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乳児、幼児、児童虐待のない世界になってほしいです。

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かなりの頻度で虐待で亡くなった子供たちのニュースを耳にします。ニュースになっているものは氷山の一角で、今この瞬間にも虐待されている子供たちがいるかと思うと胸が痛みます。

虐待のない世の中になってほしい、と心から願っていますが、私が今現在できることは祈ることしかありません。

心がざわざわします。私にできることは何かないのでしょうか?


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お坊さんからの回答 8件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

衆生無辺誓願度

はせびさん

まったく同感です。
ニュースで子どもの虐待や殺害など目にすると、悲しみと怒りが湧いてきます。他の痛ましい事件も、戦争も、テロも、なぜ無くなってくれないのかと思います。

私は「自死・自殺に向き合う僧侶の会」というものに所属しています。
直接お話しを聴いたり、手紙のやり取りが出来る方はほんの数人です。
対して、日本の自死者は毎年3万人前後、自死遺族は毎年10万人以上増えているでしょう。
私たちのやっていることは、焼け石に水なのかもしれません。

虐待も、自死も、戦争も、無くなって欲しいと思いつつも、決して無くならないのだろうな、とも感じます。
でも、だからといって諦めるのではなく、ほんの微力でも行動していきたいと考えています。
「不可能と思えることに不断の努力を持って臨む」と言うとハードルが高くなりますが「小さなことでもコツコツと」と言い換えれば取り組みやすいかもしれませんね。

※「衆生無辺誓願度(しゅじょう むへん せいがんど)」
・あらゆる生き物を救いとる、という仏道を歩む者の誓い。

〜追記〜
「お礼」を拝見して、追記いたします。

はせびさん、「私にできることは何かないのでしょうか?」と仰っていましたが、お仕事に子育て、立派になさっているじゃないですか。
懸命に働く背中を子どもに見せ、そして愛情を持って子どもに接するのは、何より大きな活動だと思います。

その心を持ち続けて、いずれ縁があれば外での活動の機会もあるかと思います。今はご自身のお子さまに、あらん限りの愛情を注いであげて下さい。

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おきもち

浦上 哲也
横浜市神奈川区で、新しく小さなお寺を営んでいます。 仏教の教え・浄土真宗...
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親が安心して子育てできる環境を、社会.皆が作っていくこと

そうですね〜私も胸が痛みます。

虐待といっても様々です。体にアザが出来るような、身体的な虐待もあれば、手は上げなくても 言葉で責める 精神的虐待や 生理的虐待。。。声のあげれない 弱い立場の者が犠牲となってしまう。悲しい世の中です。

子育てに関して。。。これは、とても大変なことなのです。我が子だから、可愛いだけではなく、親は常に 重い責任の中、育児をしています。親になるというのは、大変なことなのです。
年配の方は、放っておいても 子どもは育つよと言われます。これは、回りの環境が、地域が、子は宝だと、皆で子どもを育てる社会であったからです。
今は、核家族で、隣近所 地域のお付き合いが、昔に比べて薄くなっています。また、子育てをしながら、働く母親に とても冷たい社会環境になっている時代でもあります。

虐待をする親を擁護しているわけではありません。親になった以上は、命を守り育てる責任があります。親らしいこともせず、虐待を繰り返すなんて、あってはならないことです。

ですが、子育ては大変なものです。どんな親にでも、そんな種を持ってしまう 精神的ストレスはあるのです。誰かに相談出来る、保育園など保育のプロに頼れる環境や、地域の子育てサークルでの交流など、母親が安心して 子育てできる環境、社会を作っていくことが、私たちに出来ることではないでしょうか。
次の時代をつくる子ども達を 命がけで育てている親を、見守り受け入れてあげることです(*^_^*)

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おきもち

はじめまして(*^^*) 中田みえです。 教善寺 住職として、母親として...
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祈りという縁。

