三回忌に行けないことを許してもらえません。
もうすぐ、夫の父の三回忌なのですが、どうしても行けません。
いえ、行きたくないのです。
夫の母と妹が法事を計画しているのですが、家族全員での出席を求めてきます。
夫は病気で介護施設にお世話になっていて、外を歩くことも難しく、食事も飲み込む力が弱くなってきているので、軟らかくした物を用意してもらっている状態です。
一周忌の時は、どうしても法要に行きたいという夫の気持ちを尊重して、介護タクシーを頼み、やっとの思いで行きました。
介護タクシーにも費用がかかったので、会食もありましたが、御仏前に1万円包みました。
家族揃って出席できて良かったなとも思いました。(昨年は夫も普通の食事を食べることができたので。)
しかし、後から妹に、御仏前として包んだお金が少ないと言われとても傷ついたのです。
5万円が相場だと言われました。
この時、夫の母と妹が私たちの生活の大変さをわかってくれる人ではないと理解しました。
長い間闘病していて、介護費用もかかっていて、それを私が支えているうちの経済状況が大変なこと、
夫の体の状態も大変で介護専門の人に同席してもらわなければ出席は無理なこと、
それでも一周忌にみんなで出席したのは、夫と亡くなったお義父さんとお義母の気持ちを大切にしたからだということ、
今後はお付き合いの仕方を考えたいとのことを伝えました。
ですが今年また三回忌に全員で出席してほしいと言われています。
私は上記の理由でもう行きたくないのです。
夫は行きたいと言うかもしれませんが、体の状態もあって難しいと思っています。
子供たちには、私と義家族の間であったお金の話は伝えたくありません。
義妹はお断りしても、大切な三回忌のことをどう考えているのですか?
と、責めてきます。
義母と義妹で好きなように法要はやればいいとおもいます。
ただ、体の状態や、心の状態、その他もろもろあって欠席ということを認めてもらうにはどうしたらよいでしょう。
私は亡くなったお義父さんの為に祈ることも、お寺に行くことも、お墓参りに行くことも嫌ではありません。
私たちの苦労になんの配慮もない義母と義妹に合わせることが嫌なんです。
私と子供たちでお墓参りに行くだけではダメでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いろんなことが合わさって迷いを生じるのもしたかないことですが、1つずつ分けて考えてみましょう。
宗派にもよるかもしれませんが、浄土宗としては、三回忌は無理に行かなくても構いません。自宅や病室でも手を合わせて、「阿弥陀様お父さんをお導きください、南無阿弥陀仏(10回)」とお唱えくださればよいのです。
お父様はすでに極楽浄土におられるのですから。
また、義理の家族との関係は別問題ですね。ご主人の病もあり生活費に困っているのに配慮が無いようです。ですが、無いものは無いとはっきり言うことも大切です。もし参列して香典をだすなら、無理ない範囲で、例えば1万円でも構いません、お出ししてください。義理の妹さんにまた嫌味を言われたら、お兄さんのためにお金を残しておきたいのです、ときっぱりお答えしてはどうかと思います。
また、ご主人の気持ちも大切ですね。ご主人にも参加したいかどうか聞いてあげたほうがいいでしょう。もし参加したいなら、そしてそれが可能なら、ヘルパーさん達にお願いしてもう一度参加することもご主人の為だと思います。
義理の家族が嫌いでしょうが、喧嘩腰にはならないように、お付き合いしましょうね。
お大事に。
手紙を書いては?
まずは、行きたくない理由を理解してもらうのが大切です。
事情を手書に書いて送ってはどうでしょうか?
ただ、もしも長男夫婦という立場なら、本来は施主として法事を主催すべき立場なので、お母さんや妹さんが是非出席して欲しいというのも理解できます。
あなたも、相手の気持ちは理解してあげてください。
向こうだって、忙しい中準備をして、法事のために時間お金もかけて苦労しているのです。
その苦労を無視されたら、相手が腹を建てるのも仕方ないのです。
手紙を書くとしても、手紙で自分の主張ばかりするためではなく、互いに理解しあい労りあうためだとお考えください。
質問者からのお礼
願誉浄史様
ご回答ありがとうございます。
確かに夫は長男です。
が、それはそんなに大事なことでしょうか?
我が家の父親としての役割も夫としての役割も10年以上前からできなくなっている人です。
それでも長男としての役割を果たさなければならないのでしょうか?
本来長男がやらなければいけないことをやっていただいているとしたら、そこは感謝しなければならないのことは理解できます。
ですが、13年に及ぶ闘病生活、7年目になる無収入の夫を抱えて生活してきた私たち家族が、夫の家族から手をさしのべられたことは一度もありません。
それでもどうやってでも命懸けでも法事に行くのが正しいとしたら、仏教というのは人を救うものではないのだと感じます。
聖章様
ご回答ありがとうございます。
そうですね。
喧嘩腰にならないためにどうしたらいいのかわからなくてご相談した次第です。
昨年の一周忌の時に既に無いものは無いという話も、この先何年続くかわからない夫の介護の為にお金は残しておきたいことも伝えてあります。
私はお金を出したくないわけではありません。
無理をして体力も免疫もない夫を連れていくのは命を落とすリスクもあることなのです。
一周忌の時は家族が揃うことが大切だと思って必死の思いで行きました。
家族が揃って良かったと思っているところに金額のことを言われたから、それならば参列しないで御仏前だけ送るのが一番いいと思ったのです。
想いが伝わらなかったことが一番の原因です。
そんな人たちと会うことに夫の命をかけたくないのです。
自分で歩くこともできない病人をどうしても引っ張り出すことが愛情だとは思えないのです。
どこからでも手を合わせ南無阿弥陀仏と10回唱えればいいと言っていただいてホッとしました。
夫の実家は曹洞宗です。
宗派が違うと考え方も違いますよね。
でも曹洞宗のお坊様も新盆の時に
「どこからでも手を合わせることが一番の供養になる。」
と、おっしゃっていたと思います。
ありがとうございました。