お経について
私は、お経が好きなのですがなぜかお経を聞くと不思議と胸が苦しくなります。般若心経が特に好きで、たまーに唱えてみたりするのですが、それでも途中で少し苦しくなります。
何か解決策はありますか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
そのことによって現れる二次的な反応とそのことを分けてみよう
般若心経は釈尊の体得された悟りの内容が説かれているお経で誰もが悟りを得られる内容。
決して悪いものではありません。
ただ、一定のリズムで読み続けたりすることであなたの場合、反応してしまうことがあるのかもしれません。
これはお経に限らず、何かに接するとき人間には二次的な反応というものがあります。
単純にお経だから動悸がするというより、そのものに対するご自身の二次的な反応の一種なのでしょう。
私の場合、子供の泣き声を聞くと何とかしてやりたいと、苦しくなります。弱い立場の人がいじめられたりしていると胸が締め付けられます。覚元も涙ヒマなし。
人間はイメージ、先入観をはじめ、そのものに対してあらかじめに思い起こしてしまったことが後から作用するということがあります。
思ったことでも体に作用することは当然あるものです。
私自身もあるお寺に対して、時々、暗い思いを抱いてしまうことがあります。
私は修行道場で貴重な勉強をさせていただきましたが、反面恐ろしい体験もしました。仲間が一人亡くなってしまったり、様々な体験をしました。
それが為に、時々修行道場へご挨拶に行くたびに、嫌な記憶のある場所で嫌な思いを起こすことがあります。もちろん、それはその時だけの一時的なものですが、それでもナチュラルなフラッシュバックとしてあらわれるのです。昔はその黒い思いにずっと苦しめれられてきました。
現在では正しい仏法に出会えて、その後は次のように処しています。
辛い思いが出たり、動悸がするようなときは、私はそのことを一切その後、触りません。
心とは繊細なものでして、波なき水面に生じた波紋を鎮めようと、手を触れてしまえばますます動機が増えるということもあるのです。
お経が悪いわけではありません。
私自身にとってもお寺が悪いわけではありません。
そのことに、そのものに対して、あらわれる自然の「反応」なのです。
反応に罪はありません。
その反応に対して何とかしようとすると、どんどん苦しくなるということがあるものです。
般若心経には「一切の転倒夢想を遠離す」とあります。
物事をさかしま、さかさまに眺めさせるのは人間の思いです。
二次的な反応や二次的な思いで苦しまないように、上手に距離をとってください。
こんばんは
もしかしたら、お経=お葬式(死) みたいなイメージを持っている、もしくは自然にそう思ってしまっているのかもしれませんね。
お経には死の意味はありませんし、お経を読んだり聞いたりすることで何かに取り憑かれるという事もありません。安心してお唱えください。
呼吸を正しく
らの、こんにちは。
般若心経を好きで読むのですか?凄いですね。
お経は歌と同じなのでリズムがあります。たぶんリズムなしで読んでいるので呼吸が不規則になって息がしずらくなるのかなー。
youtube等で、般若心経の唱え方などサンプルがあるので聞いてみて、真似してみてはどうですか?がんばってね!合掌
般若心経の内容
らの様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
「般若心経」は、丹下覚元様もおっしゃられていますように、「顛倒夢想」、つまり、普段、私たちが物事の見方を誤ってしまっていることに気付いて、最高の智慧として説かれてあるこのお経の教えの内容を理解することにより、真実の見方を調えていくことが大切となって参ります。
真実の見方とは、モノ・コトは、実体として成り立っていない「空」であるという見方となります。
特に、般若心経において何度も出て参ります「無」は、何もないという「無」ではなく、「実体がない」という意味の「無」としての理解が求められるものとなります。
それでは、いったい、モノ・コトはどう成り立っているのかということについては、更に「縁起」という側面も考えることが必要となります。
このことにつきましては、下記拙論も参考にして頂けましたらと存じます。
『般若心経における「空」について』
http://blog.goo.ne.jp/hidetoshi-k/e/93cd51b49c2264eb00fcc00a904a3392
拙い内容となりますが、少しばかりでも般若心経を理解して頂くことにより、その苦しみも和らぐことのお役に立てれましたら幸いに存じます。
川口英俊 合掌
質問者からのお礼
ありがとうございます。
呼吸のタイミング、とかではなくなんだか締め付けられるように苦しくなる感じです。
みなさまありがとうございます。イメージや二次的な反応で思い出しましたが、わたしは辛い時に般若心経にすがっていた思い出があります。きっとそれにまだ心が囚われているのでしょうね。謎が解けました。感謝します。