教理にはないと存じますが、小生は「祈りは縁である」と
感じています。

「スヴァーハー」という言葉があります。
漢字にすれば「娑婆訶」、ソワカという言葉です。

こうなってほしい、ああなってほしい、という祈りとはすこし
違っていて、「ひかりあれ。幸いあれ」というような、
複合的な意味をもつ語とのことです。

これは、仏典にはよく出てくる語であります。
お釈迦様が実際に仰っていたかはわかりませんが、
もしかしたらくちぐせのように「さちあれさちあれ」と
仰っていたのかもしれません。

たとえば、あなた様の周りで虐待をふせぐためのNPOなどが
あって、なにかしらお手伝いができるような事があれば
ぜひともお力を頂きたいものですし、きっとあなた様にとって
おおきな意味をもってくるものと存じます。

なかなかそれが出来ない、というならば、やはり祈る事。
それは、ソワカのように「さちあれ、さちあれ」と、
みちゆく子たちに、そしてまた、
かなしくも、ぬくもりにふれず旅立った子たちにも、
「さちあれ、さちあれ」と、思いを向けて下さい。

そのあたたかいいのりが、必ず縁を結びます。
縁のひとつひとつが果を結ぶ、そのときまで、
小生もあなた様とおなじように、祈りを務めて参ります。

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おきもち

虐待する親は虐待されていた。

虐待する親は子供の時に虐待されていたことが多いです。
親に愛されていなかった人たちが
親になってどう子供を愛して良いか分からず
自分が受けた虐待をまた子供に繰り返してしまうと言う
虐待の連鎖が生じてしまいます。
「長谷川博一」さんと言う人が子供の虐待に関する本を多数出しています。
「子どもを虐待する私を誰か止めて!」など
虐待する親の心の闇を鋭くとらえた本です。
虐待の仕組みを理解すると少しは心のザワザワが
和らぐと思います。
しかし虐待の連鎖を断ち切って健全に生活している人もたくさん居ます。
やはり「愛」が大事です。

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おきもち

50代、妻と娘2人。 若い頃はタイやインドなどアジアを中心に10年程旅行...
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心の闇、心の光

虐待だけでなく、いじめや、DVや、あらゆる犯罪も、
原因は心の闇だと思います。
心の闇とは、要は劣等感なのです。
これを打ち破るのが仏の智慧なのです。
仏様は、あらゆる者を許し、認め、讃えます。
ですから、仏様の前に、劣等感は打ち破られます。
闇を打ち破るから、智慧は光と表現されます。
経典を読むと、仏の世界は光に溢れ、
心の闇を打ち破ろうとされている仏様の強い意思が感じられます。

はせぴの心の中に劣等感はありませんか?
劣等感は、誰でもあるとは言いませんが、多くの人が持っています。
はせぴさんに出来ることは、まず、はせぴさんの中の心の闇を打ち破ることです。
そして、心を光で満たしたら、その心で周りの人と接することです。
笑顔と言葉から光があふれ(明るい笑顔と、明るい言葉)、
それに接する人の心にも光が届き、闇が打ち破られます。
そうやって、いつか、世界が光で満たされて、
虐待やイジメやDVが無くなります。

本当にそんな世界が来るのか?と言われると分かりませんが、
私は、そんな世界が必ず来ると思って、僧侶をやっています。

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おきもち

45歳 独身 銭湯通い 浄土真宗の僧侶だけど、「中観派です」って言って...
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自分のできることを考えて

はせぴ様へ

私も同様に
子供たちのニュースにはこころを痛めております。
そのためにはなにか今自分にできるはないのかということを考えて、
当山では子育て世代を対象としたイベントであったり、ヨガ教室、座談会などを
開催しております。

今自分にこの問題に対して、できることをぜひ一生懸命にやっていただけたら
そういう輪がつながっていつか社会が変わっていくのかもしれません。
ぜひご検討ください。合掌

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おきもち

鈴木光浄
「人の一生に寄り添うことのできるお寺」を目指しております。さまざまな御縁を...
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はせぴ様。

