奇形児な私
お世話になります。
私は口唇口蓋裂で産まれました。
私を見た親はどんな気持ちだったので
しょうか?多分、みんな哀れな目で
見ていたのでしょうね。
親の苦しみは半端じゃなかったと
思います。私は小さい頃から
顔を見ていじめられていましたが
私より手や足がない人はもっと大変なんだから
これくらいはへっちゃらだと…
母親は私の赤ちゃんの頃の事は全然話しては
くれません。兄の事ばかりで
寂しいです。
母親か叔母さんに私の小さい頃の
話しを聞いてみたいけど
勇気がありません。
聞かない方がいいのでしょうか?
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
わが子を愛おしいと思うのが、親。
赤ちゃんの頃の話を、聞いてみたいのですね〜。どう、願われて生まれてきたのか。抱き上げたとき、どう思ったのか。自分のこと、知りたいですよね。お母さんから、聞いてみたいのですよね。
話して下さらないのは、あなたを気遣ってではないでしょうか。
どんな子でも、わが子を愛おしいと思うのが、母親ではないでしょうか。いじめに遭うあなたを、全力で守ってやりたい、そう心配されていたことと思いますよ。
あなたの小さい頃の話、聞きましょうよ(*^^*) ゆっくり 話が出来るといいですね♬
あなたの事が心配でしょうがなかったと思います。
子供がタマゴ、乳製品、甲殻類をはじめ様々なアレルギーで全身アトピー性皮膚炎です。
ああ、申し訳ない。かわいそうでかわってあげたい気持ちです。
藁をもつかむ気持ちで様々なものを試していますが、生まれながらに持って生まれた病はいくら抗っても変えられないものがあります。
変えられることは変えればいいのです。
私は昨日バイクで転倒して全身あちこち痛めていますが、動けることは動けます。
こうしてそういう中でもできる活動はあります。
さて、今申し上げました「変えられること」とは何でしょう。
それは、そのことに対する悪いおもい方、悪く考えることは変えられます。
おそらく、さぞかしそのことでつらい思いをされてこられたのではないかと思います。
親御さんはあなたと同じように申し訳ない気持ちがあったはずです。
私はもし、あなたに志があれば仏法を学んでいただきたいと思います。
人間は誰でも自身の用紙に対してコンプレックスを持っているものです。
ですが、そのコンプレックスは仏法によって消滅します。
なぜなら、人間は思うということによってそのことを過剰に意識するからです。
そのことだけを取り上げてそのことだけを拾い上げてそこにだけ集中攻撃してしまうのが人間のコンプレックスの正体です。
それは自身の一念。
一念は永続しません。
忘れてこれをご覧になっている今があるはずです。
コンプレックスはそれを取り上げていないときはたとえ一念でも一秒でもそこから救われているのです。
ならば、その一秒を3年続ければ3年の救われ。
今から、その救われの道を求めるのです。
お母さんには生んでくれたことを感謝されたらよいでしょう。
お母さんもナイーブになっているところがあるでしょうから、今は平気になったよ、ということを話して聞きたいことを何でも聞ける親子関係になってください。
親子関係は一生向上します。
あなたたちは今も親子なのです。
お兄さんと接しているときのお母さんは、お兄さんとせっているときのお母さんなのです。
あなたと接しているときはあなただけのお母さんなのです。
あなたとお母さんの親子関係はこれからです。
質問者からのお礼
先生方、友達にも相談出来ない事を
この場で聞いて頂き、色々な
アドバイスをありがとうございました❗
私はこれからも、親孝行していきます。