなえさせて頂きます。
南無阿弥陀仏
必ずや仏様はその方を正しくお導きなさってくださいます。そして心から安らかになってくださいますからね。
悲しみは尽きないかとは思いますが、どうかその方を思い、真心込めてご供養なさってください。
お墓に行く行かないは別に今はどちらでも良いと思います。行けると思ったときで宜しいと思いますよ。
いつの日にか必ずや悲しみが癒えて受け入れることができるようになります。
あなたとその方とのご縁はこれからも続きますからね。
迷う間は必要ありません
手を合わせる必要があるならば自ら手をあわせますし、今を受け容れる必要があれば、あなたは受け容れざるを得ません。
ということは、今はどちらも必要ないという事です。
要するに、くみさんにとって、手を合わせる事や受け容れるかどうかは、今の所どちらでもいいことです。
しかし、お墓へは迷わず行ったという事実があります。
「行かされた」のではなく「行くようにした」でもなく「行ってきた」という事実です。
親友の死という体験を通し、「~しなければならないのでは?」というこだわりが、くみさんの心の中で芽生えたのではないでしょうか。
それがのしかかって、お墓に行くかどうかまで考えるようになった・・
今現在、雑念は必要ありません。
お参りに行って下さい。
ただただ・・・
近くで友を感じていただきたい。
それだけで、親友は喜んでくれます。
質問者からのお礼
皆様の心温まる回答 本当にありがとうございます。
少し気持ちが晴れてきたように思います。