各師も仰る様に、先ずは「私が今現在できることは祈ることしかありません。」此処を確りと御持ち頂く事と、何処かの其れらに関するNPO法人にご参加頂き、ご助力頂ければと存じます。
因に、当法人NPO法人 自殺防止ネットワーク 風「http://www.soudannet-kaze.jp/
でも、支援、賛同者募集を随時行って居ります。

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おきもち

色々の悩み事がこの世には沢山有ります。 大学の卒論で密教天文暦法を研究致...
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幸せな社会の実現へ向けて

はせぴ様

川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。

日々の虐待のニュース・・拙生も聞く度に心を痛めております。

なぜ虐待をするのか・・もちろん、虐待をしてしまう者の心に問題があります。戦争や暴力、人権蹂躙、差別・偏見なども私たちの心のありようが問題となっています。

それらの問題となる心の状態を仏教的には「無明(むみょう)」(根本的無知・真理を悟るのに遠ざかってしまっている心の状態)と申しまして、その「無明」により生じる所業において私たちは迷い苦しむことになってしまっております。

その一つの流れとしましては、「無明→煩悩→悪業」となります。そして、積み上げたる悪業によって、迷い苦しみの世界を輪廻し続けてしまうことになります。

この悪循環をいかに断ち切るかが仏教においては大切となります。

断ち切るためには、まずは「無明」を何とか解決していかなければなりません。その解決方法を説かれましたのがお釈迦様の教え、つまり仏教となります。

仏教において、この無明を打ち破っていくために、三宝(仏・仏法・僧)へと帰依し、菩提心(悟りを目指す心)を起こして、智慧の獲得と福徳の実践の二つを積んでいくことが望まれることとなります。智慧とは、空と縁起なるこの世界の真理のありようを理解していくこと、福徳とは、慈悲に基づいた利他行(現在の言葉では、ボランティア・奉仕・慈善活動という言葉が近いです。厳密にはその対象は無差別に一切衆生・あらゆる者たちに対してとなりますが)を実践していくことであります。

少し難しいことですが、簡単には、全ての者たちが、助け合い、支え合い、分かち合いの大切さに気付き、優しさ、思いやり、気遣いの心を持って互いに過ごしていくことができれば、きっと嫌なニュースを聞くことのない幸せな世界が実現するであろうということであります。

その実現が、私たち仏教に携わる者たちにおける目標でもあります。

はせぴ様におかれましてもこれから少しずつでも仏教に色々と携わって頂くことにて、その一員となりて、実現へ向けて共に取り組んで頂けましたらと存じております。是非、共に頑張って参りましょう。

川口英俊 合掌

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おきもち

Eishun Kawaguchi
最新の仏教論考はこちらでご覧頂くことができますが、公開、非公開は随時に判断...
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質問者からのお礼

どうもありがとうございます。

「何か活動したい」とも思うのですが、今は目の前の自分の子どもが小さい上、私は仕事をしているので
わが子にさびしい思いをさせないことを優先しています。
大きくなって手が離れるようになったら、ぜひ虐待してしまう親を助ける活動をしたいと思います。

今は祈ることしかやはりできませんが、祈ろうと思います。
虐待のない世の中になることを。 虐待されている子供たちに幸せな未来があることを。

私の心が光や愛で満たされているか、といえば確かにそうではありません。
怒りもあれば、気に入らない人もいます。そしてその人たちを心の中で罵倒しています。
こんな自分も「虐待社会」形成の片棒を担いでいるのかもしれません。
自分から変わらなければならないのでしょうね。
私の心が感謝と愛で満たされることに一生懸命になろうと思います。

浦上さま 
どうもありがとうございます。褒めていただいて素直にうれしいです!

