何か一つ人に誇れる事・自分らしさ
私は今までなんとなく生きてきました。なんとなく生きてきても何も思いませんでした。
しかし、最近(といっても半年前ですが)こんな人生でいいのかと感じるようになりました。
私は音楽が好きで、聞くのも、演奏するのもすきなのですが、ある日音楽を聴いていると、何か一つでもだれにも負けないものを持っておけ、といったような歌詞がありました。
私は今まで、なんとなく生きてきて、そんな事一つも考えた事がありませんでした。
大学の願書にも自分の特技を書く欄があり、その時は「楽器を演奏すること」、と書きました。しかし、大学に入り、より広い社会に出ると、やはり楽器を演奏することに対し、上には上がいて、どうしても越えられない壁がありました。その度に私は自信をなくし、本当に自分の特技なのか、人より誇れる事なのかと思ってしまうのです。
そう考えてしまうと、どんどん悪い方にばかり考えてしまい、自信がなくなります。
楽器を演奏することを生業としたいわけではないです。ただ、何か特技があっても上には上がいてそれを特技と呼べなくなってしまうのではないかと考えてしまう事にとても悲しくなってしまいます。
他の人にすごい人がいるから自分は必要とされないんだ、と思ってしまいます。
自分らしさってなんでしょうか、それが例えば何か一つ人に誇れるものであったならば、それを見つけるためにはどのようなことに気をつけていけばいいでしょうか?また、どのような考え方をしたら良いのでしょうか?教えてください。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他人に向けたものが自分に返ってくる
Q&Aとか掲示板、wiki、どこに行ってもいつも思ってるんですが、他人に勝てることが『らしさ』だってのは今の10代20代の人たちの国民病です。
お釈迦さまはそんなこと一言も言ってません。お釈迦さまの教えはこうです。
>戦場において百万人に勝つよりも、唯だ一つの自己に克つ者こそ、じつに最上の勝利者である。(発句経103)
他人と比べて誇るな…と。そんなことをしても報われないぞ…と。
武井壮さんは陸上の十種競技で日本一になり、今でも破られていない記録も残しましたが、愕然としたそうです。街に出ても誰も俺を知らないし、その道で食っていける安定収入にもならなかった…何故か?誰も知らないマイナー競技だから。頑張る場所が間違っていたから。だからその道に見切りをつけてお笑いの世界に転向なさった。
カッコ良い歌詞はあくまでカッコ良いフレーズ。人生の道しるべとは限らないと心得ましょう。
丹下師が一番有り難しされてて、染川師が次にたくさん有り難しされてたら私は回答する意味がない?こうして目の前の個人名を出すと「いえ、そんなことはありません」とおっしゃるでしょうが、今の若い人たちは実際にそういう見方をしてきたのでしょう。自分でしないまでも、少なくともそういう視線に晒されて来た…ネットのどこに行っても若い人たちはコレが多い。本当に多い。
それが大人になって自分で何かを作り上げようという段階になり、自分たちに返って来ているんです。自分たちがそのように他人を測ってきたから、自分をも同じように測ることになるんです。それは誰も得をしません。国民病です。
まずは他人を無条件に、ありのままに認め、1位の人も4位の人も50位の人もみ〜んな同じように褒めることから始めましょう。AKBでどんなにdisられてるメンバーでも等しく全員推すかの如くに褒めるトレーニングをしましょう。それが自分の中の物差しを棄てること…お釈迦さまのおっしゃる『自己に克つ最上の勝利者』です。そんな心のあり方や言葉のあり方が習慣になれば、次第に世界が変わってきます。
悩みながらも演奏するたった一人の達人になれ
私もギターを演奏します。
まぁ拙僧ロックでメタルでハードなるものですが、今は今年の流行り曲を練習中です。
音のセッティングはハードロック、メタルですが、トーンにこだわりロックギターマニアが凝ったサウンドで主旋律を奏でます。
あまりやっている人はいません。
ギターソロで歌うということです。
単音って、一番難しいものです。
今年は『モアナと伝説の海』『前前前世』『美女と野獣』『ぼくの心を作ってよ』『誰も寝てはならぬ』『糸』幅広く演奏します。
何を弾いても、自分になってしまいます。
何回弾いても、納得がいきません。
お経だってそういうものです。
最近感じました。
先日、埼玉の毛呂山で演奏しましたが、当日現場でいきなりアンプが壊れてしまいました。
さんざんサウンドにこだわって持って行ったのに、スタッフさんが急にコンセントを抜いてしまったので真空管のアンプでしたので「飛んで」しまったのです。ヒューズを変えてもダメでした。修理費は4~9万はするそうでビンボーで3人子供のいる我が家ではとても修理は出来ません。(だれか宝くじの当たった人、お助けください(/o\))
当日は、たまたま持って行った練習用の1wアンプで演奏しました。壊れたアンプは50wです。マイクをアンプの前においての演奏でした。
この身のサウンドは出せませんでしたが、かろうじて難を逃れました。
終わった後、良かったですと数人の方々からお声掛けをいただきました。
その時、気づきました。
「こちらがこれ良かれと思ってやっていること」はお客さんは望んでいないということです。
これがいいだろうと思っているのは自分だけ。
必ずしも聞く側はこちらの高い理想なんても求めていないものです。
つまり、ミュージシャン、アーティストの陥りやすいところですが、相手が望んでいるわけでもないのに、こちらはそれ以上に高いものをやろうとしている。
それがかえってあだとなって、自分の目指すものが出せなくて悩んでしまって、音に対する自分のネガティブ評価になってしまうことがある。
そんなフィルター越しに聞いていたら音楽が楽しくない。「音楽」じゃなくなってしまうのです。
もっと自分楽、心楽、行楽にならなかったら作品だって演奏だって死んでしまうに決まっています。
そこを切り口に進んでみてください。✨
自分の演奏を誇りに!
ときしさん、こんにちは
いよいよ自分の人生の生き方の充実に気づいたのですね?素晴らしいことです。
あなたには音楽があるのですね。いいじゃないですか?
もし上手いだけで価値があるのであれば、世界の音楽は一人だけしか要らなくなります。
音楽は技術だけではありません。あなたの演奏はあなたのオリジナルになるのです。それは誰にもマネできません。ときしさん自身が、自分の音楽を作っていけばいいのですよ。
音楽は、プロだから素晴らしくて、アマチュアだから悪いわけではありません。アマチュアでもプロ以上にファンがいるアーティストはたくさんいます。今はネットもあります。youtubeでも世界配信していくことができます。あなたが努力した分、あなたの音楽を愛するファンもできてくるはずです。まずは一人のファンができればあなたに勇気を与えてくれるはずです。そして、あなたが自信を持ったアーティストになった時、是非、私のお寺でもライブを開いてくださいね。
人生の生き方を作っていくのはまだまだこれから!孔子の論語の如く「子曰く 「吾 十有五にして学に志し 三十にして立ち 四十にして惑わず 五十にして天命を知る 六十にして耳順い 七十にして 心の欲する所に従いて矩 のり を踰えず」」
ですよ。
頑張れ!合掌
質問者からのお礼
皆様ありがとうございました。
相手がどうだ、自分がどうだっていうことに囚われすぎていたのかもしれないです。
自分に目を向けて、自分はどうありたいのかということについて考えてみたいと思います。