真言の効果って時間と共に薄れていくのですか?
私はいつも光明真言や、不動明王などの真言を学校に行く前に大体15分くらい唱えているのですが、真言の効果って、時間と共に薄れていくのですか?
また、よく真言を唱えるときに噛んだりしてしまうことがあるのですが、それによって祟りなど、不幸なことが起こるのですか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
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真言は不思議なり、観誦すれば無明を除く。
「真言は不思議なり、観誦(かんじゅ)すれば無明(むみょう)を除く。
一字に千理を含み、即身に法如と証す。」
お大師様(弘法大師空海)の著作、「般若心経秘鍵」の一説です。
簡潔に現代語訳しますと
真言(仏の言葉)とは不思議なものである。
心に仏様や仏様の世界を思い浮かべ唱えれば、暗闇を照らすが如く、迷いを払ってくれる。
たった一つの文字にいくつもの真理を包含し、生けとし生けるこの身体のままで、仏様の境地に達することができる。
時間とともに真言の効果が薄れることはありませんが、時間とともに真言を唱えた時の貴方の気持ちが薄れたり、変化したりすることはままあるかと思います。
ですので、折に触れてお唱えください。
噛んだり、言い間違えたからといって不幸が起きるわけではありません。
ですが、よく噛まれるようでしたら、慌てずゆっくり丁寧に唱えてください。
そして、真言を通じて仏様の世界を感じ、迷いを取り除き、感謝の念とともに心穏やかに日々をよりよくお過ごしください。
参考になれば幸いです。
合掌(^人^)
おはようございます。
お経やご真言に「効果」があるのかどうかはわかりませんが、お経の功徳は、お経を唱えただけ積み重なるものと思います。間違えた場合はそのお唱えを始めから唱え直しましょう。間違えた事でたたりなどはありません。
大金剛輪陀羅尼
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
もし、どうしてもお勤めの際における過失が気になるようでしたら、お勤めの最後に、「大金剛輪陀羅尼」を唱えられますことをお勧め申し上げます。
https://ja.wikipedia.org/wiki/大金剛輪陀羅尼
ただ、慣れない中では、このご真言自体も噛んでしまうことも。。
とにかく、何よりも、有り難く尊い法を実践するという心構え、真摯な姿勢、継続したお勤めが大切であり、少々の過失があっても問題はないかと存じます。
ちなみに、拙生の場合においては、チベット密教のお勤めを毎日修させて頂いておりまして、その際のお勤めの際の過失を補うためとして、最後の方にて「金剛薩埵百字真言」をお唱え致しております。
金剛薩埵念誦法
https://www.mmba.jp/archives/17325
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ご回答ありがとうございます。間違えたらやり直したら良いのですね・・・