川口さま 
仏教のこと、わかりやすく教えていただいてありがとうございます。
不思議なのは「全ての者たちが、助け合い、支え合い、分かち合いの大切さに気付き、優しさ、思いやり、気遣いの心を持って互いに過ごしていく」ようなそんな世界になってほしいな、と思っているにもかかわらず、また「無明」に戻ってきてしまう瞬間がちょくちょくあることです。

多くの人は程度の違いはあれ、この二つの心の状態の間で振り子のように揺れて苦しむのでしょうね。
いつか完全に無明から自由になりたいものです。私のような未熟者はこの世にいる限りそんな時は来なさそうですけれども。

虐待する親たちが、できるだけ多くの時間、無明から解放されますように、祈ります。
また、彼らの子供たちが幸福な気持ちに包まれる時間が少しでも多いことを祈ります。

「世の中・社会のできごと・風潮」問答一覧

現代社会と本来の豊かさについて

悩みというよりは漠然と考えてしまうことがあります。        私は会社を起業し10年ほどになります。     会社とは何か?という本を設立当初に読み、 そこには『社会に必要とされているもの。人の役に立っているから存続が出来、人の役に立たない会社はなくなっていく』と書かれていました。     右も左も分からない中での起業でしたが、自身にそのような志が強くありましたし、その本に書いてある言葉に納得し、一生懸命頑張ってきました。     設立前から準備していたことや、業界を分かっていたこともあり、心身の苦しさや辛さはありながらも、経営は順調に右肩上がりで伸びていきました。 しかし、何処かでとても苦しさのような葛藤がずっとあります。     社会がいかに利益追求型の仕組みで弱肉強食であることを肌で感じること、それでも日々闘い続けねば生き抜けない。 競争社会、資本主義社会という中では当たり前のことだと理解すればするほど。 中小企業の社長さん達も皆んな日々闘い続けているんだなぁと思いながら。     そういう渦中で、自分の心身はいつも振り回され乱れるばかり疲弊する日々が数年続き、 自身を見つめ直したり心を丈夫にする為に色々と模索してきました。     そうした中で見つけたものは、お釈迦さまの教えや禅的な考え方でした。   日本では宗教にハマると聞くと直ぐに悪い意味で捉えられることが多いですが、 何か目印になるような共感できたり学べるような考え方というものに救われることに有り難さが溢れてきて泣きそうになります。   自身が人の為になることを〜と思い起業しましたが、会社を通して社会を知り、そこに向き合った今の時点で想定もしていなかった答えがあったように感じています。   知り合いに若いお坊さんがいますが、もっと遊びましょう、もっと休んでください、自分は人生遊んで過ごします。とよく仰っています。実際夜遅くまで飲みに行ったりしていて、誘ってくることも多いです。(行きませんが) そのお話しも極端に思えて、私には失礼ながら浮世離れしすぎていてついていけません。   長くなってしまいました。 文章がまとまっておらず伝わっているか不安ですが、 お坊さん達は今の資本主義社会と仏教の教えに乖離を感じますか? 感じられる方はどうバランスを取られていますか?

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日本が一番ではない

僕が24年間生きている中で日本が一番ではありません。みんなは日本が一番だと言ってますが。日本つまらないし毎日刺激もないし変化が全くありません。サッカーの試合も見ましたがあまりつまらなかったです。なんかサッカーにはスター選手いないので面白くありませんでした。Jリーグの試合見ましたがつまらなかったです。ラグビーの試合見ましたが一方的な展開すぎて全くつまらなかったです。しょうもなさすぎました。日本脱出したいです。お金がないので今年全く関西から出たことがありません。出てみていろいろ体感してみたいです。何も楽しくありません。学生生活も全く楽しくなかったです。 日本生きてますが個性が全くありません。日本人も何となく生きてる人が多いような気がします。日本も少子高齢化が年寄りやおっさんが多いような気がします。僕にとっては楽しくもありません。ランダムチャットも利用しましたが喋ってみても全くくだらなかったです。ランダムチャットしましたがしょうもない人多かったです。考えも偏っているようにも思えます。日本には閉塞感がありすぎてつまらないです。日本楽しくもありません。日本は真面目な人多いので過ちや誰にも迷惑かけてない人が多すぎて万引きやカンニングなどの過ち犯したり人に迷惑かけたり(それは当たり前ですが…)失敗したら許されない国なので自殺者も多いのではないかとも思います。日本自殺大国になると思います。 日本人も世界情勢や世界のことに興味がない人が多いようにも感じます。 日本の気候も暑さ寒さの寒暖差が激しすぎて日本の四季に耐えれず嫌になります。 東京も行きましたがサラリーマンが多く殺伐とした風景や混雑が激しすぎて嫌になります。 今までも教習所で高圧的にされたことや偉そうにされたことやバイト先でも上司があまりにも態度悪い人もいて日本が一番とも思いません。たまたま人の答案が見えてしまったりしました。やっぱり日本悪い国だなと思います。みんな日本いい国やいい国やと言ってますが僕はそう思いません。 僕が思う日本のいいところは治安がいいところと料理が美味しいところと生活水準が高いところぐらいです。どこの国もいいところは最低1、2個はあると思います。 やっぱり僕にとっては日本が一番ではありません。

