友人の自殺願望を止められません。
こんにちは。
友人が死にたいと言っており、なんとか思い留まるように説得していますが、友人の決意は固いようで困っています。
その友人は、ある国家資格を取るために勉強をしています。資格取得の試験は年に一度しかなく、もう6回も落ちています。
その資格を取るために残業のない仕事に転職し、昼間働いて夜は学校へ、という生活をもう6年以上しています。学費と生活費と両親の借金の返済で、ギリギリの生活をしているので、とにかく資格を取得して、たくさん稼ぎたいとのことです。
今年も試験が終わりましたが合格の可能性は低いようで、私に、今年合格しなかったらもう死ぬ。もうこれ以上頑張れないから。と言います。
親の借金を返済しながら、少ない給料での長年にわたる受験勉強に疲れ切っているのです。
私は友人の頑張りをずっと見てきました。なので毎年試験に落ちる度に励ましてきたつもりです。
しかし、今回は説得しても私の言葉は伝わらないようで、自分は結婚もしてないし、金もない。親の借金まで背負って、生きていてもいいことなんか何もないから死ぬんだ。もういいから、と言うばかりなのです。
どうしたら、どう言葉をかけたら友人は自殺を思い留まってくれるでしょうか。
何もしてあげられない自分がもどかしく、こちらに投稿させて頂きました。
よろしくお願い致します。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
導き先をあなたが持っている必要がある
その説得で友人が変わらないのであれば、その説得では通じないということでしょう。
だからこそ、本当に救われる教えがあるということを伝える必要があると思います。
座間市の痛ましい事件世間に数多く存在する死にたい人たちに光が注がれました。
ぴんぴんした人が死ぬなよ、とかいうのって簡単なんです。誰でもできるのです。
でも、そんな言葉は耳に入りません。
正義など彼らには不要なのです。
本気、本音、具体的な助かり、具体的にどうすりゃいいのか、具体的に何をすれば助かるのか。
そういう明確な答えを私は電話相談で数十名の方々に自死を留めていただきました。
もちろん電話ですからその後は分かりません。
ですが、死にたいっていう気持ちは「よりよく生きたい」っていうメッセージなわけです。
苦しいから助かりたいだけなのです。
そこに明確な答えを出してくれる人を探しているのです。だとしたら、本当に救われた人たちが個々がいいとおススメの所が一番望ましいでしょうが、公にはどこであるかはわかりません。
私自身は禅で救われました。
あらゆる苦しみは所詮自分の一念でしかないのです。
その一念の長続きや、一念がネガティブになっていくことで苦しいだけです。
思いはそれを取り扱い、操作する人間があります。それが自分のエゴ・自我・我です。
日常「我」の野郎はいつもデシャバリで、自分にとって苦し事でもどんどん取り入れます。
悩んでいる人は、自分が自分の出しゃばりな自我に取りつかれていることに自覚がありません。
だから、自分をずっといじめ続けたり、苦しみ続けたり、陶酔の状態にとどまるのです。
私も死にぞこないの仏のなりそこないですから、その分野に関してだけはお話することはできます。
その方に私の電話番号を教えてあげてください。
早い人だと十分くらいで死ぬのやめてくれます。
だぶん、心の新しい動かし方がわかるからなのかもしれません。
ただし、どんなことでも正直、誰も責任は撮れないのです。
本人が過剰に死にたいという気持ちに取りつかれそれを選択し続けていれば、それは変わることはありません。
ドリカムさんの「何度でも」
リセリセ様
川口英俊でございます。問いへの拙生のお答えでございます。
ご質問を読ませて頂きまして、ドリカムさんの「何度でも」のメロディーが頭に思い浮かびました・・
「生きていてもいいことなんか何もない」というのはそれぞれの価値観によるところにもなりますが、やはり仏教に携わる者としては、是非、生きていられる内に、できる限り仏教を学び修してほしいとは存じます。
私たちは、今世のみならずに、来世も、このままでは迷い苦しみ続けることになってしまうことになりかねません。そこから何とか脱せれるようにしていかなければならないと考えております。
「生きていてもいいことなんか何もない」と諦めてしまって、輪廻してしまう因縁(原因と条件)を、仏教により輪廻しなくなる因縁へと変えていかない限りは、何も変わらないことになりかねないのであります。
世間の幸せなど、所詮は夢幻のようなもの。それよりも、できれば悟り・涅槃という究極的な幸せへと至れるように調えて参りたいものとなります。
では、どのような言葉を掛けてあげたらとなりましたら・・
「自殺しても、この迷い苦しみから逃れられるわけではない」、「生きていられる内に仏教をしっかりと学び修せれば、今世でも、来世でも、この迷い苦しみを少しずつ無くすことができるようになる」・・うーん・・今のその方にはあまり響かないかもしれませんね・・
そうですね・・気分転換も含めて、遊びに連れて行ってあげて、カラオケにも行き、ドリカムさんの「何度でも」を精一杯に歌ってあげてみて下さいませ。できれば、拙生も共に行って、あるいは、hasunoha僧侶たちも誘って、皆でその方へのエールとして大合唱して差し上げたいものです。
川口英俊 合掌
その方の力
拝読させて頂きました。
あなたも本当に辛いでしょうね。
あなたが陰日向と支え力つけていらっしゃたのでしょうから余計にあなたの心も押しつぶされてしまいそうになっておられるのではないかと思います。
あなたのお気持ちをもそしてその方の辛いお気持ちも心からお察し申し上げます。
6年間ですから長いですよね。大変苦しみながらも頑張ってこられたことかと思います。
私はその頑張りがあるならばこれからどんな人生でも乗り越えていけるように思います。
誰しもが望むような人生を送れているわけではありません。
そして今でも普通に食べることも寝ることもできなk状況の中で生きざるを得ない方々は沢山いらっしゃるのが世の現実です。
今自分達の生活はそれ程の大きな震災や人災にみまわれてはいません、けれども恐ろしい震災や人災にあいながらもそれでも必死になって生き延びようとしている人々の現実に目をつぶることはできないでしょう。
本当に生きることをその方に見つめなおして頂きたいと切に願います。
苦しい中にあってもいかに自分が恵まれたご縁の中で生かされているのかを誠心誠意見つめ直して頂きたいと切に願います。
もしも心身ともに疲れ果ててしまってせいも根も尽き果ててしまっておられるならば、どうか心身ともに休めて心も身体も労わって癒してあげてくださいますようお願い申し上げます。
その試験だけが人生ではありません。
何度も何度もしっかりと自分も周りも見つめなおしてみれば必ずや大切なものごと、価値あることが沢山見つけることができるはずです。
そしてあなたや皆さんとのご縁やここでのご佛縁もございます。
どうかその生を大切になさって下さいます様に心からご祈念申し上げます。
その方の力が必ず将来役に立ち、その方の力を必要としている方々が沢山いるのですから。
質問者からのお礼
皆様ありがとうございました。
どの方の言葉も心に沁みました。
説得を諦めてはいけないと思い、皆様のお言葉を使わせていただきながら昨日も今日も励ましました。
電話相談の話、ドリカムの「何度でも」の話、試験だけが人生ではないこと、、、などたくさん話しました。
おかげで今のところは思いとどまってくれています。
またこの先、死にたいと話してくるかもしれませんが、その時はまた皆様のお言葉を借りながら励まそうと思います。
ありがとうございました。