男尊女卑と信心
私の生まれた環境は複雑で、親戚の家で母と共に暮らしておりました。
親戚一家(男のみ)は浄土真宗と神道を深く信仰しておりました。
母屋には神棚が三つ、仏壇が二つ、もう一つ巨大な石が飾ってある棚がありました。
その一方で物凄い男尊女卑の家庭でもありました。
特に母と私は余所からきた居候という位置づけの為、人として扱われていなかったように感じます。
服や下着は全て親戚一家の男たちのお古でした、当然パンツもです。
「女に服を買い与えると我が儘になる」という理由でした。
汚いシミのついたパンツを履くのが嫌で裏返して履いていました。
大人の男の下着なのでブカブカでずり落ちそうでした。
靴下も穴が空いてゴミ箱に捨てられていたものを穴を縫って履いていました。
食べ物は親戚一家の食べ残ししか食べられませんでした。
「女が男と一緒に食事をとるのはおかしい」という理由です。
白ご飯は滅多に残らないので基本的にお漬物や賞味期限の切れたお惣菜を食べていました。
親戚一家が食べ終わらないと食事が出来ないので、朝は何も食べずに登校することもありました。
お風呂は「女が入った湯に男が浸かると穢れる」という理由で、親戚一家が全員入り終わった後にしか入れません。
シャワーだけでも駄目です。
しかし親戚一家は入浴時間がバラバラで私達が起きてる間に風呂に入るのは至難の業でした。
生理用品を買う為には親戚一家の長男に「穢れを垂れ流して申し訳御座いません」と言いながら土下座をしなければなりません。
親戚一家はもともと一人だけ女がいますが、その人は私たちがやってくる少し前に妊娠し、どこか違う家に連れて行かれたそうです。
私たちが居候になってから半年くらいたって母が急に妊娠し、数日後に自殺しました。
理由は分かっています。
警察に言っても証拠がないせいか全く信用してもらえず、親戚一家は罰せられないまま今も存続しています。
一体信心とはなんでしょう?
これが浄土真宗や神道の教えなのですか?
母は男に強姦されて私を生みました。 中絶は金銭面の問題で出来なかったようです。 母は分娩中「嫌!生みたくない!」と叫んでいたと立ち会った親戚が笑いながら話していました。 十月十日も生活を制限され、ホルモンバランスは狂い性格も変貌し、キャリアも泣く泣く諦めなくてはならず、激痛の中命がけで分娩、ボロボロの身体で寝る暇すらなく子育て、歪んだ骨盤は元には戻らず、一番綺麗な時期を好きなことも出来ないまま子どもを生む道具にされる。 出産は拷問です。
回答は各僧侶の個人的な意見で、仏教教義や宗派見解と異なることがあります。
多くの回答からあなたの人生を探してみてください。
他力の信心
元山本様こんばんは。
立て続けにご縁をいただいてしまい、私ばかりの考えよりも他の方の回答に触れた方がいいだろうなあ…とも思いつつ、私は浄土真宗の僧侶でもありますし、こうしてご質問が目に触れるご縁もいただきましたので回答させていただきます。
まずもって語るのも辛いであろう経験をこうして記入くださり、それによって諸々の苦しい記憶も思い出したことでしょう…お気持ち察するに余りあります。
元山本様がかたくなに妊娠出産を否定なさるのはこうした環境の影響が大きいのだなあと、まざまざと感じさせられたことでございます。
失った信頼を取り戻すことは並大抵ではないでしょうが、浄土真宗の教義・そして信心が、またおそらく神道についても同様に、そのご親族一家の行動を肯定できるものであるとは全く言えません。
同じ教えに生きるものとして大変に不快な思いをさせ、回復することもままならない心の傷を負わせましたことを深くお詫び申し上げます。
宗教というものは時におそろしいものです。
「正しい教え」を聞いているはずが、「正しい教えを聞いている私が正しい」という風に、人間が信心・信仰を利用して我見・私見・我執を正当化するという危険性があります。
教えではなく、人が正しくなってしまうことほどおそろしいことはありません。
本来、浄土真宗の信心というものは「私の心」が正しくなるものではありません。どこまでも正しさを握りしめようとする私が教えによって打ち破られ続けるものです。
私が正しいのでも、私の心が正しいのでもなく、この教えが正しいのだと私が規程して信じる心でもなく、そういう私たちの闇ともいえる危うさを破する真実の智慧がこの私をしてはたらいてくださる、この私に届いてくださるという状態を指すものです。
けっして穢れ思想や差別的言動を肯定・助長するものではないのです。
人間が信心を握り、正しさを握るとろくなものじゃありません。何かを信じる心は何かを正しくしてしまう、つまり何かを正しくなくもしてしまうのです。
本来、浄土真宗の信心とは、私が信じる心ではなく、むしろ私を信じてくださる阿弥陀如来の真実の智慧が私の闇を時に包み、時に破り、私を目覚めさせてくれる「他力の信心」であります。
浄土真宗の教えをいただいたはずのものの蛮行が大変に元山本様を苦しめましたこと詫びても詫びきれるものではありません。
仏教にはケガレ思想はありません
仏教には、ケガレ思想はありません。
仏教は、怒りの煩悩を否定します。
仮に男尊女卑の価値観がある人でも、男尊女卑を理由に女性・他人に対して怒るのはダメです。
あなたの親戚は、かなり特殊な気がします。
それが普通だと思わないでください。
質問者からのお礼
吉武様へ
前回に引き続き返答ありがとうございます。
吉武様も浄土真宗の方だったのですね。
親戚一家に度々おつとめに来ていたお坊さんは親戚一家を褒めちぎっていたので(私たちが差別されていたことも知っていながら)、浄土真宗自体にあまり良いイメージがありませんでした。
実際はそのような教えだったのですね。
勉強になりました。
願誉様へ
私が親戚一家がかなり特殊だと知ったのは二十歳になり親戚一家の家から逃げ出したあとでした。
あのとき一瞬の隙をついて逃げていなかったら、私も子どもを生まされていたのかと思うとゾッとします。
しかし、世の中にはまだまだ女に対する差別が常識化しています。
仏教には本来穢れ思想はないのですね。
そういう教えがもっと広まればいいなと思います。