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日本に盛り上がりが全く足りないです

今、大阪にいますけど閉鎖的で盛り上がりもなく楽しくありません。地下鉄に乗っていますが表情が暗い雰囲気を作って楽しくもありません。夜もアメリカのようにパーティーみたいな盛り上がりもなくて寂しいです。日本は閉鎖的な国だとも思います。 ラグビーワールドカップ2019イングランド対アメリカではかなり賑やかやったしパーティーしてたようにも思えます。結構、日本よりも盛り上がっていたようにも思えます。イギリスやアメリカはパーティー文化がある国にも思えます。イギリスやアメリカの方が個性的な人いたような気がします。 アメリカ行ったことがないので自分には分かりませんが日本よりも個性がある人が多いようにも思えます。 僕にとっては10年前頃ですが、明光義塾北巽教室通ってた時は個性的な先生もかなり居ましたし、活気もありました。まあまあパーティー的に盛り上がっていたと思います。明光義塾北巽教室では賑やかでワイワイしてて僕にとっては楽しかったのです。明光義塾北巽教室Twitter(現在はX)では個性感半端ないな。キャラ感凄いなと書いたらいいね1つくれました。親には明光義塾北巽教室勉強するところやのに遊びに行ってた所が怒られました。 そういうの日本ではなかなか無いから寂しいです。日本の閉鎖的な環境が辛すぎてたまりません。パリピみたいな盛り上がりが好きでたまりません。日本は雰囲気が暗い国だなと思います。 日本生きるのが活気と盛り上がりが無さすぎて辛いです。日本人って個性が全くない人ばかりでつまらないです。僕の近所でも全くパーティーみたいに騒ぎがないのがつまらないです。 日本は治安も良くてご飯が美味しいと言う理由からいいって言っていますけど僕はそう全く思わないです。 日本は衰退国家だなと思います。日本は閉鎖的すぎて嫌になります。日本に生きていてもつまらなさすぎて嫌になります。だからアメリカ移住したいです。 四谷学院の校舎長に言われましたが大学は盛り上がりはないと言われ、寂しいです。辛すぎます。大学でも遊びに行っている人や騒ぎに行っている人もいると思います。僕は日本が大嫌いです。日本は同じことばかり過ぎてつまらないです。 サテライトオフィス平野に通っていますが、その事が悩みすぎて集中出来ないことがあります。 日本では盛り上がりや活気が全くないので暗いし寂しいししんどいです。

