孤独感や、心細いという感情
元々、社交的なタイプではありませんでした。離婚し、さらに周囲から浮いてしまったような気がします。以前より孤独感を感じる時間が多くなりました。
特に、夜に一人でいる時や、朝目覚める時に、ふと心細くなります。今になって振り返ると、結婚していた時はそばに誰かがいたというだけで、心強かったのだろうと思います。
友人は数名おりますが、忙しいため、たまにしか会う事はできません。
近い将来、一人で親の介護をする事になる立場にあるので、自分はしっかりしなければならないとも思っております。
いずれは一人暮らしになるので、一人でもしっかり生きていける人間にならなければならないのですが、この年になっても私はまだ未熟なようで不安だらけです。
支え合う相手がそばにいない人間は、心細さや孤独感と、どのようにつきあっていけばよいのでしょうか。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
結婚していてもしていなくても人間は一人
人は、生まれて死ぬまでずっと一人です。
この体で一生過ごすしかありません。しかし、家族があってもなくても、みたされています。何不足なく生きることができます。そのようにできています。
寂しいという気持ち、不安という気持ちは、何かと比べているからおこるのだと思います。
過去の生活と今の生活、今の生活と想像の未来の生活、友達の生活と自分の生活など、全て現実から離れた考えの世界の話です。
そんな妄想はただ苦しむだけです。
現実目の前のことをただ生きることしかないでしょう。友達がほしければ、趣味の集いなどの輪に入るのが一番早いでしょう。お寺の坐禅会、写経会などもそうした交流の場の一つだと思います。
お近くのそうした場所に足を運ばれてはどうでしょう。
いつも一緒は暑苦しい
北斗星さん、はじめまして。
徳島県の法話と天井絵の寺、觀音寺 中村太釈です。
北斗星さんには数名の友だちがいて、たまに会うことができるのですね。
それで十分だと思います。
いつも一緒に居たら暑苦しい。
北斗星さんにとって程よい距離感が心地よいのではないですか。
ファンタジーでいいから
私は浄土宗ですので、そのストーリーを紹介させて下さい。
遠い昔にでも、聞いたことはありませんか?「ご先祖様は、亡くなった後でも、仏様になってシャバに残る人たちを思っていますよ、心配していますよ」と。私は死んだことはないので、エビデンスはありません。でも、「そうだったらいいなぁ、そうなのかもなぁ」と思います。現実は確かに無一物、裸で生まれて裸で死んでいくのでしょう。でも言葉があって、自分なりのストーリーを持てる、信じられるのであれば、それで少しでも心安らかに暮らせるならば、それを採用したいのです。ある意味それを肉付けするために、日々お仏壇に向かっているようなものです。
テレビでも、殺人事件の被害者家族が話しますよね。「あちらで安心してくれるだろう」とか。そう思うことで、そのストーリーを採用することで、彼らは娑婆を生き抜いて行くのです。
自分なりの思いを持って生きていくのであれば、昔から人間たちが採用してきた、このファンタジーを一顧してみても、良いのではないでしょうか。
質問者からのお礼
邦元 様
いつもスッキリと励ましてくださってありがとうございます。 寂しい、不安、という感情も、何かと比べるから起こるのだと考えたこともありませんでした。 無意識のうちに比べていたのかもしれません。 特に過去の自分と比べるところが大きいのかもしれません。 妄想なのですね。
新しい友人をつくる気力はまだありませんが、とりあえず、今ある人間関係に不満や不信感を持たず、大切にしていきたいと思います。
中村太釈 様
ありがとうございます。 そのとおりかもしれません。 これが心地よい距離感なのかもしれません。 たとえ1年ぶりに会っても、すぐに昔のように親しく話せる友達がいることに、私は感謝をするべきですね。
佐藤良文 様
ありがとうございます。 ファンタジーでもよい、というお言葉が、とても優しく感じられます。 ご先祖様の事をちゃんと意識している時は、孤独感が少し和らいでいるかもしれませんね。 昔から人間はそのように生きてきた、という事も忘れないようにしたいです。