人工流産について
いつもお世話になっております。三回目の投稿ですが、お答え頂けるとうれしいです。
私には息子と娘がいますが、その間にいた子を、私の産後うつが酷く、生んであげる胡とができませんでした。(性行為は嫌々でしたが、主人の手前断れず…言い訳にしかなりませんが)。
何度か質問させて頂いて、罪悪感は薄れてきたものの、あの子にはもう2度と会えない。という事実にものすごく胸が張り裂けそうです。
それでも、当時の私にはどうしても生んであげることができませんでした。
矛盾していますが、二度と同じ子に…という変えようのない事実が重くのし掛かります。
どのように考えれば良いでしょうか?お力添えをお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
いつでもあなたを
拝読させて頂きました。
あなたの悲しみを心よりお察し申し上げます。
私にも弟がいました。しかしこの世で生きることなく仏様の元に往生しました。
母はそのことを今でも思い出すので合間思い出した時や年忌の時、私と一緒にその弟に手を合わせてお念仏おとなえ致します。
南無阿弥陀仏
お念仏おとなえすると心の中でその弟の声が聞こえてくるように感じます。
「こっちでゆっくりとみんなを見守っているよーーー!」と言っているようです。
母や私と弟のご縁はこれからもずっと続くのです。
母や私がその生を全うする時必ず仏様の元で弟に会うことができます。
それまで穏やかに安らかに見守っていてね、と心の中で弟に声をかけています。
あなたのお子様も必ずいつ如何なる時もあなたを見守っていて下さいます。
どうか心穏やかに安らかにお念仏おとなえなさってくださいね。
必ずや再びめぐり会うことができますからね。
あなたとその子はいつでも一緒ですからね。
南無阿弥陀仏 合掌
また会えますよ
この世では会うことができませんが、いつか命が終わり浄土に行ったとき、そこでまた会うことができるのですよ。
浄土で会う時の姿は大人に成長した姿かもしれませんね。浄土でご先祖様や仏様に育てられ、仏様に成る為の仏道修行をしつつ、あなた達のことを心配して見守っていることでしょう。
虫や魚などでは無く、人間としての命を貰い、浄土に生まれる機会をくれたあなたにきっと感謝していることでしょう。
ですから、どうか安心してくださいね。
お子さんにもそのようにお伝えくださいね。
いつもそばにいると実感すること。
あつこさんへ、こんにちは。
腹を痛めて可愛いわが子を亡くすことは、夫以上に辛いことです。この世では会えない生命ですが、聖章師のお言葉の通り、我々は一人として亡くならない人間はおりません。時間は掛かりますが、いつか自分も霊界に行けば出会うことができる一時の死の別れでもあります。
私は一休さんの時世の句「今死んだ どこへも行かぬ ここにおる たずねはするな ものは言わぬぞ」という言葉が好きです。これは日本人の他界観でもあります。目の前には見ることはできないが、近くでいてくれている。その実感を大切にしたいと思っています。私は父と母にいつも会いたいと思っていますが、毎日、読経供養をするたびに、近くにいることを感じることがあります。両親に育ててもらったご恩を有難く、有難く感じることがあります。
そういう意味では読経以上に先祖崇拝、先祖供養は、日本人にとって大切な儀礼だと思います。あつこさんも、是非、なくなった子供さんに名前をつけてあげて声をかけてあげてもいいし、お寺さんに戒名をつけてもらってお位牌を作り供養してもいいでしょう。顔も子供でも大切にしている姿は必ず他の子供が親の愛情を感じ、親孝行な子になると思います。
水子であってもあなたの大切な子供です。忘れることなく、あなたの心のそばにおいてあげてください。合掌
質問者からのお礼
お三方、丁寧に回答頂きまして、本当にありがとうございました。また少し心が軽くなったような気がします。また苦しくなったときは、よろしくお願いします。