乳児、幼児、児童虐待のない世界になってほしいです。
かなりの頻度で虐待で亡くなった子供たちのニュースを耳にします。ニュースになっているものは氷山の一角で、今この瞬間にも虐待されている子供たちがいるかと思うと胸が痛みます。
虐待のない世の中になってほしい、と心から願っていますが、私が今現在できることは祈ることしかありません。
心がざわざわします。私にできることは何かないのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
衆生無辺誓願度
はせびさん
まったく同感です。
ニュースで子どもの虐待や殺害など目にすると、悲しみと怒りが湧いてきます。他の痛ましい事件も、戦争も、テロも、なぜ無くなってくれないのかと思います。
私は「自死・自殺に向き合う僧侶の会」というものに所属しています。
直接お話しを聴いたり、手紙のやり取りが出来る方はほんの数人です。
対して、日本の自死者は毎年3万人前後、自死遺族は毎年10万人以上増えているでしょう。
私たちのやっていることは、焼け石に水なのかもしれません。
虐待も、自死も、戦争も、無くなって欲しいと思いつつも、決して無くならないのだろうな、とも感じます。
でも、だからといって諦めるのではなく、ほんの微力でも行動していきたいと考えています。
「不可能と思えることに不断の努力を持って臨む」と言うとハードルが高くなりますが「小さなことでもコツコツと」と言い換えれば取り組みやすいかもしれませんね。
※「衆生無辺誓願度(しゅじょう むへん せいがんど)」
・あらゆる生き物を救いとる、という仏道を歩む者の誓い。
〜追記〜
「お礼」を拝見して、追記いたします。
はせびさん、「私にできることは何かないのでしょうか?」と仰っていましたが、お仕事に子育て、立派になさっているじゃないですか。
懸命に働く背中を子どもに見せ、そして愛情を持って子どもに接するのは、何より大きな活動だと思います。
その心を持ち続けて、いずれ縁があれば外での活動の機会もあるかと思います。今はご自身のお子さまに、あらん限りの愛情を注いであげて下さい。
親が安心して子育てできる環境を、社会.皆が作っていくこと
そうですね〜私も胸が痛みます。
虐待といっても様々です。体にアザが出来るような、身体的な虐待もあれば、手は上げなくても 言葉で責める 精神的虐待や 生理的虐待。。。声のあげれない 弱い立場の者が犠牲となってしまう。悲しい世の中です。
子育てに関して。。。これは、とても大変なことなのです。我が子だから、可愛いだけではなく、親は常に 重い責任の中、育児をしています。親になるというのは、大変なことなのです。
年配の方は、放っておいても 子どもは育つよと言われます。これは、回りの環境が、地域が、子は宝だと、皆で子どもを育てる社会であったからです。
今は、核家族で、隣近所 地域のお付き合いが、昔に比べて薄くなっています。また、子育てをしながら、働く母親に とても冷たい社会環境になっている時代でもあります。
虐待をする親を擁護しているわけではありません。親になった以上は、命を守り育てる責任があります。親らしいこともせず、虐待を繰り返すなんて、あってはならないことです。
ですが、子育ては大変なものです。どんな親にでも、そんな種を持ってしまう 精神的ストレスはあるのです。誰かに相談出来る、保育園など保育のプロに頼れる環境や、地域の子育てサークルでの交流など、母親が安心して 子育てできる環境、社会を作っていくことが、私たちに出来ることではないでしょうか。
次の時代をつくる子ども達を 命がけで育てている親を、見守り受け入れてあげることです(*^_^*)
祈りという縁。
教理にはないと存じますが、小生は「祈りは縁である」と
感じています。
「スヴァーハー」という言葉があります。
漢字にすれば「娑婆訶」、ソワカという言葉です。
こうなってほしい、ああなってほしい、という祈りとはすこし
違っていて、「ひかりあれ。幸いあれ」というような、
複合的な意味をもつ語とのことです。
これは、仏典にはよく出てくる語であります。
お釈迦様が実際に仰っていたかはわかりませんが、
もしかしたらくちぐせのように「さちあれさちあれ」と
仰っていたのかもしれません。
たとえば、あなた様の周りで虐待をふせぐためのNPOなどが
あって、なにかしらお手伝いができるような事があれば
ぜひともお力を頂きたいものですし、きっとあなた様にとって
おおきな意味をもってくるものと存じます。
なかなかそれが出来ない、というならば、やはり祈る事。
それは、ソワカのように「さちあれ、さちあれ」と、
みちゆく子たちに、そしてまた、
かなしくも、ぬくもりにふれず旅立った子たちにも、
「さちあれ、さちあれ」と、思いを向けて下さい。
そのあたたかいいのりが、必ず縁を結びます。
縁のひとつひとつが果を結ぶ、そのときまで、
小生もあなた様とおなじように、祈りを務めて参ります。
虐待する親は虐待されていた。
虐待する親は子供の時に虐待されていたことが多いです。
親に愛されていなかった人たちが
親になってどう子供を愛して良いか分からず
自分が受けた虐待をまた子供に繰り返してしまうと言う
虐待の連鎖が生じてしまいます。
「長谷川博一」さんと言う人が子供の虐待に関する本を多数出しています。
「子どもを虐待する私を誰か止めて!」など
虐待する親の心の闇を鋭くとらえた本です。
虐待の仕組みを理解すると少しは心のザワザワが
和らぐと思います。
しかし虐待の連鎖を断ち切って健全に生活している人もたくさん居ます。
やはり「愛」が大事です。
心の闇、心の光
虐待だけでなく、いじめや、DVや、あらゆる犯罪も、
原因は心の闇だと思います。
心の闇とは、要は劣等感なのです。
これを打ち破るのが仏の智慧なのです。
仏様は、あらゆる者を許し、認め、讃えます。
ですから、仏様の前に、劣等感は打ち破られます。
闇を打ち破るから、智慧は光と表現されます。
経典を読むと、仏の世界は光に溢れ、
心の闇を打ち破ろうとされている仏様の強い意思が感じられます。
はせぴの心の中に劣等感はありませんか?