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日本は姥捨山を求めている

「今の日本は傾いているから誰かを犠牲にしたい」という感情が蔓延している、ということを声を大にして言いたいのです。だから、私のような無能は人権を放棄しなければなりません。そもそも、労働に縛られている時点で普通に生きられている人間にも人権がないからです。 増税や経済的負担に対する抜本的解決がない以上、「障害者をガス室送りにしなければならない」「生産性のない人間をガス室送りにしなければならない」という思想が蔓延するのは必然です。価値のある人間しか生きることを許されないのです。 社会や世界全体への不信感が強烈で、もうどうにもならなくなっています。けれど生きるには労働しなければなりません。私を傷つけ苦しめ貶め殺すためだけの場所に入っていかなければなりません。そうしないと人権が買えないからです。 自分を殺さないと人権が買えない。けれど人権を買ったところでいつ足元が崩れるかわからない。自殺推奨活動のほうがよっぽど慈悲深く思えてしまうのですが。 こんなクソみたいな世界で、どうして自分を殺してまで生きるしか方法がないのでしょうか。どうして、不幸になるしかないこんな世界がいまだに続いているのでしょうか。この怒りをどうしたらいいのか全くわからないのです。 壁を殴ったらヒビが入る。そういう、自分のアクションに対して当たり前の反応が返ってくる、という経験が薄く、その度に苛立ちが募ります。自分が気にならない、話を聞いても何が悪かったのかよくわからないことで長々と詰められ、こちらの言い分は何一つ聞き入れられない。そういう不公平さの中で生きてきたので、何に対しても「自分を殺せばいいじゃない」としか思えません。だって、人間は自分以外の誰かが犠牲になることを望む生き物ですから。私は誰の犠牲になれば良いですか?私の代わりに誰が犠牲になってくれるのですか? どうせどう生きたって誰かに支配されたまま終わるのです。そうしないと人権が買えないから。現実を見れば見るほど嫌な気持ちだけが募ります。この世界に救いはない。あるのは泥のような絶望だけ。はーあ、努力とかくだらない。今まで言われてきた沢山の言葉に対する恨みが消えない。でも他人から見たら悪いのはぜーんぶ自分。やってられない。どうせ「悪いのは私でした」という反省のポーズしか望んでいないのだからロボトミー手術を受けなければ私はこの世界に生きる権利を与えられない。

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やはりこの世界は信用に値しない

また新たな戦争が始まりました。明日は我が身でしょうか。 「報道しない日本メディアはダメだ」と言われています。私たちは平和ボケしているのでしょうか。まあ日本が戦争に巻き込まれるのも時間の問題ですね。私たちに未来なんてない。現実なんて汚らしくて残酷なものでしかない。 この世界のシステムに耐えきれなくなった憎悪が世界中で噴出し騒乱を巻き起こしているマクロな事実と、そんな完璧ではない人間という生き物から一方的に「あなたが間違っている」「あなたが変わればうまくいく」と言われ続けたミクロな怒りが混ざり合って何もかもが馬鹿馬鹿しいとしか思えません。だから生きているのが嫌なんだ。 仏教だって結局、生きるも死ぬも理不尽しかないものだから何か納得できるだけの理由をこねくり回した結果でしかないでしょう。「全部私が悪いので悔い改めて、私の全部をこの世界に捧げます」と生きなければこの生命という不愉快極まりないシステムから解放されないのですか。喜んで火の中に飛び込む兎になれと。結局望まれているのは自己犠牲じゃないですか。生き物は、自分のために自分以外のものが犠牲になることを望んでしまうものなのです。 どれだけ努力したところで、自分とは関係ないもっと大きなものによって簡単に潰される。この国のシステムも欠陥だらけで有事に対応できると思えない。いつ殺されるかわからないから、いま生きていることに感謝すべき? そう思うにはこの世界はあまりにも汚らわしすぎます。ずっと言ってきましたよねこの世界は生きるに値しないと。その決定的証拠がまた一つ増えたんですよ。生きるも死ぬも誰かの天秤の上。人権なんて初めからなかった。第三次世界大戦はいつ起こりますか? 私たちは死ぬ準備をしなければなりません。 薄氷の上の平和すら貴重品となってしまった世界で、その平和の中にいながらうまく生きられない罪悪感。自分の在り方を否定され続けてきたが故の「どうせ自分なんていらないんでしょ」という感情と閉塞感。秒読みとなった戦前危機に対する焦り。人間という生き物への困惑。未来に対して絶望視しかできない。こんな世界の中でどう生きろと。けれど何を言われても響きはしない自分自身に対しての苛立ち。今の世界を見ても美しいと言えるでしょうか。 結局、傲慢でなければ生きられない世界。2025年を迎えられるといいですね。きっと無理だろうけど。

有り難し有り難し 9
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温かい気持ちになるお坊さん説法まとめ