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病気を乗り越える心持ち

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病気を乗り越えたいです。去年職場のストレスやプライベートの悩みからパニック障害になり、現在発作はありませんが自律神経失調症(頻脈、筋肉痛、倦怠感など)で苦しい状態です。自分はこれからやりたいことがたくさんありますが、また体調が悪くなってしまうのではないか、といった不安から前に進めないでいます。何か良いアドバイスを頂けないでしょうか。


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

病気は自分の意志が治すのではなく体が治す。

「治したい!」という強い意志は大切です。
それによって、体が治そう!とします。
反対に人間には自滅ウイルスもいますから、どうせ治んないだろう、と思うと本当に治らなくなってしまいます。不思議ですがそういうもんです。
笑顔な人、前向きな人の方が治りは早いですから、元気を絶やさないように致しましょう。(^<^)
「すぐにでも治りたい!」という気持ちは、ときに結果がすぐでないので、苦しみの種になりますから、すぐには治らないけど「必ず治す!」「かならず治す!」という気持ちをもってください。

そして、何より、ストレスを無くす生き方をすることです。
自分の感情、自分の好き嫌い、自分の判断を持ち込まないスタンス。
事実と思考の世界の区別を持つことです。
会社の嫌な人間は、あなたにとって「イヤな」存在。
あなたが「キライ」「イヤ」「ストレス」「恐怖」を持っているのです。
第三者、別視点からすればあなたが嫌いなその人も、まっさらな人です。
「自分にとって」という私的な目線を持ち込むから苦しくなるのです。
相手や事実を「わたくししない」生き方をなさってください。

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お悩み相談08020659278
今月の法話 文殊の剣 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞(本文より) 「大丈夫、慧の剣を取る。」 大いなる菩薩や老師は智慧の剣を取って、人の迷いの見解を断ち切り真実の姿をみせてくださいます。 智慧の剣とは人間の自我、我見の無いこころからなる、無垢で清らかなる「事実の様子」「本来の様相」を見極める力ともいえましょう。 それこそが智慧の剣なのです。 文殊とは自己を鎮め得た者の姿。 人間の内なる思慮分別の猛獣を修め得て、その上に鎮座する姿。 事実を事実のとおりに見るということは、余分なものがないということです。 そこに現れる余分な見解というものを断ち切った姿。 そもそも、もともと一切の事象、事実というものには余分なものはありません。 とは言えども、それでも人は人の習癖・習慣的に物事に思いをつけたす。 いまや「写真で一言」という要らぬ添え物をするバラエティ文化もあるぐらいですから、ものを本当にそのままに受け取るということをしない。 文殊様の持つ剣、智慧の剣というものは、そういう人間の考えを断ち切る働きを象徴したものです。 その文殊の剣とはなにか? お見せしましょう。 いま、そこで、みているもの、きこえていること。 たとえ文字文言を観るにしても、そのものとして映し出されているという姿がありましょう。 文字として見えているだけで意味を持たせてもいない、読み取ってもいないままの、ただの文字の羅列のような景色としてみている時には、文字であっても意味が生じません。 本当にみるということはそこに安住しています。他方に向かわない。蛇足ごとが起こらない。 見届けるという言葉の方が適しているかもしれませんね。 ❝己がそのものを観ていながらそこに余計な色や思いをつけたさぬその己の様子を「こそ」見届けてみてください。❞それはものの方を見るというよりはそれを見ている己を見つめる姿ともいえましょう。 そういうご自身のハタラキ・功徳に気づく眼を持つことです。 あなたの手にはすでに文殊の剣がありますよ。用いることがないのはもったいないことですね。

頭で考える以前で生きる

お話しから、きっと思考を優先して生活されているのでしょう。

是非禅を実践していただきたいと思います。禅とは思考以前の状況にご自分が存在していることにまず気づき、事実に生きることだと思います。そのため、まずは、目で見たもの、耳で聞こえたもの、鼻で香ったもの、舌で味わったもの、皮膚から感じたもの、そのものがそこに存在しているだけで、そこに思考をくっつけないようにしてください。
例えば、脱いだ服が床にあるとします。しかし、それはそこに服があるという事実のみ。
そこに思考をつけたし始めると、いい悪いを考え、誰が脱いだんだ!とか、自分が脱いだのなら、こんな自分はダメな人間だ とか始めてしまいます。善悪、白黒なんてつける必要ないのです。それ以前に、そこにそのもの、その人
がただ存在しているだけです。
そうした事実に生きることをお勧めします。

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個別相談可能
禅宗 曹洞宗 僧侶。神奈川県西部円通寺住職。小学校教師。 悩みを吐き出す事で、ちょっと楽になれます。悩みの根本に気づき、明るく爽やかに生きていきたいですよね。 私自身、禅との出会いにより救われた一人です。皆様に少しでもお伝え出来たらと思います。 人は自分の都合を立てて物事に向き合うところがあります。私の回答も期待していたものと違うことがあるかもしれません。その時に素直に聞けるか、回答の内容を否定的に聞くかで救われるかどうかが変わります。疑問は出てくると思います。その時はご相談ください。
ご相談時間は不定期なので、いくつかご都合を教えてください。 ◆小学校教員もしています。子供、家族、ご自身のことお話をお聞きします。 ◆禅のおかげで私も救われました。禅の教えを基に「思い通りにしたい」という自分の都合や価値観から生まれた思い込みをほぐしていくお手伝いをします。 ◆仏教は人生を豊かにしてくれることを感じてくだされば嬉しく思います。

質問者からのお礼

ありがとうございます。未熟な人間なんだと思います。禅について勉強してみようと思います。

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