劣等感は、誰でもあるとは言いませんが、多くの人が持っています。
はせぴさんに出来ることは、まず、はせぴさんの中の心の闇を打ち破ることです。
そして、心を光で満たしたら、その心で周りの人と接することです。
笑顔と言葉から光があふれ(明るい笑顔と、明るい言葉)、
それに接する人の心にも光が届き、闇が打ち破られます。
そうやって、いつか、世界が光で満たされて、
虐待やイジメやDVが無くなります。
本当にそんな世界が来るのか?と言われると分かりませんが、
私は、そんな世界が必ず来ると思って、僧侶をやっています。
自分のできることを考えて
はせぴ様へ
私も同様に
子供たちのニュースにはこころを痛めております。
そのためにはなにか今自分にできるはないのかということを考えて、
当山では子育て世代を対象としたイベントであったり、ヨガ教室、座談会などを
開催しております。
今自分にこの問題に対して、できることをぜひ一生懸命にやっていただけたら
そういう輪がつながっていつか社会が変わっていくのかもしれません。
ぜひご検討ください。合掌
はせぴ様。
各師も仰る様に、先ずは「私が今現在できることは祈ることしかありません。」此処を確りと御持ち頂く事と、何処かの其れらに関するNPO法人にご参加頂き、ご助力頂ければと存じます。
因に、当法人NPO法人 自殺防止ネットワーク 風「http://www.soudannet-kaze.jp/」
でも、支援、賛同者募集を随時行って居ります。
幸せな社会の実現へ向けて
はせぴ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えとなります。
日々の虐待のニュース・・拙生も聞く度に心を痛めております。
なぜ虐待をするのか・・もちろん、虐待をしてしまう者の心に問題があります。戦争や暴力、人権蹂躙、差別・偏見なども私たちの心のありようが問題となっています。
それらの問題となる心の状態を仏教的には「無明(むみょう)」(根本的無知・真理を悟るのに遠ざかってしまっている心の状態)と申しまして、その「無明」により生じる所業において私たちは迷い苦しむことになってしまっております。
その一つの流れとしましては、「無明→煩悩→悪業」となります。そして、積み上げたる悪業によって、迷い苦しみの世界を輪廻し続けてしまうことになります。
この悪循環をいかに断ち切るかが仏教においては大切となります。
断ち切るためには、まずは「無明」を何とか解決していかなければなりません。その解決方法を説かれましたのがお釈迦様の教え、つまり仏教となります。
仏教において、この無明を打ち破っていくために、三宝(仏・仏法・僧)へと帰依し、菩提心(悟りを目指す心)を起こして、智慧の獲得と福徳の実践の二つを積んでいくことが望まれることとなります。智慧とは、空と縁起なるこの世界の真理のありようを理解していくこと、福徳とは、慈悲に基づいた利他行(現在の言葉では、ボランティア・奉仕・慈善活動という言葉が近いです。厳密にはその対象は無差別に一切衆生・あらゆる者たちに対してとなりますが)を実践していくことであります。
少し難しいことですが、簡単には、全ての者たちが、助け合い、支え合い、分かち合いの大切さに気付き、優しさ、思いやり、気遣いの心を持って互いに過ごしていくことができれば、きっと嫌なニュースを聞くことのない幸せな世界が実現するであろうということであります。
その実現が、私たち仏教に携わる者たちにおける目標でもあります。
はせぴ様におかれましてもこれから少しずつでも仏教に色々と携わって頂くことにて、その一員となりて、実現へ向けて共に取り組んで頂けましたらと存じております。是非、共に頑張って参りましょう。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
どうもありがとうございます。
「何か活動したい」とも思うのですが、今は目の前の自分の子どもが小さい上、私は仕事をしているので
わが子にさびしい思いをさせないことを優先しています。
大きくなって手が離れるようになったら、ぜひ虐待してしまう親を助ける活動をしたいと思います。
今は祈ることしかやはりできませんが、祈ろうと思います。
虐待のない世の中になることを。 虐待されている子供たちに幸せな未来があることを。
私の心が光や愛で満たされているか、といえば確かにそうではありません。
怒りもあれば、気に入らない人もいます。そしてその人たちを心の中で罵倒しています。
こんな自分も「虐待社会」形成の片棒を担いでいるのかもしれません。
自分から変わらなければならないのでしょうね。
私の心が感謝と愛で満たされることに一生懸命になろうと思います。
浦上さま
どうもありがとうございます。褒めていただいて素直にうれしいです!
川口さま
仏教のこと、わかりやすく教えていただいてありがとうございます。
不思議なのは「全ての者たちが、助け合い、支え合い、分かち合いの大切さに気付き、優しさ、思いやり、気遣いの心を持って互いに過ごしていく」ようなそんな世界になってほしいな、と思っているにもかかわらず、また「無明」に戻ってきてしまう瞬間がちょくちょくあることです。
多くの人は程度の違いはあれ、この二つの心の状態の間で振り子のように揺れて苦しむのでしょうね。
いつか完全に無明から自由になりたいものです。私のような未熟者はこの世にいる限りそんな時は来なさそうですけれども。
虐待する親たちが、できるだけ多くの時間、無明から解放されますように、祈ります。
また、彼らの子供たちが幸福な気持ちに包まれる時間が少しでも多いことを祈ります。