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男尊女卑と信心

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有り難し有り難し 35

私の生まれた環境は複雑で、親戚の家で母と共に暮らしておりました。
親戚一家(男のみ)は浄土真宗と神道を深く信仰しておりました。
母屋には神棚が三つ、仏壇が二つ、もう一つ巨大な石が飾ってある棚がありました。

その一方で物凄い男尊女卑の家庭でもありました。
特に母と私は余所からきた居候という位置づけの為、人として扱われていなかったように感じます。

服や下着は全て親戚一家の男たちのお古でした、当然パンツもです。
「女に服を買い与えると我が儘になる」という理由でした。
汚いシミのついたパンツを履くのが嫌で裏返して履いていました。
大人の男の下着なのでブカブカでずり落ちそうでした。
靴下も穴が空いてゴミ箱に捨てられていたものを穴を縫って履いていました。

食べ物は親戚一家の食べ残ししか食べられませんでした。
「女が男と一緒に食事をとるのはおかしい」という理由です。
白ご飯は滅多に残らないので基本的にお漬物や賞味期限の切れたお惣菜を食べていました。
親戚一家が食べ終わらないと食事が出来ないので、朝は何も食べずに登校することもありました。

お風呂は「女が入った湯に男が浸かると穢れる」という理由で、親戚一家が全員入り終わった後にしか入れません。
シャワーだけでも駄目です。
しかし親戚一家は入浴時間がバラバラで私達が起きてる間に風呂に入るのは至難の業でした。

生理用品を買う為には親戚一家の長男に「穢れを垂れ流して申し訳御座いません」と言いながら土下座をしなければなりません。

親戚一家はもともと一人だけ女がいますが、その人は私たちがやってくる少し前に妊娠し、どこか違う家に連れて行かれたそうです。
私たちが居候になってから半年くらいたって母が急に妊娠し、数日後に自殺しました。
理由は分かっています。
警察に言っても証拠がないせいか全く信用してもらえず、親戚一家は罰せられないまま今も存続しています。

一体信心とはなんでしょう?
これが浄土真宗や神道の教えなのですか?


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お坊さんからの回答 2件

回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。

他力の信心

元山本様こんばんは。

立て続けにご縁をいただいてしまい、私ばかりの考えよりも他の方の回答に触れた方がいいだろうなあ…とも思いつつ、私は浄土真宗の僧侶でもありますし、こうしてご質問が目に触れるご縁もいただきましたので回答させていただきます。

まずもって語るのも辛いであろう経験をこうして記入くださり、それによって諸々の苦しい記憶も思い出したことでしょう…お気持ち察するに余りあります。

元山本様がかたくなに妊娠出産を否定なさるのはこうした環境の影響が大きいのだなあと、まざまざと感じさせられたことでございます。

失った信頼を取り戻すことは並大抵ではないでしょうが、浄土真宗の教義・そして信心が、またおそらく神道についても同様に、そのご親族一家の行動を肯定できるものであるとは全く言えません。
同じ教えに生きるものとして大変に不快な思いをさせ、回復することもままならない心の傷を負わせましたことを深くお詫び申し上げます。

宗教というものは時におそろしいものです。

「正しい教え」を聞いているはずが、「正しい教えを聞いている私が正しい」という風に、人間が信心・信仰を利用して我見・私見・我執を正当化するという危険性があります。
教えではなく、人が正しくなってしまうことほどおそろしいことはありません。

本来、浄土真宗の信心というものは「私の心」が正しくなるものではありません。どこまでも正しさを握りしめようとする私が教えによって打ち破られ続けるものです。
私が正しいのでも、私の心が正しいのでもなく、この教えが正しいのだと私が規程して信じる心でもなく、そういう私たちの闇ともいえる危うさを破する真実の智慧がこの私をしてはたらいてくださる、この私に届いてくださるという状態を指すものです。

けっして穢れ思想や差別的言動を肯定・助長するものではないのです。

人間が信心を握り、正しさを握るとろくなものじゃありません。何かを信じる心は何かを正しくしてしまう、つまり何かを正しくなくもしてしまうのです。
本来、浄土真宗の信心とは、私が信じる心ではなく、むしろ私を信じてくださる阿弥陀如来の真実の智慧が私の闇を時に包み、時に破り、私を目覚めさせてくれる「他力の信心」であります。

浄土真宗の教えをいただいたはずのものの蛮行が大変に元山本様を苦しめましたこと詫びても詫びきれるものではありません。

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有り難し
おきもち

はじめまして。北海道の片田舎の農村のお寺で住職をしております。 人生...
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仏教にはケガレ思想はありません

仏教には、ケガレ思想はありません。
仏教は、怒りの煩悩を否定します。
仮に男尊女卑の価値観がある人でも、男尊女卑を理由に女性・他人に対して怒るのはダメです。

あなたの親戚は、かなり特殊な気がします。
それが普通だと思わないでください。

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おきもち

がんよじょうし。浄土宗教師。「○誉」は浄土宗の戒名に特有の「誉号」です。四...
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質問者からのお礼

吉武様へ
前回に引き続き返答ありがとうございます。
吉武様も浄土真宗の方だったのですね。
親戚一家に度々おつとめに来ていたお坊さんは親戚一家を褒めちぎっていたので(私たちが差別されていたことも知っていながら)、浄土真宗自体にあまり良いイメージがありませんでした。
実際はそのような教えだったのですね。
勉強になりました。

願誉様へ
私が親戚一家がかなり特殊だと知ったのは二十歳になり親戚一家の家から逃げ出したあとでした。
あのとき一瞬の隙をついて逃げていなかったら、私も子どもを生まされていたのかと思うとゾッとします。
しかし、世の中にはまだまだ女に対する差別が常識化しています。
仏教には本来穢れ思想はないのですね。
そういう教えがもっと広まればいいなと思います。

「仏教」問答一覧

故人の魂はどこに?

先日大好きな妻が亡くなりました。妻は本当に僕の全てで大事な大事な宝物でした。 子供もおらず、独りぼっちになってしまい、今は絶望しています。生きる目的、意味が全く無くなりました。 僕の唯一つの願いは最愛の妻の魂にずっとずっとすぐそばにいてもらい(お骨も手元に)、自分が亡くなるときに一緒のお墓に一緒に納骨してもらい、そしてあの世でまた会えることだけです。 質問なのですが、49日に審判され遠くへ行ってしまい最終的に極楽浄土を目指すという理解をしているのですが、疑問があります。 白木の御位牌から本位牌となり、魂を入れて頂くと思うのですが、位牌に魂が宿るとするならば、極楽浄土などに魂は向かうのに、魂はいったいどこにいるのでしょうか? 魂は分割され2か所にいるのでしょうか? また、お盆には年に一回戻って来るという話しも子供の頃から聞いており、迎え火で迎え送り火で送り帰って行くということでした。帰ってしまったらいないということなのでしょうか? 極楽浄土等、御位牌、お盆、魂の居場所をわかりやすくご説明頂けますと幸いです。 僕は妻にずっとそばにいて欲しい、遠くへ行って欲しくないと考えております、魂の居場所によっては仏教と考えが合わないのでしょうか? 実はそのように悩んでいる間に49日が過ぎてしまいました、49日の法要は過ぎては良くないと聞きますが今から行って頂くことは難しいのでしょうか? どうぞ宜しくお願い致します。

有り難し有り難し 13
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伝統と原理主義の境。不幸=神仏の怒り?

 いつもお世話になっております。  私が尊敬する情報科学の先生がXで、 「未だに、天災や気象現象を『神仏の怒り』と考える人は多く いる。しかも議員になれてしまうほど支持率が高い。なんでも かんでも『神仏のせい』にすれば、自力で考えなくて済むから。 だから自分は、宗教の原理主義的なものは嫌いだ」 とおっしゃっていました。  私は、宗教は「生活規範」「安心と励ましを与えてくれるもの」 と捉えています。  昔の人は、不幸な事…災害の発生や疫病の流行が起きると、 「仏様神様がお怒りになっている」 と捉えたと聞きます。  しかし、私は、 「地震だ!身を守れ!備蓄はあるか?火は出ていないか?神仏が見守って くれている。頑張って知恵絞って、みんなで力を合わせて乗り越えよう」 と捉えています。  私は、原理主義…つまりそのまま文字通りに経典等を捉えることは、 思考停止、理解が浅いと思っています。理解の浅さや霊感商法にも 繋がると思っています。  私は、宗教とは、経典を生活規範としつつ、いかに世渡りをして いくかを説いてくれているものだという認識です。  「宗教やってる奴なんて狂人」とネットで言っている人がいました。 私は、昨今のゆがんだ宗教観が原因でそういった認識も広まったと 思っています。霊のせい、神仏のせい、墓があるせい、方角が… お告げが…  お告げに至っては、現代ではメスカリン、アヤワスカの作用や 精神疾患が原因と分かっています。  また、ある工学の先生は、 「自分の感覚では、宗教は『頼る人』と『信じる人』に分かれると 思う。頼る人は、自己分析不足で盲信的、信じる人は客観的な 自己分析ができ、自分の非力さを理解したうえで、足りないところを 宗教の裏付けで上手くバランスをとっている印象がある」 とおっしゃっていました。  私は原理主義者、「頼る人」ではなく、伝統墨守、「信じる人」と いう立場でいたいです。原理主義者にならず、伝統を守りつつ、 世渡りをしていくにはどうしたらよいでしょうか。

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10日ほど前に父親が亡くなりました。葬儀は浄土真宗のお坊さんにお願いしました。実家には高齢の母親が1人で住んでいるため、1人でいるときに火を使うのは危ないと思い、お線香をあげないようにお願いしてしまいました。しかし、四十九日まではお線香を絶やさないように、といったものを見るとほんとうにそれでよかったのか悩んでいます。お茶や、ご飯、生前好きだったお酒などお供えして手を合わせることでも大丈夫でしょうか。またそれらを母が毎日しなくても大丈夫でしょうか。 ろうそくも危ないので、蝋燭灯を買い求めつけてくれています。 離れて暮らしている私も手を合わせることで供養になりますか。その時お念仏を唱えるのか、父に話しかけたらよいのか、どのようにしたらよいでしょうか。 父親は、生前お念仏を唱えたり、信仰があったわけではありませんが、それでも救われますでしょうか。お酒好きでわがままなところもあり、怒りやすく人に迷惑もかけたこともあったと思いますが、優しく愛情もある人だったと思います。 間違った行いをしたこともあると思いますが、それを反省したのかはわかりません。 父がどこにいくのか確かめようがありませんが、救われて欲しいと願っています。 質問が複数になってしまいすみません。どうぞよろしくお願い致します。

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有り難し有り難し 20
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